BEGIN・比嘉栄昇、息子2人とは「親子というよりバンド仲間」 故郷石垣島に戻った理由は“危機感”

来年デビュー35周年を迎えるBEGINが、10月2日にニューアルバム『ビギンの盆マルシャ』をリリースした。作品テーマは盆踊りで、ボーカルの比嘉栄昇はENCOUNTに盆踊りを中心に、故郷の沖縄・石垣島とミュージシャンとして活動する2人の息子への思いなどを語った。BEGINの音楽に触れた「前編」に続き、「後編」は比嘉の故郷と家族について。

故郷石垣島と2人の息子について語ったBEGINのボーカル比嘉栄昇【写真:冨田味我】
故郷石垣島と2人の息子について語ったBEGINのボーカル比嘉栄昇【写真:冨田味我】

インタビュー「後編」

 来年デビュー35周年を迎えるBEGINが、10月2日にニューアルバム『ビギンの盆マルシャ』をリリースした。作品テーマは盆踊りで、ボーカルの比嘉栄昇はENCOUNTに盆踊りを中心に、故郷の沖縄・石垣島とミュージシャンとして活動する2人の息子への思いなどを語った。BEGINの音楽に触れた「前編」に続き、「後編」は比嘉の故郷と家族について。(構成=福嶋剛)

 前回は、アルバム『ビギンの盆マルシャ』とそこに収録した新曲『渋谷百年総踊り』について、バンドの歴史を振り返りながら紹介しました。今回はその続きになります。前回も話しましたが、僕は若い頃から自信のない自分と向き合いながら、音楽活動のエネルギーにしてきました。今回は「ふるさと(故郷)」についてお話をしたいと思います。

 僕の両親はもともと宮古島に住んでいて、石垣島に移住してきた後、僕が生まれました。もっと前のご先祖様は沖縄本島で暮らしていたそうです。だから、僕の故郷は八重山と思う一方で、「実際の故郷ってどこなんだろう」という気持ちも持っていました。それもあり、村の行事に参加する際、親が石垣の人じゃないからという理由で、「僕も参加する資格がないんじゃないか」なんて勝手に思い込んでいたこともありました。

 高校を卒業して予備校に通うために10代で上京して、そのままBEGINとして約20年、東京に住んでいました。まだ携帯電話がなかった時代で、渋谷で待ち合わせといったらハチ公前と決まっていて、石垣にいた時にはなかった自由がありました。渋谷の思い出もたくさんあります。個人的には、B.Y.Gという道玄坂にある長い歴史を持つライブ喫茶での思い出が印象的です。いろんな人のライブを見ましたし、気が付いたらBEGINでも演奏させてもらうようになり、B.Y.Gに戻ってくるたびに「故郷に戻ってきた」という思いを感じれる場所になりました。

 新曲の『渋谷百年総踊り』は、ハチ公生誕100年というタイミングで制作しました。常に景色が変わり、規模がどんどん大きくなっていく街並みの中にもB.Y.Gのように変わらない場所もあって、人々のつながりや街の歴史の面白さとか、「BEGINを育んでくれた故郷の渋谷を曲にしたい」という思いで作りました。

 話は戻り、約20年の東京での生活を終えて、家族で地元の沖縄に戻りました。理由は、これから石垣を出て東京で夢をつかもうとしている後輩たちのために「この場所を開けなくちゃいけない」と思ったのと、石垣に住んでいた頃の感性とか感覚みたいなものが、どんどん薄れていくことに危機感を感じたんです。

 引っ越してみて、暮らしやすさで言ったら東京でした。石垣は何をするのも自分で車を運転しなくちゃいけないし、台風が来たら借りていた一軒家の修理も自分でやらなくちゃいけないとか、逆に子どもの頃からずっと経験してきたことをもう1回やるところに、心の居場所みたいなものを感じました。同時に、これから歌をどこから届けるかっていうのも大切になってきた大きなターニングポイントでした。

 例えば『オジー自慢のオリオンビール』という曲は、どれだけ全国の人たちが、沖縄に興味を持って、憧れているのかというのを沖縄のみなさんに伝えたくて作った曲なんです。僕自身も「やっと、地に足をつけて曲作りができるようになった」と思った瞬間でもありました。

 そして、石垣に戻って10年くらいたちました。僕と妻は同級生で小学校からずっと一緒ですし、「いつか、僕たちのルーツでもある島の生活を子どもたちに体験してほしい」と思っていました。なので、子どもたちには小さい頃から「君たちが帰る場所は八重山だからね」って言ってきました。長男の舜太朗(しゅんたろう)は東京で生まれ、中学まで沖縄本島で育ったので沖縄の方が友達も多いんです。でも、「きっと、石垣が故郷になるよ」って言いました。

 僕たち家族は石垣に帰ってきた訳ですが、30年近く島を離れていても、あの頃と何も変わっていませんでした。楽しいことばかりじゃなくて、いろんな摩擦もあるし、「何でこんなことで争うの」なんていう面倒なこともありました。でも、それがなぜかうれしかったんです。文句言いながらも、「それをちゃんと受け入れるような年齢になったのかな」って感じました。

来年3月に日本武道館と大阪城ホールで35周年の記念ライブを開催【写真:冨田味我】
来年3月に日本武道館と大阪城ホールで35周年の記念ライブを開催【写真:冨田味我】

来年BEGIN35周年、日本武道館ライブ決定

 子どもたちにとってはしょっちゅう妻と帰っていた実家なので、気付いたらあっという間に島になじんでいました。むしろ、息子たちに救われたのは僕の方でした。実は、子どもの頃に抱いていた気持ちが再び湧いてきて、最初の頃は村の行事にも消極的だったんです。でも、知らない間に子どもたちが率先して、村祭りで太鼓をたたいたり、島のおじさんたちと交流していて、それを見た時、「勝手に壁を作っていたのは俺だったんだ」と気付かされました。石垣に戻ってから家族の絆もさらに強まり、よくよく考えたら妻のおかげで感謝しています。東京に行って派手なアーティストにならなくて良かったです(笑)。というか、そんな風になれない性格だったから今があるんですけどね。

 息子たちも大きくなって、舜太朗は自分のバンドをやりながら、BEGINでもドラムをたたいてくれて、健二朗とは地元で一緒にバンドを組んでやっています。今は親子というより、完全にバンド仲間です。まさか子どもたちとバンドをやるなんて、こんな時代が来るとは想像もしてなかったです。

 ここ数年は、自分のリズムの取り方がどうしてもしっくりこなくて悩んでいた時期があったんです。調べてみたら、自分はずっと八重山に古くから伝わる拍子の取り方をやっていたことが分かりました。「上げ拍子」という独特なリズムで、パソコンじゃループができないんです。日本では、高田渡さんやちあきなおみさん、西洋でもジョン・レノンやザ・ローリングストーンズは、上げ拍子と似ていたり、そんな研究を家でやっていたら、上げ拍子のバンドをやりたくなって、ミュージシャンを探したんです。でも、全然見つからなくて、「困ったなあ」と思っていたら自分の息子がいたんです。「ここにいたんかい」って(笑)。それで健二朗に「バンド組もうぜ」と言って、健二朗の友だちを集めて始めたのがヤエヤマ・アッチャーズ・バンドです。天然記念物じゃないけれど「上げ拍子」を守っていくバンドだと勝手に思い込んでやっています(笑)。でも、僕たちのライブ会場の隣の飲食店からは『島人ぬ宝』の演奏が聴こえてきて、本物はこっちにいるのに観光客はあっちに行っちゃうんですよね(笑)。

 舜太朗には子どもが生まれて、僕も気付いたらおじいちゃんになっていました。孫はもちろんかわいいです。息子たちが生まれた時を思い出しましたね。初めてお父さんを経験して「パパ」って呼ばれたのがすごくうれしくて、誇らしかったです。だから、舜太朗には「おまえが赤ちゃんの時と一緒」って言いました。じいちゃんとしては、何かあった時に、真っ先に守るのは孫になりました。「どんな風に大きくなっていくのかな」って今はそんな感じです。

 来年は35周年です。イカ天(『三宅裕司のいかすバンド天国』)の頃は「沖縄を背負って俺たちのBEGINをやってやる」なんて意気込んでいたけれど、今は個人的には「みなさんのBEGINになった」と思っていて、僕たちも客席からBEGINを楽しんでいるような、そんな感覚になることもあります。来年3月には、日本武道館と大阪城ホールで記念ライブが決まりました。まだ何をやるか全く考えていないんですが、これまで通り、今を大切に積み重ねながら3月を迎えたいと思います。35年間ファンでいてくれた人も、『ビギンの盆マルシャ』を聴いてファンになってくれた人もみんなが一緒に楽しめるライブにしたいと思います。

□比嘉栄昇(ひが・えいしょう) 1968年7月15日、沖縄・石垣島生まれ。BEGINのボーカルとして90年、『恋しくて』でデビュー。以降、『島人ぬ宝』『涙そうそう』『笑顔のまんま』など、老若男女に指示されて歌い継がれる楽曲を発表。長男・舜太朗は、4人組バンドのHoRookies(ホルキーズ)でドラム、ボーカルで、BEGINのライブではドラムを担当。次男・健二朗とは親子でヤエヤマ・アッチャーズ・バンドを結成し、石垣島を中心に活動。

BEGIN 35周年記念サイト
https://www.begin1990.com/35show/

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