推し活で難病を乗り越え、超難関プロテスト合格 女子ゴルファー・平塚新夢「症状で容姿が酷くなっても会いに」
推し活とは、アイドル、アーティスト、俳優、キャラクターらを熱く応援する活動のことを言う。2010年後半から一般的に使われるようになり、21年には新語・流行語大賞にノミネートされた。昨今、アスリートが「〇〇さんのファン」と公言する機会も少なくないが、今月3日、推し活で得たパワーで合格率3.7%の日本女子プロゴルフ(JLPGA)テストを突破した選手がいた。平塚新夢(ひらつか・あむ=24)。彼女は2019年から5人組ダンス&ボーカルグループ・Da-iCEの花村想太を推し、難病との闘いも乗り越えていた。
Da-iCE花村想太のファン・平塚新夢
推し活とは、アイドル、アーティスト、俳優、キャラクターらを熱く応援する活動のことを言う。2010年後半から一般的に使われるようになり、21年には新語・流行語大賞にノミネートされた。昨今、アスリートが「〇〇さんのファン」と公言する機会も少なくないが、今月3日、推し活で得たパワーで合格率3.7%の日本女子プロゴルフ(JLPGA)テストを突破した選手がいた。平塚新夢(ひらつか・あむ=24)。彼女は2019年から5人組ダンス&ボーカルグループ・Da-iCEの花村想太を推し、難病との闘いも乗り越えていた。(取材・文=柳田通斉)
最終18番パー4。1メートルの下りパットを打つ前、平塚はアドレスをほどいた。
「手がしびれて動かなくなました。これを外せば、不合格と分かっていたので。8歳からのゴルフ人生で初めてのことでした」
仕切り直して、柔らかなタッチで放ったパーパットは真ん中からカップインし、通算4オーバーで19位タイ。7度目の挑戦で超難関突破が確定した瞬間だった。手続きを終え、平塚は涙を浮かべながら言った。
「生きていた中で一番うれしいです。バカげているように思われるかもしれませんが、私はずっと好きな歌手に支えられてきました。病気になってから好きになったDa-iCEの花村想太さんです。試合の合間にライブやイベントに行っては励まされ、今日もDa-iCEの曲を聴いてここに来ました」
平塚は中3で出場した世界ジュニアマッチプレー選手権で優勝。明秀学園日立高3年時には、JLPGAステップ・アップ・ツアーで史上5人目のアマチュア優勝を果たした。しかし、1度目のプロテスト受験だった2018年、1次予選は通過したが、群発頭痛に襲われて2次予選を欠場。その後、体調を崩した際、医師に「成人発症スチル病」と診断された。国内では、人口10万人のうち、3.7人が患う希少の難病だった。「力が入らず、関節痛で立ち上がったり、起き上がったりするのも大変でした」。症状を抑える薬の副作用で顔がパンパンに丸くなる「ムーンフェイス」にも悩んだ。筋力が減り、脂肪だけが増える症状もあり、体重が一気に10キロ以上増えたという。
「発症した2018年末、私はあるイベントに行って、出演していたDa-iCEを知りしました。それから曲を聴くようになり、花村さんの歌声にひきこまれました。翌2019年は症状で容姿がひどい状態でした。人にも会いたくなかったのですが、Da-iCEのライブやイベントで花村さんに会えるなら『この顔でも行く』という感じになりました。本当に生きる活力でした」
平塚は病を抱えながら、再びクラブを握った。だが、症状で肩回りにも脂肪がつき、本来のスイングができなくなった。テストは1年に1回しかない。例年600人以上が受験し、1次予選、2次予選、最終プロテストの3段階で、合格者は最終の20位タイまで。平塚は19年からも壁に阻まれ続け、別の道も考えたという。それでも、合格まで2打差で落ちた年もあり、あきらめられなかった。
「落ち続けている間も試合や練習の合間を見て、Da-iCEのイベントやライブに行きました。花村さんがDa-iCEとは別に所属するバンド・Natural Lagのイベントにも。その中にはお話ができる機会もあり、花村さんも私がプロテストを受けていることを認識され、『前に話していたプロテスト、どうだった』と聞いてくださったこともありました。その時は『ダメでした』と返すしかなかったのですが、いつの日か『受かりました』と直接伝えることをずっとモチベーションにしてきました」
いつの日か直接伝えたい「受かりました」
そして、平塚は厚い壁を突破した。現在も薬を飲みつつ、2か月おきに通院しているが、食事制限をするなどし、19年からは体重15キロ減。スリムになった体でキレのあるスイングも取り戻し、受験者総数695人の中から26人しか手にできない「JLPGA会員認定証」をつかみとった。今後は来季に向けたツアー予選会、新人戦、新人研修会が予定されてる。ルーキーイヤーとなる来季に向けての強化練習も必要。試合が始まれば、さらに多忙になる。
「次に花村さんとお話ができる日はいつになるか分かりませんが、必ず『受かりました』と直接言える機会が来ると思って、また、ゴルフを頑張っていきます。振り返っても、病気になって、ゴルフもダメになって、容姿もひどくなった時にDa-iCEのみなさん、花村さんを知ったことが、私の原動力になりました。それがなければ、今の私は想像ができません。これからも応援を続けます」
文字通り、推し活を力にしてきた24歳。実は、彼女の頑張りに胸を打たれ、ゴルファーとしての活動を支援している人々もいる。今後はプロとしてファンを増やし、多くの人々に推される番。そして、結果を残していけば、花村にも存在を気づかれると信じ、目の前の一打に懸けていく。