アントニオ猪木による日本プロレス最後の試合 実弟が「ナイフを隠し持って」見守っていた理由
猪木元気工場の猪木啓介新社長が上梓した「兄 私だけが知るアントニオ猪木」には興味深い記述が数多く存在する。身内だけしか知り得ない証言が散見されるからだ。そこで今回は著書にある気になる記述を本人に深掘りして聞いてみた。

現在の退団劇と比べると隔世の感
猪木元気工場の猪木啓介新社長が上梓した「兄 私だけが知るアントニオ猪木」には興味深い記述が数多く存在する。身内だけしか知り得ない証言が散見されるからだ。そこで今回は著書にある気になる記述を本人に深掘りして聞いてみた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
最近、“スターダムのアイコン”岩谷真優が14年間在籍していたスターダムを離れ、マリーゴールドに入団することが公になった。岩谷が業界屈指のスターダムにあってトップ選手だったことを考えると、SNS上では賛否は起こっても、それ以上、物騒な話に発展していくことは考えにくい。
しかしながら50年以上前の退団騒動は大きく違っていた。それはA猪木が当時所属していた日本プロレスでの最後の試合を例に取ると分かりやすい。
1971年12月7日、北海道・札幌中島スポーツセンター。この日、A猪木はジャイアント馬場とBI砲を結成し、王者組としてザ・ファンクスの挑戦を受けたインターナショナルタッグのタイトル戦に臨んだ。
当時、ブラジルから日本に来ていたA猪木の実弟・啓介氏は、「力道山時代からプロレスラー兼レフェリーとしてリングに上がっていたユセフ・トルコ」から「詳しいことはあとで話す!」と言われ、会場には「これを持っておけ」と折りたたみ式のナイフを手渡される。
しかも、さらに奇妙な指示を受けるのだ。
「試合が終わる。その後、イノキは仲間から襲われるかもしれない。そうなったら啓介、リングに走って兄貴を救うんだ」
この時遭遇した“不穏な状況”を啓介氏に改めて確認すると、「あの会場には舞台があったんだよね。だからカーテンの裏で僕はずっと見ていたんだけど」と話したが、結局、何事もなく試合は終了。著書には「一体、何だったんだ……」と緊張から解き放たれた、とある。
もちろん、注目されるのはA猪木が襲われるかもしれなかった理由だが、それに関して著書には次のようにつづられている。
「後から分かった話だが、放漫経営の日プロ幹部たちを告発していた兄貴は、団体を追放される寸前だった」
そのため、日本プロレス内部では密かにこんな“指令”が飛び交っていたという。
「自暴自棄になっている猪木は、札幌のファンクス戦でテリーにセメントを仕掛け、NWAの看板商品をブチ壊しにかかる気だ。もしそうした状況になった場合は、若手全員でリングに乱入し、猪木を全員で潰すこと」

「以心伝心、(タイガー)ジェット・シン」
「この時は、日プロ内で数少ない『猪木派』だったトルコさんが動き、私を援軍として動員したわけだ」
ただしこの時は「結局、兄貴がテリーに仕掛けることはなかったため、若手選手が実力行使に動く事態は回避された」とある。
この話を改めて確認すると、啓介氏は「もしかしたら試合が終わった後、たしか兄貴がジャイアント馬場さんを攻めるだろうっていう話で、若手たちがそうなった時にA猪木をやっつけろっていう話になっていたらしいですよ」と話した。
ちなみに「セメント」とはプロレス界の暗黙の了解を超えて仕掛けることを指すが、この部分だけに焦点を当てると、A猪木が仕掛けようとしたのはテリー・ファンクだったのかG馬場だったのか。それは定かではないものの、いずれにせよ、A猪木の周りが「敵だらけ」で、のっぴきならない不穏な空気が流れていたとのユセフ・トルコの認識は、この試合を最後にA猪木が日本プロレスを追われてしまうことから間違いはなさそうだ。
興味深いのは、上記のような話をA猪木本人と改めて話したことがあるか、と啓介氏に訊(たず)ねた際、意外な答えが返ってきたことだろう。
「いや、話はしない」
啓介氏はそう答え、以下のように話を続けた。
「不思議なことに兄貴は、俺が何か言おうとすると、『何も言わなくていいよ。もうお前の言いたいことは分かっているから』って。だからお互いに話をしないで通じ合うっていうか、そういう感じだったんですね、ずーっと。兄貴が俺に何かを言う時は命令する時だけだからさ。相談なんてのは一度もなかったね」
これをA猪木流に言えば、「以心伝心、(タイガー)ジェット・シン」と得意のダジャレで評するのではないかと推測するが、実の兄弟であればこその信頼関係がそこにはあったのは間違いない。考えてみれば、A猪木と啓介氏には5歳の差がある。それだけ年齢が離れていればケンカをしたところで相手になるはずがなく、A猪木にとって啓介氏は、いつまでたってもかわいくてしかたがない存在だったと思えてならない。今回の著書を読み、改めて啓介氏の話を聞いて、さらにそれを確信できた気がする。
