長い下積み、適応障害…36歳・NOBUのどん底からの這い上がり方「自分の歌で自分を勇気づける」
シンガー・ソングライターのNOBUが20日に新アルバム『人となる。』をリリースした。結婚、子どもの誕生、宮崎との2拠点生活のスタートなど、環境が大きく変わったことで、楽曲にも徐々に変化が現れてきたという。今作の制作秘話や届けたい思いを語ってもらった。
新アルバム『人となる。』は新たな形で制作した1枚
シンガー・ソングライターのNOBUが20日に新アルバム『人となる。』をリリースした。結婚、子どもの誕生、宮崎との2拠点生活のスタートなど、環境が大きく変わったことで、楽曲にも徐々に変化が現れてきたという。今作の制作秘話や届けたい思いを語ってもらった。(取材・文=中村彰洋)
――『人となる。』というアルバム名に込めた思いをお聞かせください。
「結婚して父親になって、どういう思いをアルバムに込めたいかと考えた時、人として大事なことを伝えたいと思いました。『人となる』という曲もありますが、『。』をつけることで、日本人らしく締めたいなという思いがあります」
――楽曲作りにあまり時間をかけないとお聞きしましたが、今回のアルバム制作にはどれぐらいの期間を費やしましたか。
「3か月ぐらいです。今回は今までとは違う制作の仕方をしました。18歳の頃からNOBUとしてのオリジナル曲を貯めていて、今では4、500曲ほどストックがあります。今までのアルバムは、その中から集めて作る形を取っていました。でも今回は、アルバム制作のために、全てを新曲として作ったので、すごくまとまったアルバムになったと思います」
――印象深い楽曲などはございますか。
「『Pp』と『母となる』ですね。『Pp』はプロポーズの略なんです。去年の11月、嫁さんにどうやってプロポーズしようかなと考えていた時、歌にして届けることが1番僕らしいと考えました。曲を聞いてもらう時に、タイトルが『プロポーズ』だとバレちゃうので、『Pp』にしました。単刀直入に短い言葉でプロポーズしたかったので、曲自体も2分弱になっています。
その次の曲が『母となる』です。これも嫁さんが妊娠している時に贈った歌になっています。夫としてやれることが限られている中で、出産を頑張れるような歌をプレゼントしたいと思って、『あなたはもうすぐ母となるんだよ』という気持ちを込めて作りました」
――新たなレーベルからのリスタートの1枚となりますが、作り終わっての心境をお聞かせください。
「アルバムを1から作るということが今までなかったので、締め切りに追われながらも完成できたという達成感はありました。家族や友人に聞いてもらったら、『父親になったことで、覚悟を持っていることが伝わってくる』『音楽性が進化しているね』などと言ってもらえました。良い時も悪い時もしっかりと言ってくれる人たちからの言葉だったので、うれしかったですね」
――今回、全曲を新しく作ろうと思われたのはなぜでしょうか。
「過去のストックを聞き返した時、今の自分と照らし合わせて、しっくりくるものがあまりなかったんです」
――この数年で大きくNOBUさんの環境が変わったということですね。
「そうですね。言われてみたらそうかもしれないです。本当に今の自分を表現しています」
――レコーディングもこれまでとは異なる形で行われたとお聞きしました。
「嫁さんも宮崎出身で、里帰り出産しようとなりました。以前に僕が住んでいた家が空いていたので、2人でそこで生まれるまで暮らそうとなったんです。レコーディングもマイクとパソコン、インターフェースだけをその家に持っていって、実は全曲を押し入れの中でレコーディングしたんです(笑)。赤ちゃんが生まれてからも、そこでレコーディングを続けていて、抱っこしながらレコーディングした曲もあるんです。だから、赤ちゃんの泣き声が入っている歌もあると思います。そういった環境でも曲って作れるんだよということも伝えられたらいいですね」
楽曲の大半が家族愛や実体験が題材「いろんな方たちの人生に寄り添えるものに」
――そもそものNOBUさんと音楽の出会いを教えてください。
「母親が小さい頃にピアノを習いたくても、習わせてもらえなかったらしいんです。それが悔しくて、自分の子どもにはピアノを習わせたいと思っていたみたいで(笑)。兄弟3人、みんな5歳になるとクラシックピアノを習わされました。それが音楽との出会いです。
9歳の時に、実家の押し入れを開けたら、クラシック、アコースティック、エレキと3つのギターが出てきました。それを兄弟3人で見ていたら、父親が『お、見つけたか』って。昔バンドをやっていたみたいで、いきなりチューニングをしだして、ザ・ベンチャーズを弾き始めたんです。『うわ、かっこいい!』となったのを覚えています。そこからギターを触るようになりました。今でもそのギターは大切に保管してあります。
その後、僕が10歳、1番上の兄が中学3年生の頃、兄が友人から借りてきたHi-STANDARDのビデオを見て、衝撃を受けたことをきっかけに、兄弟3人でバンドを組むことになりました。そこで僕はあまったドラムをさせられました(笑)」
――最初のバンドはご兄弟で組まれていたんですね。
「兄弟3人で組んで、10年間やっていました。オーディションにもたくさん出場して、僕らが宮崎代表、熊本代表がWANIMA、東京代表がSUPER BEAVERみたいな時もありました」
――今の形に至るまではどのような経緯があったのでしょうか。
「小学生からスケートボードをしていたことがきっかけになっていると思います。地元の公園で先輩たちがラジカセでヒップホップやレゲエを流しながら、スケボーしていたんです。当時もバンドサウンドの音楽をやっていましたが、普段聴いていたのは、そういった音楽でした。僕が18歳の時にバンドが解散して、ソロでやるとなった時、『俺はラップもレゲエもポップスも歌いたい!』と解き放たれたんです(笑)。自由にやろうということで、今のジャンルレスなスタイルになりました」
――ご家族もNOBUさんの現在の活動を喜んでいるのではないでしょうか。
「ソロを始めたばかりの頃、兄ちゃんは全然認めてくれませんでした。ソロで軌道に乗り始めていることへの悔しさみたいのもあったと思います。いろんなことが重なって、口も聞けないくらいの関係になってしまった時があって、その頃に僕が兄ちゃんに贈った歌が、『いま、太陽に向かって咲く花』(2017年)という歌でした。レコ大の新人賞や有線大賞にも選んでいただいた歌が、『けんかはやめよう。兄ちゃんがいたから、今の俺があるんだよ』という歌だったんです。本当に振り返ると、僕の歌って家族がキーワードになっている歌が多いんだなと思います。その曲を聞いた時に、兄ちゃんも泣いて喜んでくれて、今ではめちゃくちゃ応援してくれています」
――長い下積みや適応障害に苦しんだ時期などもあったかと思いますが、どのように乗り越えてきましたか。
「いろんな乗り越え方があるとは思いますが、僕の場合はチャンスだと思うようにしていました。そういう時は、『自分自身がまず乗り越えられる曲を作ろう』と考えるんです。どん底な時こそ、どういう歌があれば自分は頑張れるのかを考えて、すぐに制作をして、それを聞くことで乗り越えるきっかけにしきましたね」
――1番最初の勇気づけられるリスナーが自分自身ということですね。
「まさにそれです。めちゃくちゃ自分が落ちている時に、自分の歌と言葉で自分の気分を上げられるものを生み出せたら、絶対にそれってみんなにも響くものになるだろうなと思って作っています」
――NOBUさんの楽曲は人生を投影しているものとなっているので、これからの変化も楽しみですね。
「今、自分の子どもの歌も作っていて、それもいい歌になりそうだなという手応えがあります。やっぱり人生観を伝えた方が、よりいろんな方たちの人生に寄り添えるものになるだろうなと思っています」
――内面をさらけ出す歌詞も多いイメージがあります。弱さを見せることへの葛藤はなかったですか。
「実は、今まではかっこよく見せようとばかり考えていたんです。でも、主人公ってずっと強いわけではなくて、いろんな挫折を経験して、弱い部分も見せるからこそ、最後に感動があるんだろうなと思ったんです。『こんな経験があったからこそ、僕はこうなれた』という楽曲の方がより伝わるんじゃないかなと思ってから、曲の作り方が変わったかもしれないです。これも家族ができたことが大きいですね。さらけ出してもいいんだなと思うようになりました」
――このアルバムを通して伝えたい思いを教えてください。
「リアルな家族愛がテーマになっている楽曲が多いので、子どもからおじいちゃん、おばあちゃん世代まで、何かしら届くメッセージがあるだろうなと思っています。そういった部分を感じながら、幅広い世代に届いてくれるとうれしいです」
□NOBU(のぶ)1988年7月3日、宮崎県生まれ。12年8月にアルバム『POWER TO THE PEOPLE!!!』でメジャーデビュー。17年に『いま、太陽に向かって咲く花』をリリースし、「第50回日本有線大賞」と「第59回日本レコード大賞」で新人賞をダブル受賞。24年11月20日に新アルバム『人となる。』をリリース。12月1日に宮崎・LAZARUS、15日には東京・原宿RUIDOでワンマンライブを開催する。