麻雀界の“1000万円プレーヤー”へ 41歳元Jリーガー・田島翔、二刀流&海外挑戦で目指すパイオニアの道
麻雀界はプロ麻雀リーグ「Mリーグ」が人気を博し、「eスポーツ」に負けないエンターテインメントになりつつある。史上初めてJリーグ出身のプロ雀士となった田島翔は、麻雀とサッカーの“二刀流”で最高峰の舞台を目指す。そのステップの一歩として、ブラジルで新たな挑戦も試みている。
【後編】田島翔…プロ雀士でありながらブラジルで選手兼ダイレクターに挑戦
麻雀界はプロ麻雀リーグ「Mリーグ」が人気を博し、「eスポーツ」に負けないエンターテインメントになりつつある。史上初めてJリーグ出身のプロ雀士となった田島翔は、麻雀とサッカーの“二刀流”で最高峰の舞台を目指す。そのステップの一歩として、ブラジルで新たな挑戦も試みている。(取材・文=小田智史)
かつてJ2リーグのロアッソ熊本に所属した経験を持ち、サッカー選手として日本以外にスペイン、クロアチア、アメリカ、ニュージーランド、サンマリノ共和国、韓国、シンガポール、ブラジルと計8か国でプレーしてきた田島。2022年7月、プロ麻雀リーグ「Mリーグ」認定されているプロ団体の1つ「RMU」の入会試験に合格し、史上初となる“元Jリーガーのプロ雀士”となった。
サッカーと麻雀の“二刀流”は41歳となった今も続けており、今年11月には、ブラジル・パラナ州3部のポルトゲーザ・ロンドリネンセに選手兼ダイレクターとして入団した。「ブラジルでプレーすることが小学生の頃からの夢だった」。契約は25年12月末までの1年間で更新オプション付き、自身の年齢も踏まえて指導者とは違う関わり方を望んだ。
「選手としてまだ引退していませんが、もう40歳を超えているし、いつかは引退しないといけない。指導者よりはクラブ強化に関わる仕事を望んでいた中で、ダイレクターの話を頂いた。これまで8か国を渡り歩いた経験やコネクションを生かせると思います。昔は『日本人=サッカーが下手』というイメージが海外ではありましたが、今は全くそんな感じはしません。『日本のレベルは高くなった』と聞きますし、僕のサッカースクール(埼玉県を拠点にした『アリエテ・サッカースクール』)の子どもたちを現地のアカデミーに参加させ、技術向上を図るチャンスを与えていきたい。ダイレクターとして次のステージを見据えながらも、まだまだ体は動くので、選手として2部昇格に貢献したいです」
現在パラナ州3部に所属するポルトゲーザ・ロンドリネンセは、1950年設立と歴史があり、2006年にパラナ州2部で優勝を飾っている。エドソン・モレティ会長は田島との契約について、「我々がすでにブラジル国外への事業拡大を検討しているこのタイミングを利用し、ダイレクター及び日本コミュニティの代表者に田島翔選手を任命しました。彼が自分の役割をうまく発揮できることを願っていますが、私たちにとって最も重要なことは、ブラジルとすばらしい歴史を持つ日本との友好の絆を深めることです」と、その意図を語っている。
ブラジル挑戦の“デメリット”はリーグ戦欠場による減点
今回のブラジル遠征では、クラブが拠点を置き、約2万人の日系人が在住するロンドリーナの大学で講演を行ったほか、11月にはサンパウロで行われたブラジル麻雀協会主催の麻雀大会に参加し、ブラジル人や日系人と交流した。田島は「サッカーと麻雀の二刀流に挑戦している僕だからできること」と自負する。
「ブラジルでは健康麻雀の会員が300人ほど。日本式が採用されていて、『ロン』『国士無双』とか日本語でやりとりが行われています。今後はブラジル麻雀協会と協力し、ロンドリーナで日系人はもちろん、ブラジル人と麻雀で交流しながら、普及活動に尽力していきたいと考えています」
ただし、サッカー選手兼ダイレクターとしてのブラジルでの挑戦は、麻雀面での影響もある。海を渡っている間は日本でのリーグ戦に出場できず、どんどんペナルティーが科されていくのだ。所属する麻雀プロ団体「RMU」にはA、B、C、Dまでリーグがあり、田島は「D-2」から「D-3」へ降格となってしまった。
「ブラジルに行っている間にリーグ戦を休まざるを得ず、不戦敗でマイナス30ポイントがどんどん科されていきます。麻雀プロは、リーグ戦に出るのは大前提。“二刀流”の難しさを感じています。RMUの幹部の方は『体が動くうちはサッカーをやっておいたほうがいい』と言ってくださる反面、ブラジルに行きっぱなしだと麻雀が中途半端になってカテゴリーを上げることは難しく、成績的にはMリーグがどんどん遠のいていく。最低限リーグ戦に参加できるように、順位や点数を計算・意識しながらブラジルに行く時期が見極めないといけません」
田島が目指すMリーグは、最低年俸が推定400万円、エース級は年俸1000~2000万円とも言われる。しかし、プロ雀士が約3000人いるのに対し、最高峰の舞台に立てるのはわずか36人(全9チームで4選手ずつ)しかいない。なぜ、そんな“狭き門”に挑戦するのか。
「プロ雀士の方々は、『Jリーガーになるほうが絶対に難しい』と言ってくださる。僕自身、Mリーガーになるのがこんなに難しいことだとは最初は思わなかった。でも、同時にやりがいもある。みんなYouTubeをやったりして副収入を得ている中で、麻雀だけで(Mリーグ最低年俸の)400万円もらえるのは多いし、1000万円稼いだらすごいこと。麻雀界も、いずれサッカーのようにMリーグの下部リーグができるかもしれない」
憧れはRMU代表でMリーガーの多井隆晴
田島は2012年のロアッソ熊本時代、Jリーグの公式戦出場はかなわず。現在はJ3に所属するFC琉球も、在籍した2004~07年には県リーグ、九州サッカーリーグ、JFL(日本フットボールリーグ)を舞台としていた。「日本のクラブでは、正直生活は厳しかったです」。田島はそう当時を振り返る。
「FC琉球の時は、1年目はアルバイトをしながらサッカーをしていました。(2006年に)JFLに上がってからも、食べることがギリギリの水準。年俸もないので、チームから与えられたサッカースクールと、焼き鳥屋のバイトが収入源でした。ロアッソ熊本でも、サッカースクールはクラブに許可をもらってやっていましたけど、(生活は)不安定で。練習は午前中に2時間なので、今振り返れば、時間を有効活用しておけば良かった。僕は何もやっていなくてもったいなかった。これまでの選手生活で言うと、一番(待遇が)良かったのはラスベガス(シティFC)時代。プール、ジム付きの家を与えられて、給料ももらっていました」
これまで苦しい環境を経験してきただけに、「若い頃は『お金じゃない』『好きなサッカーをやっていたい』という思いがありましたけど、もう生活を犠牲にはしたくない」と率直な思いを明かす。
「今41歳なので、50歳までにMリーガーになりたいですね。プロ雀士として目標は大きく、年俸1000万円。サッカー界で言う1億円プレーヤーを目指します」
田島が目指すのは、「RMU」を立ち上げた1人であり、Mリーグの渋谷ABEMASに所属するカリスマ雀士の多井隆晴だ。
「多井さんは相手の捨て牌とか読みが凄くて、僕の憧れ。多井さんの麻雀を見て、守備の部分で学びがありました。麻雀は1位を取っても、最終的に4位だと意味がなくなる。相手の読みも関わるので、経験が大事。僕はまだ、相手に怖さを与えられていないと思います。今年(2024年)のカップ戦でA-1リーグプロの仲川翔さんと同卓で対戦した時、うまくてもう敵わないと感じました(苦笑)。ただ、プロの独特な緊張感は、僕が求めていたものでもある。麻雀の強さ、影響力を含めて、多井さんのようになりたいです。麻雀に年齢は関係ないので、一生麻雀は続けたいですね」
次のリーグ戦(第4節)は来年1月。流浪のフットボーラー兼プロ雀士は、来たる時に備えて静かに牙を研ぐ。
□田島翔(たじま・しょう)1983年4月7日、北海道出身。サッカー選手として国内ではJリーグのロアッソ熊本、FC琉球、海外はスペイン、クロアチア、アメリカ、ニュージーランド、サンマリノ共和国、韓国、シンガポール、ブラジルと8か国でプレー。2022年7月に史上初となり元Jリーガーのプロ雀士となり、プロ競技麻雀団体RMUに所属。サッカーとの“二刀流”に挑戦中で、麻雀プロリーグ戦・Mリーグ出場を目指して研鑽を積む。