小川直也、幹事長時代の安倍晋三氏から出馬要請 「弟子入りしたかった」ワケ 将来的な政界進出にも言及

“暴走王”小川直也が自身のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新し、最近、終わったばかりの総選挙を総括した。小川と選挙といえば、注目されるのは、やはり過去に出馬要請があったのか。この点に尽きる。今回はこれを取り上げたい。

過去の出馬要請に関して語った小川直也
過去の出馬要請に関して語った小川直也

「(幹事長時代の安倍晋三氏は)猪木さんのように背中を見せてくれた」

“暴走王”小川直也が自身のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新し、最近、終わったばかりの総選挙を総括した。小川と選挙といえば、注目されるのは、やはり過去に出馬要請があったのか。この点に尽きる。今回はこれを取り上げたい。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 SNSを検索すると、安倍晋三元総理大臣が小川直也と並んでハッスルポーズを取る光景が散見される。つまり時期的には2004年あたりに、小川が近しい関係にあったことになる。

「幹事長だったね。その頃は将来の総理と言われていた頃。ぶっちゃけ、一緒に(九州に)遊説を回りましたよ。その時にしゃべりとかは学ぶことはあったな。すごかったね、政治家ってこういうもんなんだなって、猪木さん風だったよ。猪木さんのように背中を見せてくれた。政治家っていいなあって思った」

 ここまで話した小川は、「当時は次の総理を託された方だったから、安倍先生、素晴らしいなと思って。もし(小川が政界に)行っていたら、安倍先生のところだったんだろうね。行ってたら、だよ」と話した。

 この発言は、小川が自民党から出馬要請があったという意味かと思えば、「遊説に連れてかれてさ。決まってるんだろ、空気を読めよ」と過去にそういった話があったことを認めた。この話は、安倍氏が亡くなった際にも披露しているが、動画では「俺も(その出馬に関しては)真剣に考えるけど、その時は格闘技のほうをやっていたから、ちょっと無理だった。ありがたいお話をいただいたよ」と話している。

「俺も(その出馬に関しては)真剣に考えるけど、その時は格闘技のほうをやっていたから、ちょっと無理だった。ありがたいお話をいただいたよ」

 当時の小川を振り返ると、2004年からハッスルをスタートさせるのと似たタイミングで、その年のPRIDEヘビー級グランプリに参戦。

 4月の1回戦でK-1のステファン・レコを、6月の2回戦でジャイアント・シルバを撃破し、8月には準決勝で“皇帝”エメリヤーエンコ・ヒョードルに敗れたものの、ハッスルを一世を風びさせると、2005年の大みそかに吉田秀彦との運命の一戦を闘うなど、ノリに乗っていた時期だった。

「基本、やりたいことはそっちじゃないじゃん。やりたいことは格闘技の世界で、猪木さんに認められたい。師匠にもらったものを、しっかり世間に認められるまでは……っていう気持ちがあるわけじゃん。それを、ちょっとぐらい人気が出たからって、隣の芝生は青いなって(政界に)行っちゃったらさ。そこまでしてやりたくないよなって、そういう気持ちはあったよ」

 しかし、そんな小川だったからこそ、「だから安倍先生が(2022年7月に)倒れられた時は悲しくて。誰やと思って、今だから言うけど、関係者の方が『ほぼほぼ即死状態だった』って聞いて悲しかった」と明かした。

“暴走王”が総選挙を総括した動画のサムネイル
“暴走王”が総選挙を総括した動画のサムネイル

「国会」や「都庁」にSTOをかける場面は来るか

 小川いわく、「(安倍氏は)猪木さんみたいな人だった。プロレスも大好き」と話したが、確かに安倍氏は、小川の師匠であるアントニオ猪木が参議院議員だった時の国会答弁の際、“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノの名前を出したこともある。

「政治家たるものはこういうものだって背中を見せてくれた。(2005年10月にあった)道場開きの時も花をいただいたし」

 さらに小川は、自民党以外からの出馬要請はあったのかとの問いに対し、「(参議院議員時代の)猪木さんを通じて来たよ。でも、安倍さんを断った以上はないなって思ったし、もしやるなら(安倍幹事長に)『弟子にしてください』くらい言っていたよ」と答えた。

 つまり小川は、政界に進出する場合は雑巾掛けから学ぶつもりでいたようだ。

「だって何も勉強しないで名前だけの政治家になったって続かないもん。だったら安倍先生のところで何年も修行しないと。それは思ったよ。弟子入りしたかったよ」

 この辺の感覚は、柔道を始めて4年半で世界選手権を獲得するほどの厳しい練習を体感してきた経験が言わせるのだろう。

 そういった経緯を経て、小川は「政治の世界は流れもあるし、風もあるし。林修先生の『今でしょ』ってあるけど、俺にしてみれば『今でしょ』って言うのが何回も来たけど、なかなかそこはね……」と言葉を濁した。

 ちなみに師匠のアントニオ猪木が1989年に参議院議員選挙に初出馬した際には「国会に卍固め」と騒がれたが、この後、弟子である小川が得意技であるSTO(スペース・トルネード・オガワ)を「国会」や「都庁」にかける場面が来る可能性がないとは言い切れない。

 それに関して小川は「際どいところ来るねえ。でもまあ今じゃないでしょ、でしょう」と答えたが、この後、そういったタイミングが来るか来ないかも含め、肯定も否定もしなかった。

 なお、意外や意外、実は小川と政界との結びつきは普段から存在する。動画内で小川は、生まれ故郷である八王子周辺を地盤とする代議士であり、小川にとっては明治大の先輩にあたる、萩生田光一元大臣と、小川道場のある茅ヶ崎周辺を地盤とする代議士、河野太郎元大臣の名前を挙げ、両者が小川道場の「顧問」になっていると語っている。

 今回の総選挙では、両者ともに厳しい選挙戦と言われていたが、特に萩生田氏は、いわゆる裏金問題の渦中にあり当選確実が出るのも深夜になったが、それでも接戦を凌いで当選を果たした。

 動画内で小川は、萩生田氏が文部大臣時代に実現した「ひとクラス35人学級」、いかにこれまで八王子に貢献してきたか。さらには義理人情に厚い政治家であることに触れ、裏金問題で揺れたからこそ、「迷惑をかけたくなかったからかもしれない」と今回は小川が応援に出向く機会が巡ってこなかったと証言。それでも選挙前には萩生田氏に対し、「応援に行きますよって言った」ところ、「その時は頼むよ」と返答され、「俺もスタンバイしなきゃ」と思っていたことを明かしている。

(一部、敬称略)

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