【プロレスこの一年 #7】真夏の祭典「G1クライマックス」蝶野正洋が初優勝した91年の第1回をプレイバック
例年のプロレス界ならば、この時期は新日本プロレス「G1 CLIMAX」の話題で持ちきりだ。が、今年に関しては東京オリンピック(新型コロナウイルス禍で延期になってしまったが…)を考慮し、史上初めて秋に開催されることになっている。いまやG1は日本マット界のみならず、世界中どこを探しても見当たらないほどのスケールと過酷さを誇る最強決定リーグ戦。来年以降は再び真夏の祭典となるのだろうが、その原点はいまから29年前の1991年(平成3年)に遡る。あのとき舞った“座布団の雨”が、マット界の夏の風物詩を決定づけたことは間違いない。
1991年 第1回G1クライマックスで闘魂三銃士時代が到来!
例年のプロレス界ならば、この時期は新日本プロレス「G1 CLIMAX」の話題で持ちきりだ。が、今年に関しては東京オリンピック(新型コロナウイルス禍で延期になってしまったが…)を考慮し、史上初めて秋に開催されることになっている。いまやG1は日本マット界のみならず、世界中どこを探しても見当たらないほどのスケールと過酷さを誇る最強決定リーグ戦。来年以降は再び真夏の祭典となるのだろうが、その原点はいまから29年前の1991年(平成3年)に遡る。あのとき舞った“座布団の雨”が、マット界の夏の風物詩を決定づけたことは間違いない。
いまとなっては意外だが、もともとG1はG1ではなかった。リーグ戦の名称が「G1クライマックス」とはいえ、開幕戦の名古屋は「サマーナイト・フィーバーIN名古屋」、史上初の両国3DAYSが「バイオレント・ストームIN国技館」という大会名だったのだ。エントリーされたのは8選手で、2ブロックに分かれての総当たりシングルリーグ戦。メンバーが発表された時点では藤波、長州、ベイダーといったところが優勝候補筆頭だった(Aブロック=藤波辰爾、武藤敬司、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー。Bブロック=長州力、橋本真也、蝶野正洋、クラッシャー・バンバン・ビガロ)。
ところが、開幕早々、ノーマークの蝶野が本命の長州を破る大波乱。この敗戦が響いたか、長州は1勝もできず公式戦全敗というまさかの結果を残してしまう。対照的に飛躍したのが武藤、橋本、蝶野の闘魂三銃士だった。武藤は藤波からの初フォールを奪い、橋本も黒星なしで勢いに乗った。最終戦の8月11日には、Aブロックトップの武藤が決勝進出、Bブロックでは公式戦で引き分けた橋本と蝶野が同点で並び、決勝進出者決定戦をおこなった。試合は蝶野が橋本を下して一日2試合目となる決勝戦へ。同期対決となった決勝は、蝶野がハンディを抱えながらもパワーボムで武藤を破り初優勝。三銃士のなかでも当時もっとも地味だった蝶野のリーグ戦制覇。このビッグサプライズにより、場内では枡席に用意されていた座布団が次々とリングめがけて投げ込まれた。試合後には橋本もリングに上がり2人を祝福。乱舞する座布団とともに、プロレス史上に残る名場面となったのだ。この成功により、G1は夏の風物詩として定着することになるのである。
新日本での世代交代が形となって現われたこの年、91年のマット界は新生UWFの三派分裂という衝撃で幕を開けた。選手会ミーティングで前田日明がUWFの解散を宣言し、藤原喜明の藤原組、高田延彦のUWFインターナショナル、前田のリングスが誕生した。前年までの大ブームはあっけなく崩壊したが、元UWFの三派はそれぞれのカラーを前面に打ち出し生き残りを図っていく。藤原組がカール・ゴッチを顧問に迎えSWSと業務提携、Uインターは「プロレスこそ最強」と“プロレス最強説”の実証に取りかかった。かつてのアントニオ猪木のような異種格闘技路線に動いていくこととなるのだ。また、三派のなかでもっとも格闘技色の濃いリングスは世界的ネットワークを構築。いままでのプロレスではあまり見ることのなかった国から選手を招聘し、新たなるスターを発掘していくようになる。