横山だいすけ、“うたのお兄さん”として「忘れられない」1日とは「番組としても一つ大きく変わった」
歌手で俳優の横山だいすけが22日、都内で行われたNHKの『おかあさんといっしょ』放送65年試写会・出演者会見に出席した。第11代“うたのお兄さん”として活動した9年間を振り返った。
『おかあさんといっしょ』放送65年試写会・出演者会見
歌手で俳優の横山だいすけが22日、都内で行われたNHKの『おかあさんといっしょ』放送65年試写会・出演者会見に出席した。第11代“うたのお兄さん”として活動した9年間を振り返った。
保護者の“育児の伴走者”となれるように放送を続けてきたという同番組。放送65年を記念し、総合テレビで特番『放送65年 おかあさんといっしょの魔法』(午後7時57分)を放送。番組では収録現場にカメラが密着、一部始終をテレビで初公開する。
第11代“うたのお兄さん”として、番組史上歴代最長となる9年間(2008年~17年)にわたって出演し続けていた横山は、同番組の試写を見終えて開口一番「いや~、もう正直言うと……『なんとすばらしい番組を作ってしまったんだ!』と思ってしまいました」と称賛。「僕も今4歳の娘がいるんですけど、一親として見ると『こんなことが隠れていたんだ』と僕も知っていること、知らないこともがあった。『おかあさんといっしょ』ってすごいなと思ったし、また歌のお兄さんとして9年間の思い出を思い出しながら、胸が熱くなった」と話した。
出演初期を思い出して横山は「最初なんてロボットだった(笑)」と言い、「僕としては子どもたちにはっきりちゃんと日本語を届けなきゃ、みたいな意識があるんですよ。 すごい発音も滑舌もよく、みたいに思ってるんですけど、実際に映像で見ると、かたすぎて、まわりの子どもたちもなんかちょっと緊張してる、みたいな。そんな感じですよ(笑)」と述懐した。
印象に残っていることを問われて、横山は2011年の東日本大震災に言及。「そのときのことは忘れられない。そのときちょうど古屋さんが担当だった。『おかあさんといっしょ』の収録に子どもたちが来れない。子どもたちだじゃなくて、大人もすべての人たちが『どうすればいいんだろう?』という状況だった」と回顧。いてもたってもいられず、「古屋さんに『もう東北に行きましょうよ』ぐらいな感じで訴えに行ったことがあった」と告白した。
スタジオに子どもが入らない収録を懸命に続けて「感謝の言葉をいただいた」。その後同年8月1日、津波を免れた幼稚園を訪れて歌唱した模様を放送。横山は「あの景色や、あの子どもたちが喜んでくれた姿、親御さんが喜んでくれた姿、そしてその年から、コンサートや収録に来てくれる子どもや大人たちの反応は『この瞬間を楽しもう!』(という雰囲気だった)。『僕もこの瞬間を楽しもう!』と思った。自分自身も、歌のお兄さんとしても一歩変わった、番組としても一つ大きく変わったタイミングなのかな、と感じました」と語った。
また、横山が「ミスター・おかあさん」と呼ぶ、『おかあさんといっしょ』の制作統括である古屋光昭プロデューサーは、65周年のタイミングで番組の裏側を見せた理由を説明。「努力を見せるのは野暮」と述べつつ、「(収録を現場で見た)皆さんなぜか『すごいことやってますね』みたいなリアクションをくださる。外国の方にも見せたことがあるんですけど『なんかすごいね。これ1時間で終わってるよ』みたいなことを言われた。僕らはこれが当たり前のやり方になってるけど、けっこう実は大したことをやってるかな、とちょっと思うようになったのは1つある」と語った。
他方、横山は目を見開いて「ぶっちゃけて言うと、これは子どもたちには見せられないですよね、魔法の一部が見えちゃう。子ども禁止と書かないといけないですね」と“ネタバレ”を警戒。報道陣の笑いを誘った。
会見の司会は、同局の小林千恵が務めた。