パラ五輪メダリスト…全盲柔道家・半谷静香が畳に上がる理由「ルールで守られている柔道はよっぽど安全」
2024年、フランス・パリで開催された五輪・パラリンピックでは、さまざまな意味で柔道に注目が集まった。その中で、視覚障害者柔道女子48キロ級J1クラスに出場した半谷(はんがい)静香が銀メダルを獲得。実は12年前、半谷は、1992年バルセロナ五輪銀メダリストでもある“暴走王”小川直也に指導を受けていた。
半谷「直接(小川直也に)御礼を言うことができて幸せ」
2024年、フランス・パリで開催された五輪・パラリンピックでは、さまざまな意味で柔道に注目が集まった。その中で、視覚障害者柔道女子48キロ級J1クラスに出場した半谷(はんがい)静香が銀メダルを獲得。実は12年前、半谷は、1992年バルセロナ五輪銀メダリストでもある“暴走王”小川直也に指導を受けていた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
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12月22日、神奈川・茅ヶ崎にある小川道場に半谷静香の姿があった。その日、小川道場では小・中学生の道場生と保護者が参加した、恒例の納会を兼ねたXマスパーティーが開催されていたが、半谷も小川直也に銀メダル獲得の報告がてら出席。実際に銀メダルを持参しただけではなく、その場にいた出席者全員に銀メダルを回し、重さや手触り、デザインなどを確かめてもらっていた。
その一部はYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」に公開されているが、両者は12年前、4大会前のロンドンパラリンピックを半谷が目指すにあたり、小川の力を借りて稽古をつけてもらっていたという。
「当時はめちゃくちゃ弱いし何もできなかったんですけど、4大会分の12年という時間をかけて、やっとメダルを取ることができました。いろんな人の指導があって、その時々の指導があってようやくつながり、自分の実力となってメダルを取ることができたので、今日は直接、御礼を言うことができてよかったなと。幸せだなと思っております」
半谷がそう報告すると、Xマスパーティーのためサンタクロースに扮した小川から、「おめでとうしか言葉が出てこない。よく頑張ったと思う。やっぱ12年、モチベーションを保ちながら目標に向かっていくってことは、並大抵の努力じゃできません。常にメダルを取りたいんだ。頂点に登り詰めたいんだという気持ちを持ち続けること。彼女のモチベーションの持っていき方は尊敬に値します」と称賛の言葉を送られた。
半谷は小川道場で練習していた12年前を振り返り、「当時は、今みたいに全く見えないわけではなくて、ちょっと姿が見えるくらいの視力があったんですけど、その12年間の間に病気(網膜色素変性症)が進行して全く見えなくなってしまったりとか。(2022年6月には)前十字靱帯を切って手術をしたりとか、いろんな苦労はありましたけど、ひたすらあきらめなくてよかったっていう言葉にしか尽きないなと思っています」とひとつの目標にたどり着いた心境を明かした。
素朴な疑問ながら、なぜそこまでして柔道を続けるのか。
この問いに半谷は、「まず言えるのは、私の生活は不自由なことはいっぱいあるんですけど、畳の上では自由だなと思っていて。スポーツって結局、ルールで守られているから、危ないようで、一番安全な場所っていう認識なんです、私にとっては。『畳の上での平等』と言う言葉があるんですけど、私にとっては『畳の上は自由な場所』って言うふうに捉えていて、練習とか試合とか、そういう気持ちで挑んできました」と話すと、傍にいた小川も「畳の上は自由な場所なんだ。その発想は俺にはなかった」と驚きを隠せない様子だった。
小川「金メダルを目指している時にはメダルは取れない」
続けて半谷が「よっぽど、電車とか駅とかホームとかクルマに轢(ひ)かれそうになるとか線路に落ちる方が、私たちにとっては全然危ないこと。だけど、ルールで守られている柔道は、よっぽど安全です」と話したが、非常に考えさせられる驚きの言葉だった。
小川からすれば、教え子が殊勲を挙げて戻ってきたのだから喜ばしいのは当然だが、「嬉しいですね、当時を思い出してくれるっていうのはね」と語り、改めて言葉に出されると、半谷としても嬉しくないはずがない。
実際、この言葉を受けて半谷は、「当時、ロンドン五輪を目指している時に小川先生から言われた、『金メダルを目指している時にはメダルは取れない。圧倒的な優勝を目指さなければメダルは取れない』って言う言葉が励みになっていた」と語りつつ、「今回は決勝戦で負けちゃったんですけど、全力は出し切っての銀メダルなので、納得の銀メダルだなと思っています」と話した。
各々の状況にもよるが、接することがない人にとっては、半谷のような全盲の柔道家に接する機会はほとんどない。その点で言えば、その場にいた小川道場の関係者は、五輪以上にパラリンピックの存在が近くなったに違いない。
ちなみに、通常の柔道とのルールの違いについて半谷は、「組んでからの組み手がない。それだけの違い」と話していたが、頂点を目指して研鑽を重ねる、という意味ではどんなジャンルにも変わりがない。
とはいえ、半谷は「(目が)見えない選手にどう関わっていいのか、手を差しのべにくいかなと思うんですけど、こうやって身近なところでブラインドの選手がいるって思うと、関わりやすくなったり身近に思えたりすると思うので、パラリンピックの視覚障害者柔道の普及も同時に発展していけたらいいなと思っております」と話し理解を求めた。
また、半谷は今回のパリパラを振り返り、「現地で帯状疱疹が出たりいろいろあったんですけど」と話していたが、それでも「今回はたくさんの人にサポートしてもらっていて。JSC(国立科学センター)のサポートを受けていたりとか、強化チームに万全のサポートをしてもらったり。あとは今のコーチが現地に来てくれたり。いつも通りのコンディショニングができたのがベストパフォーマンスで臨めた要因だと思っています」と、4大会目の出場にして、銀メダルが獲得できた理由を明かした。
最後に小川が「頑張ってほしい。これからまだやるんでしょ?」と訊ねると、「(2028年の)ロス(パラリンピック)を目指して頑張ります」と答えながら、「今、36歳なので、次のパラは40歳なんですけど、カラダが持てば……はい」とニコリ。メダルを獲得してもさらに挑戦をあきらめない半谷の姿勢は、銀メダルを獲得した、という“過去”ではなく、すでに“未来”を見据えている。