「あの元気な姿から、このたった半年で…」 小林邦昭さん通夜に元レスラー続々 宮戸優光は絶句

9日に亡くなった“虎ハンター”こと元プロレスラーの小林邦昭さん(享年68)の通夜が18日、都内の斎場でしめやかに行われた。

小林邦昭さんの通夜に参列した宮戸優光【写真:ENCOUNT編集部】
小林邦昭さんの通夜に参列した宮戸優光【写真:ENCOUNT編集部】

藤原喜明、長州力、前田日明、佐々木健介らが参列

 9日に亡くなった“虎ハンター”こと元プロレスラーの小林邦昭さん(享年68)の通夜が18日、都内の斎場でしめやかに行われた。

 小林さんは今年2月すい臓がんと診断され、闘病生活を送っていた。通夜には新日本プロレス関係者のほか、藤原喜明、長州力、前田日明、佐々木健介、真壁刀義ら多くのレスラーが訪れ、早すぎる死を悼んだ。

 親交の深かった宮戸優光は1月に食事したのが最後だった。

「年明けぐらいからちょっと病院入ったりしてるんだっていうのは聞いていました。暮れまで全然お元気にお会いしていましたからね。あの元気な姿から、このたった半年でっていうのが、もう想像つかなかったですよ。悔しいです」と悲しみをこらえた。

 まだ14歳だった中学生の時、新日本の道場で、小林さんの胸を借りた。

 生まれて初めてのスパーリングは、プロの厳しさをとことん刻み込まれ、ボロボロになった。

「中学生相手に手加減なしですから。20分ラッパ吹かされました。要するに息ができない。窒息するぐらい。それでね、終わってから『お前本当にやる気あるなら入れてやるぞ』って言われたんですよ。けど、そこで普通なら『お願いします』って言わなきゃいけないところを、なんかもじもじしちゃったんですね。そしたら、そっからそっけなくて。だから新日本と(UWFが)提携してたでしょ。その時はほとんど話しかけてくれなかったですね。『お前、俺が声かけてやったあの時、なんで来なかったんだ』と。そういう無言の2年半でしたよ」

 ただ、リングを降りれば、穏やかな人だった。

「ここ数年は特にお世話になっていました。それこそ、最後の猪木会長を囲む会も、僕と小林さんのお付き合いの中で、小林さんが『お前んとこでやらしてくんねえか』と。そういう話でしたから」。2020年9月に、往年のレスラーが高円寺のC.A.C.C.スネークピットジャパンに集結して「アントニオ猪木を囲む会」が行われたが、その発起人は小林さんだった。

「本当に優しい人でした。もちろん厳しいところはすんげえ厳しいんだけど、リングを降りたら誰よりも優しい。そういう方でした。これは僕だけじゃない。みんながそう言われると思います」と人柄をしのんだ。

 がんとの闘病で苦しくとも、やせ細っていく姿は見せなかった。詳しい症状は、近い人にも明かさずに逝った。

「苦しさを人に見せない人でしたよね。だから(2人の)お嬢様たちにも、周りの人にも本当に大丈夫だって言って。なかなかまねできませんよ」と小林さんらしい最期だったと振り返った。

西村修(左)とタイガー服部【写真:ENCOUNT編集部】
西村修(左)とタイガー服部【写真:ENCOUNT編集部】

棺の中の表情は「4日と同じ顔」 西村修が明かす

 また、9月4日に小林さんを都内の自宅で見舞っていた西村修は棺に手を合わせ、「いまだに信じられないですよね」と肩を落とした。自身も食道がんステージ4闘病中で、毎日のように連絡を取り合っていた。思いもよらない再会となり、「4日と同じ顔ですよね。きれいごとを言うわけじゃないけど、『俺の分まで頑張れ』と言われているようでした」と沈痛な表情を浮かべた。

 小林さんは長野県小諸市出身。1972年、新日本プロレスに入門し、翌年の栗栖正伸戦でデビュー。海外遠征から帰国後の82年から83年にかけて、初代タイガーマスクとの抗争で注目を集め、虎ハンターと呼ばれた。

 2000年の獣神サンダー・ライガー戦で引退後は、野毛道場の管理人など裏方として新日本を支えた。現役時代の得意技はフィッシャーマンズスープレックス。

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