摂食障害で教え子がボロボロに…教師が退職して作ったのは衝撃の映画 言葉を失う観客「とことんリアルにやろうと」

映画監督の岩松あきらさんは、新作映画を撮影するため、24年間務めた小学校教員を退職した異色の経歴を持つ。文字通り、人生をかけて完成させたのは、摂食障害をテーマにした映画『渇愛』(16日、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開)。元教え子の実体験に基づく衝撃的なストーリーは、完成披露上映会で「だいぶ度胆を抜かれた……」と話題になった。岩松監督に本作に込めた思いを聞いた。

『渇愛』の1シーン【写真:(C)三河映画】
『渇愛』の1シーン【写真:(C)三河映画】

患者は推定22万人 ルッキズムの闇で苦しむ10代の女性

 映画監督の岩松あきらさんは、新作映画を撮影するため、24年間務めた小学校教員を退職した異色の経歴を持つ。文字通り、人生をかけて完成させたのは、摂食障害をテーマにした映画『渇愛』(16日、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開)。元教え子の実体験に基づく衝撃的なストーリーは、完成披露上映会で「だいぶ度胆を抜かれた……」と話題になった。岩松監督に本作に込めた思いを聞いた。(取材・文=水沼一夫)

『渇愛』は、摂食障害を患った女子大生・早紀(石川野乃花)を中心にした物語だ。摂食障害の症状や更生施設での生活が当事者の証言をもとに描かれ、背景に潜む家族関係の問題に焦点を当てている。4月28日に行われた完成披露上映会では、「衝撃的すぎて言葉にならない」「とんでもない映画を見てしまった… 」「摂食障害をテーマにした本物の映画」「家族の愛の物語が心に刺さる」「混乱しすぎて頭の整理が追いつかない…」「ずっと心動かされ続けたのは間違いない」など、言葉を失う観客が続出した。

 岩松監督は、反響について「僕としてはわりかし計算して、奇をてらうんじゃなくて、取材をもとに描写を組んで、物語を組み立てて、きちっとテーマを持ってやっているつもりなんですけど、見た人はちょっと衝撃的すぎるみたいで。でも、後で考えさせられるというか、重いけど、2回3回見るとなるほど、内容は分かるというふうな声をもらっていますね」と受け止めた。

 元小学教師の岩松監督は、6年間の特別支援学級も含め、24年間にわたり、勤務してきた。退職したのは2014年で、1人の教え子の女性から摂食障害について話を聞いたことがきっかけだった。

「小学6年生の時に教えた子が大学生になって、たまたま僕が短編映画を撮っていた時に、スタッフやりたいって来たので再会しました。その後、1~2年ぐらいかな、音信不通になったので、どうしたのかなと思っていたら、メールが来て、その時はガラケーでしたけど、スクロールしてもスクロールしても延々と有機野菜がどんなに素晴らしいかしか書いてない。そこから半年後ぐらいに電話がかかってきて、一度会って話がしたいと。そしたら会った時に、『先生、半年前に私、変なメール送っちゃいましたよね』と言って、その時に実は施設から出てきて……みたいな話から、映画にある内容を語られて、いや、それはとんでもない話だねと言って、映画化させてくれないかなとお願いをしたんです」

 摂食障害は10代の女性に多い精神障害の一種だ。食べたら太る、痩せなければとの思い込みから、食事後にトイレなどで自ら口に指を入れて、食べたものを吐き出してしまう。拒食や嘔吐、過食を繰り返し、長期にわたって治療が必要なケースもある。厚生労働省によると、患者は約22万人いると推定されている。

 教え子から思いもよらない告白を受けた岩松監督は、映画化するにあたり、教員と並行しての作業は難しいと判断。かつて長編映画を1本制作したことがあり、準備等の大変さは身を持って知っていた。

「劇場公開する長編映画を撮るのが夢だったので、一時期ちょっと諦めてはいたんですけど、もう1回目指してみようというのがあった。それがかなうなら、退路を断つぐらいの覚悟じゃないときっと作れないなと思ったので、もう逃げれないようにして、この映画に集中するという感じでした」

 12年の歳月をかけて完成させた映画は、世界15大の映画祭の1つ、タリン・ブラックナイト映画祭コンペティション部門で上映されるなど、高い評価を得ている。

岩松あきら監督【写真:ENCOUNT編集部】
岩松あきら監督【写真:ENCOUNT編集部】

映画で描いた摂食障害の出口 人は何のために生きるのか

 実際に映画を鑑賞すると、どこまでが事実で、そうではないのか、興味を書き立てられる内容となっている。

「皆さんも1番の興味がそこだと思うんですけど、たぶん思っている以上に実話に基づいています。例えば、彼女から資料として施設での写真を見せてもらったんですが、僕はちょっと衝撃で、とことんできるだけリアルにやろうとなった。だから設定自体は、ほぼほぼ事実ですね」

 早紀の家族や物語の大筋は教え子の証言通り。摂食障害の描写も資料を調べて、なるべく真実に添うよう心がけた。

 一方で、「家族をもう1回やり直すというストーリーをやってみたかった」との意図から、施設の位置づけなどは脚色した部分もあると語った。

 主人公は紆余曲折を経ながら、現状への疑問に気づき、やがて摂食障害を克服していくための行動を取っていく。それは、教え子の話を聞いて、特に岩松監督が共感した部分だった。「これが摂食障害の出口だなと」。単に摂食障害との壮絶な闘いを描くだけではない、心の成長が見て取れる結末になっている。
 
「摂食障害は、『生きるために食べない』というすごく矛盾した行動。何のために自分は生きるんだ。自分の生きる価値は何なんだ。自分自身に目を向けない限りには出口がないんです」

 SNSの普及で外見至上主義に拍車がかかる。若い女性にとって、摂食障害は深刻な問題だ。作品でも主人公が、同級生の姿を見て、憧れる場面が映し出される。岩松監督は映画を通じて、行き過ぎた減量に警鐘を鳴らしている。

 特に懸念しているのが、摂食障害の低年齢化だ。「調べると今は小中学生がダントツ。大学生が少ない」。その原因として考えるのが、家族間の関係だ。共働き世帯が増加し、子どもが親と過ごす時間は減り続けている。

「託児所に遅い時間まで預けたりしても、結局その人たちが面倒を見ているだけで、親との触れ合いはすごく少なくなっている。親に抱きしめてほしいとか、シンプルなスキンシップが足りてないんじゃないかなと。それがあれば逆に、だんだんとうっとうしくなるじゃないですか。本当は思春期に反抗期があって、自立していく流れを築いていかなきゃいけないところを、愛情が不足しているから反抗期が来ず、反抗して自立という流れにいかない。だから何かに依存せざるを得なくなる。ヒロインの子はきれいな人にどんどん依存していく。とっかえひっかえして、施設に入ってもそこから逃れられない。なぜかというと、自立していないから」

 親子の在り方に一石を投じている。

摂食障害特有の行動も描かれている【写真:(C)三河映画】
摂食障害特有の行動も描かれている【写真:(C)三河映画】

心身ボロボロになった元教え子 「地獄を無限ループする感じ」

 早紀の家族は、姉が自閉症、父親が厳格な大学教授という設定だ。ただ、真面目に姉の面倒を見ていても、両親からの愛情は乏しかった。

「ヒロインの子は家族と冷たい関係だったとか、すごくたたかれたとか、そういうふうには描いていなくて、家族間の思いやりからコミュニケーションが不在になっていく。例えば、自閉症のお姉さんがいるから彼女はすごく頑張らなきゃいけない。そうすると、弱音を見せられないし、お母さん、お父さんに迷惑をかけたくないと思って、自分に抱え込む。本当はお姉ちゃんのほうが愛されて私悔しいとか悲しい、もっと私のほうを見てと言いたいんだけど、本音が言えない。それをお母さんは知っている。だけど、お父さんが厳しいから、傍観せざるを得ない。お父さんはお父さんで、自分の研究のことに一生懸命で、お前に期待していると言いながら、本当はどう思っているのかとか、それ以上は言わない。こうした家族の中の、『何もトラブル起こしたくない』『うまくこの関係を続けたい』という思いやり、相手に対する思いやりがどんどん希薄な環境を生み出して、コミュニケーションの不全から摂食障害に陥ってしまう。これが1番リアルじゃないかって僕は思っています」

「思いやり」という言葉の優しい響きとは裏腹に進行した残酷な現実。それは、どんな人間関係にも当てはまるものだ。

「家族関係だけじゃなくて、友達とか恋人とかにも通じる。やっぱり相手を思って、関係を壊したくないから言わない。でも、実際にはどんどん、どんどん壊れていく。深い関係になってない。コロナになってなおさら僕はそれがちょっと強まってきる気がしています。みんな相手に迷惑かけたくない、相手に気を遣わせたくない、すごい優しい思いなのに、それがだんだん人間関係を遠のかせているんじゃないかなって。もっとお互い迷惑かけまくって、助けてもらったら今度は助けて恩返しする。こうやって密になっていけばいいのに、お互い迷惑かけないようにしようとなっている。それで疎遠になって、深い関係にはなれなくて、孤独感が募る。その孤独感の裏返し、愛情を求めているから、愛を求めて愛を求めて、どんどん認められたい、自分に向けてほしい、痩せるとか、そういう外見のところに走っていく」

『渇愛』というタイトルには、摂食障害に対する岩松監督の思いが込められている。

「摂食障害というのは、愛を渇望するっていうことなんだ。だから、渇愛っていうタイトルにしたんですよね」

 元教え子は岩松監督との会話の中で、「(食べ吐きを)もう止めてもらうしかない」と話し、心身がボロボロになって施設に入った時の状態を振り返ったという。

「本人もつらかったと思います。結局、本人の意思じゃないんですよね。(拒食や過食を)やらざるを得なくなる。そのループに入っちゃうと、ゴールも何もなく、延々とやってしまう。飲食店でバイトをして、立ち直るんだって覚悟を決めても、そこでまた食べちゃう。自分でも止められないから、本当に地獄を無限ループする感じで」

 映画は完全自主制作で、無料で協力してくれるロケ地を探し、予算をかけずに仕上げた。どうにかしてこのストーリーを世の中に届けたい。その一心が原動力だった。

「僕らずっと愛知で手弁当でやっているんですよ。キャストもスタッフも。そういうやり方なので、世界に通用をするのか? という気持ちもちょっとあった。それが、15大映画祭のコンペティションに選ばれた時に、そこまで行きつけるんだって感慨深いものがあった。今後も同じようなやり方で世界に通用するような映画を作り続けていきたいですし、劇場で上映して、たくさんの人に見てもらいたいなって思います」

 映画の公開により、摂食障害への理解がより深まることを願っている。

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