佐山聡、小川直也と四半世紀ぶりに再会 改めて語った師匠・猪木の本音「嘘が真になればいい」
“初代タイガーマスク”佐山サトルと“暴走王”小川直也が、四半世紀ぶりの〝再会〟を果たした対談が、双方のYouTubeチャンネルで公開された。そこには懐かしさと共に、師匠であるアントニオ猪木に対する思いが映し出されていた。
全開だった、猪木の変装好き
“初代タイガーマスク”佐山サトルと“暴走王”小川直也が、四半世紀ぶりの〝再会〟を果たした対談が、双方のYouTubeチャンネルで公開された。そこには懐かしさと共に、師匠であるアントニオ猪木に対する思いが映し出されていた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
4日、「初代タイガーマスク 佐山サトル【公式YouTube ch】」と「小川直也の暴走王チャンネル」の合同企画として実現し、公開された対談には、師匠であるアントニオ猪木に対するさまざまなエピソードが披露されている。
例えば猪木が正式に引退(1998年4月4日、東京ドーム)し米国に住んでいた頃、猪木は定期的に日本と米国を行き来していたが、佐山や小川が猪木を成田空港に見送った際のこと。
「(猪木は)2、3日たつと寂しくなって、佐山さんのところにすぐに連絡してくるの。寂しがり屋なんですよね。『お前ら何してんだ』って」(小川)
この発言を聞く限り、やはり猪木は佐山や小川と一緒にいた空間を心より楽しんでいたことが分かる。そう考えるとこの頃、猪木の変装好きが全開だったことに思い当たった。おそらくあの頃が変装における猪木の全盛期だった。
ホームレス、白覆面、アラブの怪人……と猪木による変装は多岐に渡ったが、中でも、テンガロンハットをかぶってサングラスをかけ、アゴヒゲを蓄えた「ミスター・ウォーリー」は痛快だった。
動画では、佐山はあのキャラに関して、「いやあ、何をやってんだと思って。その時は言えないから」と話していたが、当時の記憶を思い起こすと、いきなり成田空港に登場した謎のテンガロンハットの人物がそのまま立ち去ろうとしたため、取材陣から「名前くらい教えろ」との声が上がった。
「佐山さんがあの時に、(猪木)社長、名前を何にしますか? って(聞いていた)」(小川)
その際、当該人物が「ウォーリー」と答えたことで、改めて一人のキャラクター(猪木の別人格?)として認識されることになった。
実はウォーリーに関しては以前、小川から、以下のように聞いたことがある。
「あれはさ、(猪木)会長と成田空港に帰ってきたとき、会長が『ウォーリーをさがせ!』(英国の絵本)のウォーリーに化けたことがあって……。『何人が俺と気づくと思う?』って言われるから『いくら何でも分かりますよ~』って答えたんだけど、なぜか会長だと気づかない新聞記者がたくさんいてさ。誰がどう見ても会長なのに、俺はそれがびっくりだった。まあ、会長はそれで味をしめて……ウォーリーがきっかけで白覆面につながるんだよ」
「あれが(A猪木の)常識」(小川)
動画によると、小川としては「謎のガイジンがUFO(世界格闘技連盟)に来たって。(内心は)笑いながら、こっちは真剣な顔をしなきゃいけない」と思っていたそうだが、佐山はあの頃の、師匠の変装好きを含めた印象をこう振り返った。
「センスあるって言っていいのか。何でも当たるっていうか。よくああいうことを考えるなっていうか。そういう天才かもしれない。常にいろんなことを考えていた。これは売れるとか。失敗談もあるけど」
ちなみに今回、小川は佐山との対談で、猪木の真意を「よく、嘘を真(まこと)にすればいいって感じだったですよね」と話していたが、「そうだね、真になっちゃうんだよ」と佐山が呼応する。
以下、二人のやりとりを書き記す。
小川「(猪木の)口癖が、嘘が真になればいいって。でも、ホントに、こんなこといいの? あんなこといいの? ってことを先駆者である佐山さんが翻訳してくれるから」
佐山「(柔道界にいた)オーちゃん(小川)からすれば、すごい世界の話だよね」
小川「非常識でした」
佐山「俺から見ても非常識だよ」
小川「そうだったんですか! でもあれが(A猪木の)常識なんですよね」
それにしても25年ぶりに再会した両者の対談を見て思うのは、猪木、佐山、小川というプロレス界が産んだ偉大なトリオの関係が、わずか3年で終わってしまったこと。これは今考えても非常に残念だったとしか言いようがない。
小川はそこから新日本プロレスでの橋本真也との抗争の後、ゼロワンを立ち上げた橋本に協力し、“OH砲”として活躍。2004年から立ち上がった「ハッスル」に関わりながらPRIDEでのMMA戦でも話題を提供し、2007年以降はIGFに参戦すると、再び師匠・猪木と共闘していく道を進む。
一方、佐山は“初代タイガーマスク”の熱狂的な支持者に支えられながら、改めてプロレス界に「ストロングスタイル」を根付かせるべく奮闘していく。
今回の対談は、「1・4事変」(1999年1月4日、東京ドーム)について両者が触れたことはもちろん、プロレス界的にも刺激的な内容が随所に散りばめられていたが、最も衝撃的だったのは、佐山が小川との対談の冒頭に発したこの言葉に集約されていたように思う。
「やっとオーちゃんに会えた」
佐山が小川に対し、この言葉を発するのに、25年の月日が必要だったのかと思うと、さまざまな思いが去来する。
また、対談が始まった直後に佐山が発した、「いいヤツなのよ。ワザとヒールみたいなことをやっているけど、実際は全然違って」と小川を評する佐山の眼力にも敬服する。
ともあれ、両者の対談がアントニオ猪木のライセンスを管理する「猪木元気工場(IGF)」で行われ、猪木の象徴のひとつでもあった“闘魂棒”を手にしながら、四半世紀ぶりに“再会”を果たせたことは、誰よりも師匠である猪木を笑顔にさせたと確信する。
そして願わくば、この“再会”が今後につながる一条の光になる展開に転がっていくことを強む望む。
(一部敬称略)