【連載 ズバリ!近況】「翔んで埼玉」挿入歌「なぜか埼玉」を歌うさいたまんぞうさんは「営業ほしい」と…
2019年もっとも話題になった映画のひとつ「翔んで埼玉」。埼玉をディスりまくった魔夜峰央の同名漫画が原作だが、過剰な忖度が要求される今の風潮を笑い飛ばしていて爽快だ。本作の挿入歌「なぜか埼玉」のナンセンスな歌詞と茫洋とした歌声も作品にマッチして印象に残る。♪ここは埼玉~と歌っているさいたまんぞうさん(70)を懐かしく思った向きもあるだろう。さいたさんにもヒットの恩恵はあったのだろうか!?
「翔んで埼玉」特需にはあずかれず
2019年もっとも話題になった映画のひとつ「翔んで埼玉」。埼玉をディスりまくった魔夜峰央の同名漫画が原作だが、過剰な忖度が要求される今の風潮を笑い飛ばしていて爽快だ。本作の挿入歌「なぜか埼玉」のナンセンスな歌詞と茫洋とした歌声も作品にマッチして印象に残る。♪ここは埼玉~と歌っているさいたまんぞうさん(70)を懐かしく思った向きもあるだろう。さいたさんにもヒットの恩恵はあったのだろうか!?
「翔んで埼玉」がヒットした恩恵? 私が公開しているYouTubeやツイッターのアクセスが数千単位で増えました。あと、ラグビーワールドカップを盛り上げるための”チーム埼玉”のアンバサダーに選んでいただきました。埼玉といえば私を思い出していただけるとはありがたい。もう埼玉さまさま、私は埼玉に育てていただいたようなものなので、余生は埼玉の長瀞町あたりで送りたい、と思っているほどです。
でも、恩恵はそれくらい。「なぜか埼玉」は映画の中で効果的に使われているんですけどね。製作側から私にちょっとボーナスが入る、ってこともありませんでした。「なぜか埼玉」は1980年に作詞作曲した秋川鮎舟さんが自主制作し、翌年、フォーライフ・レコードから商業販売された時に、すべての権利を売っ払っちゃったんで、それもしかたがないのですが。
そもそも、「翔んで埼玉」の中で使われそうだってことさえ知らなかったんです。実写化される、ということを、宅配で取っている日刊スポーツの記事で見つけて、マネージャーに売り込んでもらったんです。そうしたら「脚本の段階で使うことが決まりました」と言われました。映画が完成した際には初号の試写会に呼んでいただきました。劇場でも観ましたけど、若い人はここで笑うのか、とオヤジとのポイントの違いが不思議でした。私としては、歌の営業の仕事なんかが入ってくれたらいいんですけどねぇ。
「なぜか埼玉」発売当時はおしぼりを投げつけられた
「なぜか埼玉」なんてご当地ソングを歌っていても、出身は岡山県なんです。1960~70年代に”御三家”と人気を博した西郷輝彦さんに憧れて、高校卒業後に上京しました。バンドボーイや付き人、ドラマーなんかをやっていまして、ドラマーの先輩の秋川さんに「なぜか埼玉」を歌え、と命じられるままに歌った、という経緯です。とはいえ、嬉しかったですね。歌手に憧れ上京したものの、親戚に「歌手じゃ食えないよ」と言われ諦めていたので、レコードが出せるなんて一生に一度の機会だと。
秋川さんは群馬や栃木のご当地ソングを作っていて、その流れで埼玉の歌を作ったんです。秋川さんの制作意図も”なにもない埼玉”のイメージだったので、こぶしなしの演歌にしたかった。だけど、演歌歌手や演歌歌手志望の子たちには「そんなの歌いたくない」と何人にも断られたそうです。それで、しかたなく、最初からこぶしを回すことができない私にお鉢が回ってきました。
秋川さんからの注文は「メロディは完璧に覚えてくれ」ということだけで、レコーディングでは2、3回歌っただけ。4か月間、埼玉限定でカラオケスナックや居酒屋をキャンペーンして回りましたが、本格的なレッスンを受けたことはないので、お客さんの「○○歌ってよ」という注文にはこたえられません。歌が上手でもない。それじゃキャンペーンしても売れるわけがありませんよね。おしぼりを投げつけられたり、「帰れ!」と怒鳴られたり……。まぁ、売れても売れなくても、月給10万円をいただけたので気楽だったなあ、と思います。ドラマーとかでは食うや食わず、でしたから。
タモリの人気ラジオ番組でブレイク
「なぜか埼玉」が話題になったのは、誰かが人気ラジオ番組「タモリのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)に「こんな歌があるよ」って投稿してレコードを送ってくれたから。それをタモリさんが面白がって何週も番組でかけ続けてくれたんです。それで、フォーライフ・レコードから商業販売されました。テレビやラジオにバンバン出るようになったんですけど、当時も営業の話は入ってきませんでしたねぇ。10万円ももらい続けるのが申し訳なくて、その81年の年末には会社にお給料を返上したくらいでした。
「もったいないことをしたんじゃないか」とハタと気づいたのは、それから3年後。自分で売り込んだら、東京・新宿の「歌舞伎町クラブハイツ」でショーをやらせていただけるようになりました。30分2ステージで3万円。ブームのときなら、1ステージ50万円くらいでやれたんじゃないかなぁ。ただ、1曲代表曲を持つだけでも大変なのが歌手の世界。それを下積みなしの1曲目で持つことができたので、長年歌っている方に羨ましがられますよ。
「なぜか埼玉」をみなさんに聞いていただいた7年後の88年から10年近く、「そこが知りたい」(TBS)という情報番組のレポーターをやらせていただきました。お金はそのときに結構いただきましたね。
今は年金生活でノンビリ
今は基本、年金生活です。国民年金だから少額しかありませんけど、払えるときにはちゃんと払ってきたんですよ。
お仕事は奇数月の下席(21~30日)のうちの3日間、浅草フランス座演芸場東洋館で”歌う審判”として歌のステージをやらせていただいています。それ以外は司会や余興を単発で。仕事がないときはテレビでドキュメンタリーを観たり、図書館通いをしたり。元野球選手のエッセイなどを楽しんでいます。
野球少年だったので、上京後も草野球を楽しみ、30歳からは草野球の審判をやっていましたが、2年前、心房細動と指摘され自粛しています。治療は民間療法だけでカテーテル手術や投薬治療は受けていません。自覚症状がないので、「倒れたときはそのときだ!」と思って。定期検診だけはきっちり受けるようにしています。
結婚はしていません。東京・中野のマンションで1人暮らし。若い頃は同棲していたこともありますけど、小心者だから結婚して責任ある立場になることができなかったんです。苦労から逃げてきちゃったなぁと思っています。
□さいたまんぞう 1948年12月9日、岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)生まれ。私立・津山基督教図書館高校機械科卒業後、上京。81年、コミックソング「なぜか埼玉」(フォーライフ・レコード)でブレイク。バラエティや情報番組で活躍した。2001年、デビュー20周年記念全曲集「生存証明」(フリーボード)リリース。