志穂美悦子、別名・鬼無里まりで初シャンソン単独公演 夫・長渕剛には相談せずも「遠くから応援してくれています」
シャンソン歌手・鬼無里まり(きなさ・まり=69)が4日、東京・渋谷のJZ Bratで、初のワンマンライブ「ChansoniX~Un 1」を開催し、『愛の讃歌』『赤いポスター』など23曲を披露した。鬼無里は元俳優で、フラワーアーティストとして活動する志穂美悦子のもう1つの姿。歌手・長渕剛(68)の妻でもある。長渕については「遠くから応援してくれています」と話した。

共演は…「お互い嫌」
シャンソン歌手・鬼無里まり(きなさ・まり=69)が4日、東京・渋谷のJZ Bratで、初のワンマンライブ「ChansoniX~Un 1」を開催し、『愛の讃歌』『赤いポスター』など23曲を披露した。鬼無里は元俳優で、フラワーアーティストとして活動する志穂美悦子のもう1つの姿。歌手・長渕剛(68)の妻でもある。長渕については「遠くから応援してくれています」と話した。(取材・文=笹森文彦)
鬼無里は昨年6月にシャンシン歌手として活動をスタート。これまで奈良・薬師寺での献歌など、ゲストとして歌唱で経験を積んできた。本格的なソロライブはこの日が初めてで、会場は満席となった。シャンソンの王道曲、華やかなパリの歌、大人の女性の愛の歌、平和と自由の歌などでステージ構成。『水に流して』『愛の讃歌』『なぜ私に愛を語らない』『遠い道』『生きる時代』などを情感たっぷりに、曲によってはダンサーを従えて歌った。
『赤いポスター』では、歌唱だけでなく、俳優時代に培った視線の動きや身ぶりなどの表現力でも観客を魅了した。ナチスドイツ占領下のフランスで、民衆の恐怖心をあおるため処刑されたパルチザン(民間の非正規兵)の顔写真を掲載した赤いポスターが、パリの壁中に貼られた。パルチザンの1人が銃殺直前に妻に書いた手紙を基にした曲だ。
昨年11月、鬼無里はパルチザンのリーダーの名前が付けられたパリ20区の通りを実際に訪ねて、過去の悲劇と向き合ってきた。そして、同月末に開催された「日本シャンソンコンクール2024」に同曲で初出場し、準グランプリにあたる優秀賞を受賞した。
鬼無里は選曲について「伝えたいことを全部入れました。芸名を『鬼無里』にしたように、愛と平和と自由のために歌っていきたいという思いは強いです」と話した。「鬼無里」は長野県に実在する地名で、かつて訪れた際に「鬼のいない里」という響きに魅了されて芸名にした。芸名にシャンソン歌手の使命を込めた。
志穂美悦子としては、日本初のアクション女優として一時代を築いた。1987年に長渕剛と結婚し、芸能界を引退した。長渕の事務所の社長を務める傍ら、独創的に花や木を生けるフラワーアーティストとして活動してきた。シャンソン歌手は芸能活動の再開でもある。
もともとシャンソン愛好家で、20代前半から東京・銀座にあったシャンソンの殿堂「銀巴里」に通うほどだった。映画の撮影の打ち上げなどで、シャンソンの名曲で十八番の『ろくでなし』を歌った。ずっと日常にシャンソンがあった。

挑戦の理由は「シャンソンは何歳からでも歌える」
そして、シャンソン歌手を目指した理由を「この年齢になると、いろんな経験をしてきました。その思いがまるで鉄砲水のように勢い良く飛び出してきた。シャンソンは何歳からでも歌える。時代を乗り越えてきたからこそ歌える。先を夢見て、毎日毎日アクションの練習をしていた、あの10代のころ(の情熱)と似ています」と話した。
初のワンマンライブは緊張したというが、「大きな船出ができました。緊張もしますけど、いい刺激になっています。挑戦することでキラキラさせてもらっている。シャンソンが今の私の原動力になっています。新たな人生です」。ただ、長渕には歌手としての相談などはしていないという。
「(長渕は)遠くで応援してくれています。どこまで自分の感覚をつくれるか。それをまだ分かっていないので、1人で試したいです」
そして、将来は長渕と共演するかを問われると、「お互いに嫌だと思います」と言って笑った。
