万博、開会式は超厳戒態勢 出席の桂文枝が明かす「パスポートがいった」…帰りのバスが大渋滞
落語家・桂文枝(81)が14日、MBSラジオ『桂文枝の茶屋町ホテル』(月1回、月曜午後7時)に出演。出席した大阪・関西万博の12日・開会式、13日・開幕を振り返るとともに、1970年開催の大阪万博を思い返した。

MBSラジオ『桂文枝の茶屋町ホテル』
落語家・桂文枝(81)が14日、MBSラジオ『桂文枝の茶屋町ホテル』(月1回、月曜午後7時)に出演。出席した大阪・関西万博の12日・開会式、13日・開幕を振り返るとともに、1970年開催の大阪万博を思い返した。
文枝は、13日について「いきなり雨のスタートっていうか。来られた方も気の毒だったと思います」と話した上で、「今回の大阪万博、いろんなことを言われましたですけども、いろいろなパビリオンがあって、たくさんの(世界各国の)人を見るだけでも、ワクワクするっていうか、楽しかったですね」とコメント。オープニングイベントに参加した所属する吉本興業のパビリオン『よしもとwaraii myraii館』もPRした。
シンボル『大屋根リング』の大きさに触れた文枝は、会場について「ホントに広いんですよ」と言い、建設前に見学した際は何もなく、ただ広々としていただけで「こないなとこに建つんかいな」と半信半疑だったとした。半年間の開催中、毎日のように小さなトラブルはあるはずといい、「大変だと思います」と多数の来場者を迎える運営を気遣った。
12日の開会式については「パスポートがいったんですよ」と超厳戒態勢だったことを打ち明けた。吉本からは社長と2人だけ出席。集合は大阪市のホテルニューオータニで、そこから2000人がバスで送迎されたとした。特に帰りが出席者のバスで渋滞したという。
文枝は55年前の大阪万博にも言及。当時オープニングの司会を務めたといい、「55年前は(期間中に)何回も出ましたですけども、オープニングでは(笑福亭)仁鶴師匠、森光子さん、渥美清さん、すごい皆さんと一緒にやらしていただきました」と明かした。ゲーム体験のイベントも覚えているといい、「あのころからゲームみたいなのが入って来たんじゃないですかね。テレビゲームみたいなの」と話した。そのころからファミリーレストランやケンタッキーフライドチキンなども広まったという。
すでに人気者で、土曜日の深夜ラジオ『MBSヤングタウン』終わりで東京移動のスケジュールだったという文枝。当時のMBSの所在地が吹田市で、万博開催地と近隣だったため大変な混雑だったという。70年万博について「私はいろいろ『月の石』とかありましたけど、一番楽しみだしたのは、初めて知った『コンパニオン』という言葉なんですよ」と告白。「各パビリオンのコンパニオンがいろんな服を着ておられてね。それが素晴らしかったですね。時代の先端を行くような、ファッションデザイナーが作った。外国の方をあんなにたくさん見たのはEXPO70、あのときが初めてでした」と続けた。
また、当時、親交の深かった退職済みのMBSアナウンサーとの裏話を披露した。英語ができる男性アナは外国人女性に声をかけて友達になっていたと暴露。「うらやましかった。『私も英語ができたらなあ』って思いました。ですから、Sアナウンサーはいろんなコンパニオンとお付き合いしたと思いますけど、私は1人も外国のコンパニオンとはお話しできませんでした」とおどけながら回想。最後に「『月の石』とか『人間洗濯機』とか『電気自動車』とか、いろんなものが珍しかったですけど、やっぱりコンパニオンがカッコよかったです」とまとめた。
