貯金すっからかん→投資詐欺被害→極貧生活から資産1億円 秘密はタワマン売却…37歳女性の激動人生

20代で2度も貯金が底を尽き、すっからかんに。離婚を機にニートになり、社会復帰後は投資詐欺被害にも見舞われ、「何回こんなことを繰り返しているんだろう」。極貧生活など数々の失敗をバネに、学びの人生を歩んできた女性がいる。金融教育家の櫻井かすみさんだ。痛い目に遭いながらも金融・経済の勉強を続け、再婚・出産を経て純資産1億円を達成。30代中盤で、“億り人”に上り詰めた。激動の半生は「七転び八起き」、そのものだ。

金融教育家の櫻井かすみさんは激動の人生を歩んでいる【写真:本人提供】
金融教育家の櫻井かすみさんは激動の人生を歩んでいる【写真:本人提供】

信頼していた投資コミュニティーで詐欺被害「合計300万円」 デイトレード疲れで救急搬送も

 20代で2度も貯金が底を尽き、すっからかんに。離婚を機にニートになり、社会復帰後は投資詐欺被害にも見舞われ、「何回こんなことを繰り返しているんだろう」。極貧生活など数々の失敗をバネに、学びの人生を歩んできた女性がいる。金融教育家の櫻井かすみさんだ。痛い目に遭いながらも金融・経済の勉強を続け、再婚・出産を経て純資産1億円を達成。30代中盤で、“億り人”に上り詰めた。激動の半生は「七転び八起き」、そのものだ。(取材・文=吉原知也)

「人生のどん底があったからこそ、今の私が形成されています。これが中途半端だったら、今の私はない。そう実感しています」。37年の半生をこう振り返る。

 大阪府出身。女子校育ちだが、劣等感を抱えながら少女時代を過ごした。「京都の学校だったのですが、裕福な家庭の子が多く、私は他人と比べてばかりで、『もっとお金があれば』。そうやって子どもの頃からお金に執着する考えを持つようになりました」。

 社会人として製薬会社のMR(営業)に就職。20代前半で1度目の結婚を機に退職した。だが、「1年足らずで別居・離婚しました。収入なしで貯金がなくなり、実家に帰ることになりました」。いきなり人生の歯車が狂い、実家に戻ってからはメンタルが落ち込みがちに。「働く意欲を失い、他人と話すのも怖くなりました」。引きこもってしまった。

 家族や友人は根気強く接してくれた。20代半ばで自ら立ち上がった。「このまま人生を終わらせたくない」。ドイツ外資系の製薬会社に中途採用が決まり、再びMRとして仕事を持つことに。若さも手伝って、見事に復活を果たした。

 結果を出せばインセンティブ(報酬)がもらえる成果主義。「でも、またいつ働けなくなるか分からない。労働以外の『収入の柱』が必要だと考えて、投資を始めました」。ガンガン働いたお金を投資に回す。無一文から華麗なるバリキャリとして上昇気流に乗っていく。そのはずだった。

 落とし穴が待っていた。投資詐欺だ。「投資コミュニティーに入っていたのですが、信頼していたはずの先生から……。3件で合計300万円の被害。『海外の未公開株でもうかる』、そんなうたい文句でした。金融庁のホームページに注意喚起が掲載されているのですが、まさにこのやっちゃいけないパターンに引っかかりました。他にも『海外のある国が法定通貨にする予定があって、すごく跳ねますよ』と勧められた暗号通貨詐欺で50万円の被害に遭いました。今思うと、ありえないです。でも、いかにお金を増やせるか。当時の私はそれしか考えていなかったんです」。復活後に汗水たらして働いた貯金が一気になくなった。

 27歳の時、改めて人生を見つめ直した。「他人のせいにしない。他人に判断基準を委ねない。それに、自分で考えて行動しないと」。受け売りではなく、自分自身がきちんと知識を身に付けようと、事前に信用性をリサーチしたうえで金融・経済を学ぶ3つのスクールに通い、知見を深めた。

 MRの仕事にもまい進。収入の半分を投資に回し、再び資産形成の再スタートを切った。だが、ここでも“しくじり”をやってしまう。デイトレードにのめり込んでしまったのだ。「どんどんチャートが気になり出して、睡眠時間を削るようになりました。極度の寝不足に陥って、会社で仕事中に倒れたんです。しかも、2回も。当時名古屋のオフィスビルに勤めていたのですが、救急搬送でビル中がちょっとした騒ぎになって……」。周囲に大迷惑をかけてしまった。

 一方で、自己都合のデイトレードが原因だとは言えず、今も反省しているという。投資詐欺で資産を失ったことも「口が裂けても言えませんでした」。とんでもない秘密を抱えながら会社員生活を送っていたのだ。仕事はバリバリこなしていたが、当時は“お金恐怖症”に陥っていた。「1人暮らしをしている中で、怖くてお金が使えなくなりました。日当として1500円もらえたのですが、それで3食をやりくり。全部自炊で、お米を炊いて腐らないように梅干おにぎりを握って。コンビニにも行けず、外食は絶対無理。会社の飲み会は不参加で、さすがに余裕はあったのですが会社の同僚とのミーティングを兼ねたランチも毎回欠席していました。当時は周囲にどう思われていたのでしょうね。自分の生活のこと、お金を挽回することで頭がいっぱいで、まったく周りが見えていませんでした」と打ち明ける。

 はちゃめちゃな中で、「安定性」を身に染みて痛感。資産構成を指す「ポートフォリオ」の重要性に気付いた。「ポートフォリオの『コア』と呼ばれる土台を固めて、『サテライト』と呼ばれる積極的な投資とのバランスをとる。そうやって資産運用を見直しました。私の場合は、米国株を中心としたインデックス投資(投資信託)を土台にして、初期から取り組んでいた暗号資産、個別株、デイトレードを組み合わせていきました」。20代のうちに金融資産1000万円に到達することができたという。

今年4月に最新著書を上梓した
今年4月に最新著書を上梓した

人生の答えは「お金だけがすべてではありません」

 30歳を過ぎて、人生の大きな転機を迎えることになる。現在の夫との出会いだ。再婚後、33歳で第1子を出産する。「夫は普段仕事が忙しく、専門外のお金に関する理解や知識が全くない人でした。結婚前に私が投資のことを話し始めたら、『そんな怪しい人だとは思わなかった』と軽蔑されまして(笑)。しかしながら、今では夫は不動産を運用したり、資産管理会社を作ったりしています。こうして夫に投資を教えた経験から、『私って、人に教えることができるかも』と気付くことができました」。

 産休・育休を経て0歳児を保育園に預けながら職場復帰。ママさんMRとして仕事が充実する一方で、ふつふつと沸いてきた情熱があった。「人生このままでいいのかな、やり残したことはないのかな」。そして、決断した。「自分でビジネスをやりたい!」。

 外資系製薬会社を辞め、2022年、34歳の時に独立・起業。投資スクールを立ち上げた。「生徒さんにはパートタイマーさん、YouTuberから、億超えの経営者までいろいろな方がいます。1人1人にマンツーマンで丁寧にサポートしています」。親子向けの金融に関する講演会の仕事も増え、著作活動にも幅を広げている。昨年に初の著書『投資への不安や抵抗が面白いほど消える本』(Gakken)を出版し、今年4月、最新著書『母が子に伝えたい大切なお金と社会の話』(同)を上梓した。

 独立を後押ししたのは、やはり、投資だった。30代中盤で純資産1億円を達成。一歩を踏み出すことができた。「会社員時代は年収1000万円ぐらいあって、住宅ローンでタワマンを購入しました。不動産価格の高騰もあって、タイミングを見てタワマンを売却して、その利益を投資に回すことができ、成功につながりました」。秘密の一部を教えてくれた。

 波瀾万丈の人生を回顧すると、痛感するのがお金の正しい知識だ。早くから学び、自分で考えて自分で決めること。その大切さを、失敗を繰り返しながら、身をもって体験してきた。「お金に関する知識は子どもの頃から学んだほうがいいと考えています。その後の人生の選択肢、可能性の広がりにつながるからです。でも、お金だけがすべてではありません。より豊かな人生を送るために必要なこと。今私は、お金とウェルビーイング(幸福度)を学んでいます」。現在、法政大大学院に通い、「ファイナンシャル・ウェルビーイング向上のための金融教育プログラムと効果測定」を研究テーマに据えて、勉学を深めている。

「私には夢があります。金融教育を通して、『お金を稼ぐ・貯める』だけではなく、『安心・自立・つながり』と拡張し、本当の幸せを自分自身で見いだすことができる。そう導けるような金融教育プログラムを作りたいです。それはいっぱい失敗を経験してきた私だからこそ伝えられると思っていますし、多くの人に伝えていきたいです」。さわやかな笑顔で結んだ。

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