アインシュタイン河井、中学1年からバイト掛け持ち 過労で倒れた過去も「給料は全額家に入れ続け、弟も大学へ」

お笑いコンビ・アインシュタインの河井ゆずるが12日、テレビ朝日系『耳の穴かっぽじって聞け!』(月曜深夜1時58分)にVTR出演。ヤングケアラーだった壮絶な過去を振り返った。

アインシュタイン・河井ゆずる【写真:ENCOUNT編集部】
アインシュタイン・河井ゆずる【写真:ENCOUNT編集部】

テレビ朝日系『耳の穴かっぽじって聞け!』

 お笑いコンビ・アインシュタインの河井ゆずるが12日、テレビ朝日系『耳の穴かっぽじって聞け!』(月曜深夜1時58分)にVTR出演。ヤングケアラーだった壮絶な過去を振り返った。

 河井は3歳から母子家庭。少年時代は「月々500円の子ども会の野球だけやらせてもらっていた」ものの、「弟は母親に『すまん。辞めてくれ』って言われてました。2人分はきつかったんかな」といった状況だったそうで、「母親が明るい性格というか、まぁ能天気というか。『貧乏で何があかんねん』みたいなタイプだったので、それで救われている部分はありましたけど、でもまぁ、今で言うヤングケアラーみたいなことだったのかな、とは思いますけど……」と告げた。

 そんな河井の母は喫茶店を経営する傍ら、知人のスナックでアルバイト。河井と弟を育てながら、祖母の入院費を工面していたという。誕生日やクリスマスで欲しいものをプレゼントしてもらえなかった子ども時代。だが中学校入学式の帰り道、河井は母に「おめでとう」と声をかけてくれたという。

 元来、明るい性格ながらも、面と向かって褒めたり、礼を言えない不器用な母。河井は「少し面食らった」そうだが、続けて、母からは「これでゆずるも働けるな」と言われたという。入学へのお祝いではなく、家計を支える戦力としての、入団通知としての「おめでとう」。以降、河井は中学1年生の終わりから、地域新聞の配達と知り合いの酒屋、乾物屋の内職とアルバイトを掛け持ちしたそうだ。

 高校2年生の時には、母が経営難を理由に喫茶店を畳んでフリーターに。更年期障害がひどく、母がパートに行けない日は、河井が代わりにアルバイトへ行っていたこともあったという。そんなある日、母から「体力の限界」とのひと言。住んでいたアパートの家賃が払えなくなり、「どうしたらいいか」と途方に暮れていたところ、飲食店街にある雑居ビル、その屋上のプレハブを紹介してもらったそうだ。

 当時について、河井は「絶望で目の前が真っ黒になったと同時に、幼い頃から吉本(興業)に入ることが夢、かなうと信じてやなまかったその夢が消えたと確信した、確信させられた瞬間」と回想。プレハブに住む条件として「酔っ払いが鳴らす非常ベルの対処」「各フロアにされる糞尿の掃除」「ビルの掃除」をしなければならなかったそうで、河井は「自分の今世は弟と母親を支える人生だ!」と心に言い聞かせていたと明かした。

 そこからはアルバイトを5つ掛け持ちし、馬車馬のように働く日々。「給料は全額家に入れ続け、弟も大学へ行かせた」そうだが、働き続けて5年、ついに過労で倒れたという。回復後は、リハビリをしながらゆっくりと就職活動を開始。何社も連続で面接に落ち、途方に暮れながらトボトボと帰っている時、生活が少しは改善したこともあってか、河井は「芸人になるなら今しかない」と思い、その足でNSCの願書を取りに行ったそうだ。

 河井は、ヤングケアラーに対して「困っているなら、もう街を歩いている人でも、近くの交番でもなんでもいいから、とにかく一人で抱えずに、周りの人に助けを求めてみてほしい」とアドバイス。「自分の環境を呪ったり、人の環境を妬んだりしても、状況はなにひとつ変わらない」とし、「どんな状況においても、自分の人生を切り開いたり、運命を変えたりするのは、やっぱり自分しかいない」「本当に笑える日は、必ず来るから」と述べた。

 ヤングケアラーとは、本来、大人が担うと想定される家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもや若者のこと。責任や負担の重さから、学業や友人関係などへの悪影響が懸念され、社会的に問題視されている。

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