学生時代に借金600万円→完済も勤め先倒産 最低生活からはい上がった急成長43歳社長の壮絶人生
学生時代に600万円の借金、日雇い労働から再起して勤めた会社では給料の遅配が続いて挙句の果てに倒産。一念発起して起業してまたも借金を抱え……。苦境から何度も立ち上がってきた経営者がいる。東京・浅草を中心に、人力車による観光サービス業「東京力車」を展開する株式会社ライズアップの西尾竜太社長だ。新型コロナウイルス禍にも立ち向かい、最高月収130万円超をたたき出す「頑張りを還元する報酬制度」を実現させている。貫かれる人生訓は「いかに他人のために頑張ることができるか。人にどう必要とされる人間になれるか」。人情味あふれる43歳熱血社長の半生を追った。
浅草から人が消えたコロナ禍も乗り越え “最強”の接客ノウハウ
学生時代に600万円の借金、日雇い労働から再起して勤めた会社では給料の遅配が続いて挙句の果てに倒産。一念発起して起業してまたも借金を抱え……。苦境から何度も立ち上がってきた経営者がいる。東京・浅草を中心に、人力車による観光サービス業「東京力車」を展開する株式会社ライズアップの西尾竜太社長だ。新型コロナウイルス禍にも立ち向かい、最高月収130万円超をたたき出す「頑張りを還元する報酬制度」を実現させている。貫かれる人生訓は「いかに他人のために頑張ることができるか。人にどう必要とされる人間になれるか」。人情味あふれる43歳熱血社長の半生を追った。(取材・文=吉原知也)
東京生まれ、東京育ち。大学時代に友人から誘われ、軽い気持ちで学生ローンに手を染め、泥沼にハマった。クレジットカードを大量に作り、キャッシングで借金を繰り返す。詐欺被害にも遭い、酒とギャンブルに溺れた。消費者金融からの取り立てに追われ、日雇い仕事を転々とするように。金を無心してパチンコ店に通い続けた。
転機が訪れたのは26歳の時。同じような境遇で日雇い現場で働いていた6歳年上の先輩が、自堕落な人生を前に進めてくれた。「お前はまだやり直しがきく」。西尾社長は「うるせー」と反抗を繰り返したが、その先輩は根気強く食事に誘ってくれて、諭してくれた。
ある日、公園でたばこを吸っていた時に、宅配業者が荷物を運んで働く様子を見て、「腹をくくろう。借金をどこまで返せるのか、本気でやってみよう」。決心がついた。
倉庫作業・宅配業・飲食業の3つの仕事を掛け持ちし、身を粉にして朝昼晩、働き詰めた。「ここで分かったのが、人間、68時間働き続けると気絶するということです(笑)。当時自分は居場所がないため、次の仕事現場に早く行って準備して、時に遅くまで残って次の日に備えていました。そんな姿を見て、周りの上司や同僚から『頑張ってるな。君がいてくれて助かるよ』と信頼されるようになり、『この仕事を頼みたいんだけど』と、より報酬の高い仕事を頼んでいただけるようになったんです」。努力が信頼につながることを学んだ。1年間で約600万円の借金返済に成功。「ATMで最後の振り込みを終わらせた時に、『これでやっと人間になれた』と思いました」。人生の再スタートを切った。
人力車との出会いは意外なところから。タウンワークをめくっていて、求人募集が目に入り、「何これ」と導かれるようにすぐさま電話。ある運営会社への就職が決まった。
「人力車の仕事はもちろん体育会系なのですが、観光スポットやグルメ、歴史の知識、安全な運行のためのノウハウ、道路交通法など、実は勉強することは山ほどあるんです」。それまで活字にほとんど触れてこなかったが、一念発起。「とにかく本を読み漁りました。日本の歴史も勉強し直しました。業務終わりに、他社がどうやってお客様をご案内しているのか、ガイダンスの作法を聞きに行ったり、年下の先輩に頭を下げて教えてもらったり。やれることすべてをやりました」。陰の努力を重ねて、一流の俥夫に育った。
別の会社に社員として移ったが、ここで落とし穴が待っていた。10年超勤めたものの、次第に従業員の給料が払われなくなり、倒産。すべてが差し押さえられてしまったのだ。それでも、妙な義侠心に駆られ、入社6年目からアルバイトの給料を自ら補填していた。妻と妻の父、自分の父親に頭を下げてお金を借りる始末。「あなたがやることではないでしょう」と説得されたが、当時はそれが正しい道だと信じ込んでいた。
差し押さえの当日。ようやく現実に気付いた。「今までやってきたことは何だったのか。ふざけるな。このままでは終われない」。
ゼロから自分の人力車の会社を立ち上げることを決意した。まずは登記のやり方から勉強しながら、全国の事業者に電話しまくって人力車を借り、金策に走った。倒産した会社の仲間数人が「一緒にやります」と名乗りを上げてくれた。2019年12月、38歳の時に、晴れて東京力車を創業した。
「鍛え上げたうちのスタッフはどんな業界でも通用する自信があります」
ようやく、新たな一歩を踏み出せたところで、約半年後にコロナ禍が直撃。いつもにぎわっていた浅草寺・雷門周辺から観光客が消えた。2000~3000万円の借金を抱えての会社設立。「どうやってスタッフを食べさせていこう」と思い悩んで、心療内科に通った。
活路を見いだしたのがSNSだった。毎日のライブ配信など積極的に俥夫たちが発信。総フォロワー数は約20万人となっており、知名度上昇に大きく貢献。コロナ禍明けの観光需要増、インバウンドの再到来などで、売上はコロナ前を超え、従業員数は100人を突破した。浅草で有名な観光サービスの1つとして急成長を遂げている。観光需要爆発で足りないぐらいの人手。SNSを通しての求人が増えており、採用面でも効果を発揮している。
「そのお客様にとって、人生最後の旅行かもしれない。うちのスタッフにはその心づもりで働いてもらっています。旅行でどんなにおいしいごはんを食べてどんなに素晴らしい旅館に泊まっても、接客をした担当者が悪い対応をすると、その旅すべてが台無しになってしまいます。だからこそ、接客が何より大事なんです。旅の時間というすてきな心の変化を楽しんでいただきたい。うちは最高のお客様特化型を実現させています」。これが“西尾流”だ。
そのために従業員教育・育成には徹底して取り組み、報酬制度は「頑張りを還元」の明快なシステムを採用している。数多くの賞金制度を設けており、外国人客への接客に欠かせない語学力を支援する研修などを整えている。人材を「人財」と捉えており、人事採用にも注力し、面接は1人90分~120分と長く時間を割き、人間性や理解度などをチェック。採用後もスタッフ1人1人と食事をして人生相談に乗ることもあり、「離職率は高いですが、スタッフが人間として成長できるよう努めています」。西尾社長は「スタッフにとって父親のような存在」であり続けている。
そして、「もはや人力車じゃなくてもいいんです。鍛え上げたうちのスタッフはどんな業界でも通用する自信があります。今後の経営施策はスタッフみんなとアイデアを出し合っています」。培った“最強”の接客ノウハウを生かし、他分野への挑戦への計画を練っているという。「結局は人なんだよなぁ」。人を大事にして、人のために働く――。大切なモットーを胸に刻み、これからも新たな可能性を切り開いていく。