小川直也、“誤審”が話題となったパリ五輪柔道を改めて検証「商業ベースで考えられている」
パリ五輪が閉幕してから早ひと月がたつが、いまだにこれを語り尽くそうとしている男がいる。“暴走王”小川直也である。小川は1992年バルセロナ五輪の柔道95キロ超級で銀メダルの実績を持つが、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」では、今年のパリ五輪の柔道について話しながら、五輪後に起こった「誹謗中傷」、さらには過去に小川自身がマスコミから受けたそれについて私見を述べている。
柔道は「五輪に頼らないといけない種目」に変化
パリ五輪が閉幕してから早ひと月がたつが、いまだにこれを語り尽くそうとしている男がいる。“暴走王”小川直也である。小川は1992年バルセロナ五輪の柔道95キロ超級で銀メダルの実績を持つが、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」では、今年のパリ五輪の柔道について話しながら、五輪後に起こった「誹謗中傷」、さらには過去に小川自身がマスコミから受けたそれについて私見を述べている。
小川がパリ五輪の柔道について話している動画は、今現在は2本あるが、今回取り上げるのは「暴走王、誹謗中傷を語ります/「俺は五輪で銀メダルだった際にマスコミから受けた」/パリ五輪で敗れ号泣して物議の阿部詩にエール」というタイトルの動画。
まず小川は、柔道界の現状を「やっぱり今は五輪に頼らないといけない種目なわけ。五輪に頼らずに独立独歩で通用する種目もある。分かりやすいところでメジャーリーグ。サッカーもそうじゃない。だからオーバーエイジ枠みたいなのをつくってさ。ジュニアだけやらせとけばいいんだ。俺らはワールドカップがあるからね(というスタンスでいる)。そういうふうなものにしたいわけ、柔道もおそらく」と推測する。
また、今回のパリ五輪では審判の誤審疑惑が目立ったが、パリ五輪の審判制度について以下のように話した。
「(審判には)ジュリー(審判を監督する審判委員)さんが(試合中にインカムを使って)ああでもないこうでもないって言っているわけよ。だからある意味、審判はジュリーさんの言いなりになる。言い方は悪いけど、(審判は)お飾りみたいなもんなんだよ。たとえば、いくら目の前で見ている主審が『一本』って言っても、ビデオを確認して『技あり』って(なる場合もある)。一番目の前で見ていてもビデオのほうが正しいって(なる)。ジュリーっていうのが2人いて、それがビデオを見ている」
ちなみに小川によれば、「今でも全日本柔道選手権はそうなんだけど、昔は主審が一人、副審が2人」と語り、そこにビデオの目が入っている、という意味では少しは進化はしているという話も出たが、小川は「進化っていうか商業ベースで考えられている。だから世界ランキング制を導入したのもそうだし、常にレベルの高い試合を見せたいって思惑もあるだろうし」と柔道界の思惑を推察したが、柔道界が変化していく様子を前向きに捉えていることが伝わってきた。
マスコミが小川を叩いた理由は「散々待たせた挙句に会見上に現れて、ひと言だけ言って帰った」
その後、誤審に関連する話をひと通り終えると、話題は昨今の大きなテーマとなっている「誹謗中傷」に。
すると小川は「誹謗中傷は今の時代だからナーバスに見ちゃうけど、それは厳しいよね、選手にとっては。一番キツいんじゃないかな、精神的に」と語り、「でもさ、俺の時ってマスコミが俺のことを誹謗中傷してなかった? あれはなんなの? あれは酷いぞ。あれはねえ……」と、自身が1992年のバルセロナ五輪の95キロ超級で銀メダルに終わった際の話を持ち出した。
「もちろん(その当時は)SNSとかなかったけど、マスコミが書き立ててたぞ」と語った小川は、「(今だったら)銀メダルを取ったら『おめでとうございます』って言うけど、俺の時は『おめでとう』の『お』の字もなかったよ。それはさ、俺が被害者だからいいんだけど。そういう意味では結構、キツいものがあるよ、俺も経験したけど」と誹謗中傷された側の心境を語る。
これは今回の動画ではなく、以前、小川本人から直接聞いた話だが、小川が銀メダルに終わった頃の日本柔道界は、金メダル以外はメダルと認められなかった風潮があった。それもまた極度にプレッシャーのかかる話だ。
しかし、なぜ小川は当時の取材陣とそんな険悪な関係になったのか。
「俺は(決勝戦で)負けちゃったんだから言うこともないから、『記者会見には出るつもりありません』って(関係者に)言ったの。負けたのに言うことはないだろうって派(考え方)だったからさ。だけど、『ひと言だけでもいいから出てくれ』って言われたんだよ、某監督に。でもないじゃん、言うこと。だからひと言だけ『完敗です。すみませんでした…』って感じで言って帰ったわけ。そしたら『散々待たせた挙句に会見上に現れて、ひと言だけ言って帰った』とかさ。でも、負けてグダグダ言ったところでしょうがないじゃん」と当時を振り返った。
当時の小川からすれば、結果的には銀メダルに終わってしまい、申し訳なさから暗い表情と後ろめたさが態度に出てしまったのか。結果的にその様子が連日のように地上波のワイドショー番組で流されていたそうだ。
とはいえ、今だからこそ言えるのは、あれがあったからこそ、その後の暴走王誕生につながっていく、というのが興味深い。
「そうそうそう。ただで転ばなくてよかった。だから、この暴走王チャンネルにつながるんですよ」
銀メダルで受けた「誹謗中傷」は「プロになるための必然的な要素」
また、当時は落書きなどのいたずらをされたのかを問われると、「落書きまではなかったね」と話した後、「ただ、プロ(入り)の時は見返してやるって。だからプロになるためには(よかった)」と続け、「その頃、プロになるなんて絶対に思ってないからね」とプロ入りは一切考えていなかったと話すと、マスコミから「誹謗中傷」されたことが「プロになるための必然的な要素だったのかなって(思う)」と、その時感じた反骨心がプロ入りの発火点となったことを明かした。
そんな自身の苦い経験を踏まえて、パリ五輪の柔道女子52キロ級の2回戦で敗れた阿部詩にもエールを送る。というのは金メダル候補と呼ばれた阿部詩は、2回戦でまさかの敗退を喫した直後、会場内に響きわたるほど号泣したことがSNS上を中心に賛否を呼び、炎上してしまったからだ。
「阿部詩も、泣いたことはあったけど、本人が後々どう思うか。(敗戦やミスは)一生残るわけだよ」と話し、これを機にさらなる飛躍を望んでいることを匂わせる。
さらに小川は「よく選手にふるまいを求めるけど、見る人もふるまいは必要だと思うけどな」と「見る側」にも節度を求める物言いに。
「ある程度は必要だと思うよ。それを感情のままに『キミを応援していたのに裏切られた』ってさ。ずっと応援している人に限ってそういうことをしないって思うわけ。ずっと応援しているからこそ、そっとしておこうかって思うわけじゃん。ずっと応援してましたって嘘だよ、あれ。裏切られたってさ。ファンって」と証言した。
小川は、ここで「一番面白いのは阪神(タイガース)ファンじゃん。負けても勝ってもファンだから」と、おそらく日本スポーツ界史上、最も逆境と闘ってきた阪神タイガースのファンを例に挙げ、持論を展開した。
「(阪神ファンは)毎年、いい言葉を言ってるじゃん。『今年はダメ虎だった』とかさ。それで何十年に1回、たまに優勝するじゃん。それがあるから、溜まったものが一気に噴き出るわけじゃん。それでいいと思うんだけどな」
なお小川は、マスコミから「誹謗中傷」を受けていた際に肩身は狭かったのか、と問われると、「肩身は狭くないよ。(狭くは)ないけど、狭いようにみんな気を使うからさ」と証言した。
SNS全盛の昨今、「誹謗中傷」に関してはスポーツに限らず、さまざまなジャンルで紛糾する場合があるが、理想論なりきれいごとを言うなら、それがプロであろうとアマチュアであろうと、何事に対しても「表現する者」と「それを論じる者」双方がそれなりの節度を持つこと。これが重要ではないかと考える。