映画パーソナリティー伊藤さとりさんが感じた女性の壁と波乱の人生、19歳婚約&破棄、44歳で妊娠、シングルマザー
フジテレビ『めざまし8』やTBS『ひるおび』などに出演する映画パーソナリティーの伊藤さとりさん(53)が「HIBIYA CINEMA FESTIVAL 2024」(10月11~27日、東京ミッドタウン日比谷)で、自身が立ち上げた「女性記者映画賞」の初イベントを行う。同賞は30数人の女性記者が女性をエンパワーする作品や人物を表彰するもの。業界における女性の地位向上、生きやすさを訴える理由には、彼女自身の波乱の映画人生があった。
出発点は幼稚園から見ていた映画評論家・淀川長治さんが解説する『日曜洋画劇場』
フジテレビ『めざまし8』やTBS『ひるおび』などに出演する映画パーソナリティーの伊藤さとりさん(53)が「HIBIYA CINEMA FESTIVAL 2024」(10月11~27日、東京ミッドタウン日比谷)で、自身が立ち上げた「女性記者映画賞」の初イベントを行う。同賞は30数人の女性記者が女性をエンパワーする作品や人物を表彰するもの。業界における女性の地位向上、生きやすさを訴える理由には、彼女自身の波乱の映画人生があった。(取材・文=平辻哲也)
テレビ番組での映画紹介、映画イベントの司会で活躍する伊藤さん。そのキャリアは30年になる。その出発点は幼稚園から見ていた映画評論家・淀川長治さん(故人)が解説するテレビ朝日系『日曜洋画劇場』。新聞社勤務の厳格な父(故人)のもと、1LDKの自宅リビングで見ていたテレビ番組はニュースとプロ野球中継ばかり。吹き替えの洋画を見るのが唯一の楽しみだった。
「小学校の時からは近くの映画館に通っていました。『セーラー服と機関銃』(1981年)など角川映画、『スター・ウォーズ』(1978年)、『E.T.』(1982年)などが好きで、映画雑誌を買ったり、『フラッシュダンス』(1983年)、『フットルース』(1984年)のサントラ盤も集めていました」
私立嘉悦女子中、高に進学したが、父は伊藤さんが幼稚園の頃には新聞社を自主退職し、その後事業に失敗し、母が鍋の訪問販売と花飾りの内職などで家計を支えていた。
「貧乏で、小遣いをもらえなかったから、高校時代から有楽町・スバル座(2019年閉館)横の喫茶店でアルバイトしていました。ただで映画が見られたんです。大学に行きたかったのですが、母から『家族のために働いてほしい』と。だったら、好きな仕事ができたらと思っていました」
夢は雑誌社の映画ライター。出版社に電話するも、入社には大学卒が必須と言われた。そこで、007シリーズに登場するボンドカーへの憧れから、大手タイヤメーカーに就職。大卒の同期と恋に落ち、19歳で婚約する。
「当時、社内結婚すると、女性は寿退社しないといけない風潮の時代でした。夫になる予定の人は大阪転勤が決まっていて、結婚までは少し時間があったんです。イベントMCのアルバイトを始めたら、オーディションに受かるようになって、広告代理店の人と知り会え、その人が紹介してくれた中に試写会のMCの仕事があったんです」
思わぬところで映画界の道が拓け、結婚より仕事を選んだ。
「双方の親は怒っていました。その人は優しかったから『いつまでも待ってくれる』と言ってくれたんですが、結局、婚約破棄になりました。映画会社の人たちに『どうしたら、淀川長治さんのように映画を紹介する番組が作れるのか』と相談したら、『テレビ局に売り込みにいけばいい』と言われました」
自ら売り込み「怖いものは何もなかった」
そこからは猪突猛進。神奈川県内のケーブルテレビ局に売り込み、番組を持てるようになった。条件は解説、台本を書き、作品ブッキング、番組の編集をやることだった。
「二十歳そこそこだったので、怖いものは何もなかった。小さな会社だったから、食レポや番組アシスタントもやりました。サンドラ・ブロック主演の『あなたが寝てる間に…』(1995年)を紹介して、映画会社の宣伝担当の方にお礼の電話をしたら、ウーピー・ゴールドバーグ主演の『T-REX』のイベントのMCをやらないか、と誘われたんです」
映画イベントのMCの司会、コミュニティ FM でのパーソナリティーの仕事が次々と舞い込む。「3時間の番組に映画コーナーも作ったりしました。何でも企画して、持ち込まないと映画の仕事が出来なかったんです」。TBSの深夜の情報バラエティー番組『ワンダフル』(1997~2002年)で映画コーナー、声の仕事ではレンタルビデオチェーン『TSUTAYA』の店内放送で流れる映画ナビゲートも長年、担当した。
最初に、映画業界のジェンダー差別に疑問を持ち始めたのは20代だった。
「テレビやラジオの番組に呼ばれるんですが、大物タレントの方から、『若い女の子から映画を紹介されるのがちょっと気に食わない』と言われて、予定していたレギュラーから3回降ろされたことがありました。30代には『服装が個性的だから、白っぽい服を着てほしい、髪を黒く染めてほしい』と言われたことも。女性だけ、外見や年齢を言われるのはおかしい、女性が映画を紹介することって、こんなに困難なことなのかと思いました」
しかし、年齢を重ねれば、変わっていくと信じたが、現実は違った。痛切にジェンダー差別を感じたのは2014年に結婚し、15年に第一子となる長女を妊娠・出産した時だった。
「思えば、結婚が遅くなったのも、子どもを生んだら、仕事がなくなると思ったから。でも30代後半に子どもが欲しいと気づき、卵巣検査も受けました。44歳で妊娠し、映画宣伝の方と相談しながら、妊娠8か月までMCを務めましたが、SNSなどでは『大きなお腹でステージに立つのは不快』という誹謗中傷を受けました。でも、私の夫は小さな会社勤めで、裕福でもなかったから、すぐ休むわけにもいかなかった。そして、生まれてきたのは娘。その娘が将来、男女の差のせいでやりたいことが思うようにできないと思ったら、自分の世代で変えないといけないと思ったんです」
仕事が大好きで、産休明け7か月目には再開した。
「仕事の時は一つ上の姉か、場合によってはベビーシッターを雇って、娘の面倒を見てもらいました。都合が合わない時は会場前まで赤ん坊を抱いて、姉にバトンタッチということも。夫は娘をかわいがってくれたのですが、娘が泣かれると、どうしていいか分からず、触れることができなかったんです。一人で子育てをするようなものでした。結婚生活は崩壊していきいつかは離婚するだろうと思い、依頼が来た仕事は受けるようにしていました」
そして、娘が1歳半だった2016年に離婚が成立し、シングルマザーになる。自身も子育ての悩みを抱えつつ、映画業界で働く女性の悩み相談を受けることも多くなった。
「私自身、仕事をしながら、ノイローゼになりそうなことも多かったんですが、制作スタッフの女性の中には、結婚前から子育てと仕事の両立が出来るか悩んでいる人が多いんです。いろんな映画賞の審査員を務める中、審査員は男性の方が多く、票数の少ない女性の意見は届きにくいことも実感しました」
そこで、22年に映画ライターの渥美志保さんとともに、『女性記者映画賞』を立ち上げた。選考員に女性評論家、ライター、劇場関係者など30数人を集めた。22年の最優秀作品賞は『ケイコ 目を澄ませて』、最優秀監督賞は『PLAN75』の早川千絵監督、23年の作品賞は『福田村事件』、監督賞は『波紋』の荻上直子監督が選ばれている。
「2年間、オンラインで映画賞を発表してきましたが、届く限界があると思ったので、リアルイベントの映画賞にしたいと思っていました。3年間、司会でお世話になっていた『日比谷シネマフェスティバル』に相談したところ、コラボイベントが実現しました」
11日には「ナイトスクリーンプレミアムトークショー」と題して、俳優・MEGUMIをゲストに迎えてのトークイベントと出演作『愛にイナズマ』の無料上映。12日には荻上直子監督『波紋』、13日には川和田恵真監督『マイスモールランド』(22年最優秀新人賞、嵐莉菜)、14日には『セント・フランシス』(22年最優秀外国語映画賞)の無料上映と女性ゲストを迎えてのトークショーを行う。
「野外無料上映なので、まずはこんなものがあるんだ、というのを知ってもらいたい。通りすがりでいいので、気づいてもらうことが大事だと思っています。それが日比谷シネマフェスティバルさんと組んだ意味だと思っています」
伊藤さんは19年には、年下のフリーランスのギター修理工と再婚。9歳の娘を育ててながら、業界の最前線に立っている。
□伊藤さとり(いとう・さとり)1971年3月23日生まれ、東京都大田区出身。映画パーソナリティーという映画の語り手、書き手。『新・伊藤さとりと映画な仲間たち』YouTube俳優対談番組。フジテレビ系『めざまし8』、TBS系『ひるおび』で映画解説、『ぴあ』他で映画評論を執筆。映画セリフ本『愛の告白100選』も発売中。日刊スポーツ映画大賞、日本映画批評家大賞の審査員も務める。
日比谷シネマフェスティバル2024
https://www.hibiya.tokyo-midtown.com/hibiya-cinema-festival/
女性記者映画賞公式サイト
https://eigacamp.wixsite.com/joseikisha-awards