ミッキー・カーチス、脳出血で余命7か月宣告も「そうだったの」 映画に凝縮された86年の人生

歌手・俳優のミッキー・カーチス(86)が主演する短編映画『運命屋』(監督・森田と純平)が11月8日から全国順次公開される。余命7日と宣告された元ミュージシャン(カーチス)が人生の決断を迫られる物語。現在、北海道名寄市で暮らしているカーチスは、2023年1月に脳出血を患い、医師から余命7か月と宣告されたと明かした。

インタビューに応じたミッキー・カーチス【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じたミッキー・カーチス【写真:ENCOUNT編集部】

2023年1月に脳出血を患い、医師から余命7か月と宣告

 歌手・俳優のミッキー・カーチス(86)が主演する短編映画『運命屋』(監督・森田と純平)が11月8日から全国順次公開される。余命7日と宣告された元ミュージシャン(カーチス)が人生の決断を迫られる物語。現在、北海道名寄市で暮らしているカーチスは、2023年1月に脳出血を患い、医師から余命7か月と宣告されたと明かした。(取材・文=平辻哲也)

 ロカビリー歌手、俳優、タレント、音楽プロデューサー、落語家、画家などジャンルを超えて、活躍するミッキー・カーチス。本作で演じるのは、人の運命を取り仕切る運命屋(広山詞葉)から7日後に寿命を迎えると告げられた元ミュージシャン。延命の代償として、大切な思い出を忘れることを提案される。

 企画したのは、俳優でプロデューサーの広山詞葉(39)。以前からカーチス主演の映画を制作し、共演したいと考えていたという。

「最初はミッキー・カーチス映画祭を企画したんです。ミッキーさんが引っ越された北海道・名寄に映画館がないという話を聞いて、100本以上のミッキーさんの出演作から面白い映画を選んでセレクトして上映したいと名寄市に企画書を出しました。そんな中、ミッキーさんが2023年1月に脳出血で倒れられたんで、撮りたい撮りたいと言っているだけではいつか後悔すると思って、5月に監督と一緒に打ち合わせに行ったんです」

 映画では『やすらぎの刻~道』で共演した橋爪功が共演。劇中では歌を歌うシーンもあり、カーチス自ら、主題歌の作曲を旧知の仲の細野晴臣氏に、劇伴をSUGIZO氏にオファー。新作となる主題歌『面影ノスタルジア』を披露している。

「最初の台本はひどかったね(笑)。それがよくなって、引き受けたんだけども、言われたことは歌だって、やるよ。役者だからね。でも、役作りなんかはしないよ」とカーチス。物語はカーチス自身をほうふつさせるが、脳出血で倒れた時はどんな思いがよぎったのか。

「と言われても、俺は覚えていないから。余命7か月と言われたけど、医者からは聞かされていなくて、後から聞いたんだ。『そうだったの』という感じだね。頭を切って、手術をしたので、今でも頭に穴が空いている。映画と同じで、さあ、何をするかな、と思うよ」

 カーチスはアジア・ヨーロッパと様々な国に移り住んできたが、2022年10月に名寄市に移り住んだ。映画は25分だが、カーチスの人生が詰まったような作品だ。カーチスが住む名寄市での生活を映し出すように、映画は全編名寄市で撮影された。カーチスのアトリエや愛犬ニンジャ、絵を描くシーンなども登場する。

「名寄は自然がいいよね。今回、東京で富士山が見える見晴らしのいいホテルを取ってもらったけれど、すぐに帰りたくなったよ。名寄は9月でも寒いので、みんなストーブを炊いているよ。毎日、水彩アクリルで絵を描いて、犬と遊んだり、家庭菜園で野菜を育てたり……という感じ。後はクルマやバイクのYouTubeを見ている」

母親から言われたひと言「役者をやらないか」

 劇中では、延命と引き換えに一番大切な思い出を忘れることを条件に出されるが、カーチスの思い出は何か、と聞くと、「この映画『運命屋』だね」と即答した。

「だって86歳まで生きると思ってなかったから。友達はみんな死んじゃったし、みんなに会いたいよ。レーサーもやったし、落語家にもなって、真打ちにもなった。今は画家。どれもこれも、その時、一番やりたいことをやってきた。今は犬カフェもやりたい気持ちもあるけど、実際には無理だよ。誰かがやりたいなら、アイデアは出すけども」

 好奇心旺盛で、常に新しいことに挑戦してきたカーチス。その原体験については「戦争が大きいかもしれない」と語る。

 カーチスは1938年に日英ハーフの両親に長男として生まれ、第二次世界大戦中の1942年には家族とともに中華民国時代の上海に渡り、終戦とともに帰国した。

「引揚船で福岡につき、鉄道で東京まで来た。一番苦労したのは食べ物がないこと。そういうときでも親がどこから持ってきてくれたり、焼け跡からセーターを拾ってきたり。俺は、自転車を拾って、自分で直して、再生車として売ったりもしたよ。俺の作った自転車は一番速いと評判になったんだ」

 少年時代からアイデアと器用さを発揮し、ロカビリー歌手として芸能界にデビュー。1950年代後半からは映画出演も多く、市川崑監督の『野火』(1959年)、岡本喜八監督の『独立愚連隊』(1959年)などが初期の代表作だ。

「映画好きは母親が映画雑誌の編集部員だったから。親から『役者やらないか』と言われて、『朝が早いからイヤだ』と言ったんだけど、最初1本目に出た。だから、母親が一番喜んでいたんじゃないかな」

 カーチスの後半の人生を支えたのは、2008年1月に結婚した33歳年下の妻の存在だ。カーチスがオープンカフェでくつろいでいるところに、当時ピアノ講師だった妻の犬が近づいてきて、交際に発展した。

「やっぱり、感謝の思い大きい。ただ、うるさいんだよね」と笑う。数々の挑戦を経て辿り着いた今、カーチスが新たな物語を紡ぐ『運命屋』には86年の人生が凝縮されている。

□ミッキー・カーチス 1938年7月23日生まれ、東京都出身。1958年、『日劇ウエスタン・カーニバル』に出演し、平尾昌晃、山下敬二郎と共にロカビリー三人男として注目を浴びる。同年、映画『結婚のすべて』で俳優としてもデビューを果たす。95年公開の映画『KAMIKAZE TAXI』で、『第69回キネマ旬報助演男優賞』を受賞。落語家・ミッキー亭カーチスとしても活動するなど、幅広い分野で活躍。

次のページへ (2/2) 【写真】インタビューに応じたミッキー・カーチスの別カット
1 2
あなたの“気になる”を教えてください