「宝塚って最高の場所」 卒業から10年…柚希礼音が今も大切にする先輩からの言葉「つねに最後の気持ちで」

元宝塚歌劇星組トップスターの柚希礼音が初のシャンソンアルバム『Les Nouvelles Chansons(ヌーベル・シャンソン)』を2025年1月19日に発売する。来年は柚希にとって宝塚卒業から10年という節目の年。芸歴も26年目に突入するが、どんな思いで活動を続けているのだろうか。

インタビューに応じた柚希礼音【写真:舛元清香】
インタビューに応じた柚希礼音【写真:舛元清香】

卒業10年目で初のシャンソンアルバムを発売

 元宝塚歌劇星組トップスターの柚希礼音が初のシャンソンアルバム『Les Nouvelles Chansons(ヌーベル・シャンソン)』を2025年1月19日に発売する。来年は柚希にとって宝塚卒業から10年という節目の年。芸歴も26年目に突入するが、どんな思いで活動を続けているのだろうか。(取材・文=中村彰洋)

 今年は芸歴25年という節目の1年だった。初のシャンソンアルバムに挑戦しようと思えたのも、経験を積み重ねたからこそだった。

「宝塚退団時に『君の声はシャンソンに合う』と演出家の方々に言っていただけていたのですが、目の前のミュージカルなどをやっている中で、シャンソンと向き合う機会のないまま、今まできてしまいました。宝塚とは異なる歌い方などを学んでいるうちに、テクニックで頭でっかちになってしまったこともありました。そういった時期も経て、男役から女性の声に変化したこともあったので、このタイミングで歌と向き合ってみようと思いました」

 生誕100周年となる宝塚の大先輩・越路吹雪さんの楽曲をカバーした本作。シャンソンと向き合うことでこれまでの固定概念から「解き放たれた」感覚を覚えたという。

「シャンソンの方々は、毎回歌い方が違うんです。『ここはこうじゃなければいけない』というものがなく、その時の心の表現なんだと思えるようになりました。越路吹雪さんの歌い方を練習する中で、自分が今まで使ってこなかった声を発見することもできたり、いろんな刺激を受けました。宝塚時代もシャンソンを歌うことはありましたが、若かったので良さや深みを感じることができていませんでした。いろんなことを経験して響くものが変わってきた今、改めてシャンソンと向き合えて良かったです」

 25年1月19日には東京・オーチャードホールで1日限りの「柚希礼音リサイタル~REON et Chansons~」の開催も決まっている。ここでは今アルバムに収録されていない楽曲も披露するという。また、恒例のコンサート「REON JACK」との差別化も図っていると明かす。

「『REON JACK』はお客さまとのコミュニケーションの場としてとても大切にしています。今回は、お客さまとのコラボというよりも、しっとりと歌うということに挑んでいます。後半はシャンソンの曲に合わせたダンスも披露もします。今までにない表現をしてみたいなと思っています」

 芸歴25年目にして改めて向き合ったシャンソン。「他のミュージカルもポップスも、全部が変わっていきそうです。歌を歌うこと、人間の心の表現……根本に立ち返っています。シャンソンは奥深いですし、きっと5年後に歌うシャンソンもまた違った形になっていると思います。1回きりとは思わずに今後も挑んでみたいですね」。

25年1月19日に初のシャンソンアルバムを発売する【写真:舛元清香】
25年1月19日に初のシャンソンアルバムを発売する【写真:舛元清香】

ただ踊りたいから始まった芸能人生「目の前のことを一生懸命やってきました」

 全ての原点は幼少期に習っていたバレエ。踊りが好きという思いで打ち込んでいった。その後、海外留学を考える中、家族から「踊れる劇団があるからそこに行きなさい」と提案され、受験したのが宝塚音楽学校だった。「ただ踊りたいから始まった宝塚だったので、芸能界に行きたい、女優さんになりたいなんてこれっぽっちも考えていませんでした」。

 いざ入学すると、踊りのみならず、歌や芝居の研鑽を重ねる日々だった。「歌も芝居もやらなきゃいけないとなった時は、ハラハラドキドキでしたが、結局は全て心の表現なんだというところに行き着きました」。

 以来17年間の宝塚生活。名だたる先輩たちの姿を見る中で、「ああいう風になりたい」「次はこんな風になりたい」と一つずつ目標をクリアしていった先にトップスターの席が待っていた。トップを6年務めた後、卒業という選択をしたが、この決断の背景には宝塚ならではの考え方があった。

「宝塚って一生居たいぐらい最高の場所なんです。でもトップになったらみんな、やめ時を意識して、お披露目公演の時には『いつ辞める』とほとんどの人が決めています。それまでは、そんなこと考えずに楽しくやっていたのですが、トップになったら『あと何作かな』と考え出すんですよね。私は、宝塚95周年でトップになって、『100周年までは頑張ろうね』と劇団に言ってもらえたので、そこを目標に頑張りました。お祝いの年にやめて水を差したくはなかったので、101周年でやめると決めていました」

 宝塚卒業のその日までは、その後の進路のことは考えず、「やりきることだけ」を考えて突き進んだ。「宝塚の人たちは、宝塚での活動に人生の全てを懸けているので、その後の人生を考えずに燃え尽きるまで情熱を注いでいると思います」。それは柚希も同様だった。卒業当初は自分がこれから何をやりたいのかすら「よく分からなかった」と笑う。

「肩書に『女優』と書かれるのが恥ずかしくて、アーティストにしてもらいました。コンサートなどで自分を表現することが好きだったので、そういった活動をするんだと思っていたところ、ミュージカルのお話をいただいて、女の人の役を演じてみたり……。目の前のことを必死にやっていたら、それが次につながっての繰り返しでここまできました。目標は立てず、目の前のことを一生懸命やってきました」

来年は宝塚卒業10年目を迎える【写真:舛元清香】
来年は宝塚卒業10年目を迎える【写真:舛元清香】

表現活動を通して体感することのできる奇跡のような瞬間「だからやめられない」

 かつては「びっくりするぐらい声が高かった」という地声も、男役の声を練習している内にだんだんと低くなっていった。「研究していく内に、地を這うぐらい低い声を出せるようになりました」と笑みをこぼす。また、立ち方や座り方など、所作の1つ1つにも男役が染みついていった。

 宝塚卒業後に女性の役を与えられた時には「どうやって歩くんだろう」「どうやって立つんだろう」と戸惑いを覚えることもあったという。しかし、「私は女性なんだから、どんなスタンスでも女性なんだ」と考えることで、徐々に自分らしい表現への手応えを感じていった。

 今後も目の前の作品に全身全霊で挑むことが柚希のスタイルだ。

「宝塚でトップに立ってからの6年間は、100周年という目標があったので、モチベーションを高く保てていました。でも、退団後は終わりがないので、いつまでも続く気がして、モチベーションの保ち方に悩んでいたこともありました。でも、若い時に轟悠さんから言われた『これが退団公演だと思って毎回やりなさい』という言葉を思い出して、つねにこれが最後という気持ちで1つ1つの作品に臨むようになりました。

 退団公演の時は、思ってもいない力が湧き出て、今までにない輝きが生まれるんです。これが最後だと思うと感謝があふれて、全てを出し尽くす。その気持ちを忘れずにどんな仕事にも向き合うようになりました」

 表現活動を続けている中で、まれに奇跡のような瞬間が訪れるという。「全く力を入れずに役に入り込めて、それが見ている方のもとにスッと届いたと思える瞬間があるんです。万全の体調で挑んでも、毎回そこに到達するとは限らない。だからこそ、その瞬間を求め続けるんです。だから表現活動がやめられないんですよね」。

 シャンソンと向き合うことで、原点に立ち返ったというこの1年。芸歴25年にして、新たな自分を発見し、「果てしない可能性」を感じることができた。「これからの自分の表現への期待が膨らんで楽しみになっています」。

□柚希礼音(ゆずき・れおん)6月11日、大阪府出身。1999年に初舞台。2009年、宝塚歌劇団星組トップスターとなり、14年には日本武道館での単独コンサートを実現。15年5月10日の『黒豹の如く/Dear DIAMOND!!』を最後に宝塚歌劇団を退団。以降、舞台やミュージカルを中心に活動。24年12月には『RUNWAY』、25年4月には『ホリデイ・イン』、同10月には『マタ・ハリ』を控える。また、25年1月19日には初シャンソンアルバム『Les Nouvelles Chansons』を発売。1月19日には東京・オーチャードホールで「柚希礼音リサイタル~REON et Chanson~」を開催する。

次のページへ (2/2) 【写真】インタビューに応じた柚希礼音の別カット
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