三國連太郎さん、十三回忌法要「脚本は書き込みがすごく」…参列者のスピーチに息子・佐藤浩市、孫・寛一郎が感謝
俳優の三國連太郎さん(享年90)の十三回忌法要が命日の14日、東京・調布の角川大映スタジオで営まれた。共演などで縁のあった俳優、関係者ら400人が参列。長男の俳優・佐藤浩市は「雲の上で聞いてくれていたと思います」と北大路欣也、浅田美代子、渡辺えり、小林薫らのエピソード入りスピーチに感謝し、佐藤の息子で三國さんの孫の俳優・寛一郎は「三國さんに恥ずかしくない作品を残していければ」と誓った。

佐藤「雲の上で聞いてくれたと思います」
俳優の三國連太郎さん(享年90)の十三回忌法要が命日の14日、東京・調布の角川大映スタジオで営まれた。共演などで縁のあった俳優、関係者ら400人が参列。長男の俳優・佐藤浩市は「雲の上で聞いてくれていたと思います」と北大路欣也、浅田美代子、渡辺えり、小林薫らのエピソード入りスピーチに感謝し、佐藤の息子で三國さんの孫の俳優・寛一郎は「三國さんに恥ずかしくない作品を残していければ」と誓った。
これまでの愛車遍歴は50台以上…「車検に通したことがほとんどない」と語る歌手のクルマ愛(JAF Mate Onlineへ)
会場内のスクリーン左手には、三國さんが活躍していた時代の映画撮影現場のオブジェが置かれた。三國さんのトレンチコート、帽子、バッグ、劇用指輪、葉巻パイプ、杖などもあり、会場後方には、特殊メイクの江川悦子さんが作成した生前の三國さん、佐藤、寛一郎の親子三代デスマスクも展示された。司会の笠井信輔氏から三國さんとのエピソードを振り返りながら開会。三國さんの85歳当時のインタビュー映像が流れた後、佐藤家を代表して佐藤があいさつし、その後、三國さんと縁の深かったゲストによる心温まるスピーチが続いた。
小林「よく飲みに行っていました。三國家を訪ねるツアーをして、三國さんはお酒は飲まないけど、いつも本当に楽しそうにしていました。三船(敏郎)さん主演・近藤勇役を演じた『新選組』では、芹沢鴨役の三國さんが人間の業を圧倒的に出されて、主演の三船さんを上回るお芝居で負けず嫌いな姿を見せてくださいました」
渡辺「1988年の舞台『ドレッサー』で夫婦役で共演した時からの縁です。稽古初日に三國さんの台本が真っ黒で、600回台本読んで来られたと聞き驚きました。奥深く豊かな人柄に虜になってしまい、自分も引っ越して近所になって頻繁に飲むようになりました」
浅田「14本共演した『釣りバカ日誌』は、途中参加だったけれど、温かく迎えてくれました。三國さんは普段は楽しい人でしたが、脚本は書き込みがすごくて、西田さんとけんけんがくがくの議論が続き、撮影できなかった日もありました。『息子』では父と娘の役柄を演じました。メイク室で、役柄に合わせて、爪の中に汚しを入れて(役作りをして)いるのを見て、驚いた思い出があります」
北大路「急きょ、キャスト変更があった作品で三國さんが稽古場に来て助けてくださったことを思い出します。 本当に救いの神で、静かに現場を盛り上げてくださった。一方で役柄からセットで会うのも怖かった作品もありました。『八甲田山』の撮影では、絶対に納得がいかないとOKが出ないこともありました。それでも40日間の過酷な雪山撮影で三國さんは文句を言わず、役者魂をぶつけられたような気がします」
会場では三國さんの活躍を振り返る映像が随所に流れ、最後に佐藤と寛一郎があいさつをし、会が締めくくられた。
佐藤「これだけの方々が来て下さって昨日のことのように三國の話をしてくださる。雲の上で聞いてくれていたと思います。今日の会で一生懸命手伝って下さったスタッフの皆さま、本当にありがとうございました」
寛一郎「皆さんの話を聞くと、(三國さんは)エゴイストでクレバーな方だなと思いました。僕は三國さんの思いを受けてアクターにもスターにもならず、このまま邁進していきたいと思います。最後に一つ言えることは三國さんに恥ずかしくない作品を残していければと思います。今日はありがとうございました」
三國さんは1951年の木下恵介監督『善魔』の主役に抜てきされてデビュー。この時の役名がそのまま芸名となり、迫力ある風貌と高い演技力で存在感を示してきた。『ビルマの竪琴』『飢餓海峡』『神々の深き欲望』など、市川崑監督、今村昌平監督ら名監督の作品に出演。88年からは『釣りバカ日誌』シリーズに会社経営者の「スーさん」役で出演し、ユーモアあふれる演技で楽しませた。監督を務めた87年の『親鸞・白い道』ではカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した。長男の佐藤とは96年の映画『美味しんぼ』で本格的に初共演を果たした。13年4月14日に死去。その4年後、17年に寛一郎が俳優デビューした。
