愛弟子・小川直也が猪木好き漫画家の小林まこと氏の「偲ぶ会」参列を告白「俺たちは猪木に借りがある」

“暴走王”小川直也は最近、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を中心に、柔道界への問題提起を投げかける発言を繰り返しているが、今度はプロレスラー時代の興味深い話を公にしている。動画内では「1・2の三四郎」「JJM女子柔道部物語」といったヒット作を持つ、漫画家の小林まこと氏との対談企画が続いているが、11日に公開された動画では、師匠・アントニオ猪木が旅立った際の話や小川のプロデビュー戦が決まった経緯が語られていた。

小川直也が漫画家の小林まこと氏と片腕を突き上げてA猪木の象徴的なポーズ「ダー!」を
小川直也が漫画家の小林まこと氏と片腕を突き上げてA猪木の象徴的なポーズ「ダー!」を

「俺たちは猪木に借りがある」

“暴走王”小川直也は最近、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を中心に、柔道界への問題提起を投げかける発言を繰り返しているが、今度はプロレスラー時代の興味深い話を公にしている。動画内では「1・2の三四郎」「JJM女子柔道部物語」といったヒット作を持つ、漫画家の小林まこと氏との対談企画が続いているが、11日に公開された動画では、師匠・アントニオ猪木が旅立った際の話や小川のプロデビュー戦が決まった経緯が語られていた。

 まず今回公開された対談動画で注目するのは、A猪木好きとして知られる小林氏がその訃報を聞いた際の話だろう。

「(亡くなる前からA猪木がありのままの姿を)YouTubeで流していたから、それを見ていてファンとして覚悟はしていた」という小林氏は、猪木の訃報を聞いて、すぐに小川に連絡を取った。

「俺、(A猪木の)葬儀には行こうと思ってたんだけど、俺のイメージではファンを集めて、青山斎場とかで何万人も来るような葬式をイメージしてたんですよ。でも、身内だけでやるっぽい感じだったから、え! それじゃ行けねえじゃんと思って。小川さんに連絡して。『俺も行きたいんですけど、なんとか』って」(小林氏)

 その頃のことを思い返すと、A猪木が亡くなったのは2022年10月1日の朝方だったが、「偲ぶ会」という「家族葬」が都内の斎場で行われたのは、13、14日だった。その際、小林氏は「(小川の)家族枠」で参列することができた。

 その際、棺の中にいるA猪木を見て、小林氏は改めて思った。

「感謝だね……。ずーっと前だったかな。誰が言ってたのか忘れたんだけど、『俺たちは猪木に借りがある』って。いいセリフだなと思って。楽しませてもらいました」と当時の心境を率直に語った。

 また、対談内では、小川が1992年バルセロナ五輪柔道銀メダリストの実績を背負ってプロ入りし、急きょデビュー戦が決まった経緯も語られている。

「小川さんがプロに行くって時もスポーツ新聞を見て、マジで万歳したんですよ。そしたら(小川から)電話がかかってきて。『そういうことになりました』って言うから、大応援して」(小林氏)

 これには小川も、当時を思い出しながら、「柔道からプロに行く時って、(柔道界からすると)『出て行くヤツは……』って感覚(※決して喜ばれない)になるから。でも、小林先生はウエルカム。応援するよーみたいな感じ」だった。

 小川からすると、小林氏が無条件に小川の選択を歓迎してくれたことがうれしかったようだが、その頃のことを振り返りながら、小川は「あの時はヤバかったんだよ」と明かした。

 小川の記憶によると、小川のプロ入りが報じられたのは「2月半ば」だったそうだが、小川は「(当時はJRAの)サラリーマンをやってたから。(会社に出社して)みんなに『おはようございます』って言ったら、みんながジロジロ見るわけよ。JRAってスポーツ新聞があるわけじゃん。いきなり(小川が)一面になってるんだよ。だから『えー!』と思って、『ヤバくね』と思って」と振り返る。

『1・2の三四郎』と『柔道部物語』【画像:(C)小林まこと/講談社】
『1・2の三四郎』と『柔道部物語』【画像:(C)小林まこと/講談社】

チラ見せされた次回予告は「1・4事変」か

 スポーツ新聞の一面には「小川、プロレス入りか?」と書かれていた。

「『小川』ってなってて、(新聞が)折ってあるから。広げると、『か?』って。だから『いい加減にしろよ。なんだよ、これ』って(思っていた)」(小川)

 それでも小川は、自身のプロ入りについて、「僕の場合は(柔道家としては)やることをやったって感じじゃないですか」と話し、(2008年北京五輪柔道金メダリストの)石井(慧)の(プロ入りの)時は中途半端になっちゃった。その時とはちょっと違いましたよね」と口にする。

 そういった経緯がありながら、小川は坂口征ニ、A猪木に師事し、新日本プロレス入りを果たした。しかもデビュー戦の相手は、当時、IWGPヘビー級王者だった橋本真也。場所は東京ドームである(1997年4月12日)。

「あれもケン・シャムロックの代打だったんですよ。シャムロックがキャンセルして橋本真也の対戦相手がいなくなって。あれも最初は(猪木から)『半年間くらい修行して、来年くらいにデビューしようか。1年間くらいは(準備して)』って話だったんですよ。そしたらいきなり、そんな話をしていた矢先に、急に『お前、試合決まったぞ』って」(小川)

「いつですか?」と小川が訊(たず)ねると、「4月の東京ドーム」との返答だった。

「この間まで半年とか1年とか長いスパンで……って(言われていたからそう)思ってたら…。あそこは目まぐるしかったね」(小川)

 当時の記録を調べると、この時の会見は橋本、小川に坂口とA猪木も出席。3月7日に全日空ホテルで行われている。

 ちなみに小林氏は、小川のデビュー戦をテレビで観戦した。

「デビュー戦をテレビで見ていて、なんかドキドキですよ。(柔道時代のように)送り襟を取りに行くような感じで。取ってもしょうがねえんだよって」(小林氏)

 しかも、小林氏はこの後、「猪木にも借りがあるけど、小川さんにも借りがある」とひと言。これは小川からすると、最大級の賛辞になるに違いない。

 なお、今回の動画には次回の予告場面の映像がチラ見せで出てくるが、そこには小林氏が「猪木さんが直々にあのマスクを取りにここに来た」と語っている。

 おそらくそのチラ見せに出てくる「あのマスク」とは、「1・2の三四郎」の主人公である三四郎のマスクを指し、「ここ」とは対談場所となっている講談社のこと。となれば、これはプロレス界に語り継がれる「1・4事変」(1999年1月4日、東京ドーム)で、A猪木らしき人物が被ったとされる三四郎マスクにまつわる話であることが想像できる。

 もしその予想がその通りなら、次回は「1・4事変」に関する新事実が語られている可能性は高い。その前振りという意味で考えても、今回の動画は非常に興味深い。

(一部敬称略)

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