柿澤勇人、腐りかけていた20代「何度辞めようと」 役者人生を変えた“恩人”との出会い

俳優の柿澤勇人が13日に初の写真集『untitled』を発売した。同写真集内ではミュージカル『スクールオブロック』、舞台『オデッサ』『ハムレット』の舞台裏をはじめとした柿澤の1年間に密着している。どのような心境で激動の日々を過ごしていたのか、インタビューで胸の内を語った。

初の写真集『untitled』を発売した柿澤勇人【写真:ENCOUNT編集部】
初の写真集『untitled』を発売した柿澤勇人【写真:ENCOUNT編集部】

36歳で手にした栄誉ある賞「本当に報われた」

 俳優の柿澤勇人が13日に初の写真集『untitled』を発売した。同写真集内ではミュージカル『スクールオブロック』、舞台『オデッサ』『ハムレット』の舞台裏をはじめとした柿澤の1年間に密着している。どのような心境で激動の日々を過ごしていたのか、インタビューで胸の内を語った。(取材・文=中村彰洋)

 36歳にして初の写真集となったが、実はオファーを当初断っていたようだ。「36歳にもなってキメキメの写真集は僕には難しいと思ったんですよ。でも、大きな舞台が続いていた時期で、その1年に密着して撮るというコンセプトを聞いて、それだったらと思ってお受けしました」。

 稽古場や舞台裏での姿のみならず、行きつけの居酒屋でも撮影を行った。

「こんな瞬間を撮ってくれていたんだという写真が多かったです。『こんな顔してるんだ』と感じることも多くて、自然体な姿に『我ながらいいな』と思っちゃいましたね(笑)。1枚1枚すべての写真にエピソードがあるので、この時こういう風に思っていたなとか振り返ることもできるので面白いです」

 遅咲きの“写真集デビュー”となったが、2冊目の可能性については「テーマ次第じゃないかなあ」と笑う。「海外のみのカットで作るとかは面白いかもしれないですね(笑)」。

 2023年8月には『スクールオブロック』、24年1月からは『オデッサ』、5月からは『ハムレット』と大きな舞台が連続するまさに激動の日々だった。

「ずっと自宅と稽古場と劇場の往復でした。よく倒れずに生きていたなって思います(笑)。頭がずっとショートしている感覚でしたね。『ハムレット』は演劇の中でも文量がとても多いので、それを『オデッサ』の本番中に頭に入れないと間に合わないという状況もあったので、かなり追い込まれていました。

 舞台は2~3年前に決まることが多いのですが、直前になってこのスケジュールを後悔しましたね(笑)。でも不思議なもので、1か月空いたからといって、その期間で完璧に準備ができるのかというとそうでもなくて、意外と勢いに乗っちゃった方が良かったりもするんですよね。結果論ですけど、良い1年だったのかなと思っています」

 そんな激動の1年を過ごし、「第31回読売演劇大賞」優秀男優賞と「第49回菊田一夫演劇賞」を受賞。柿澤にとって初めての賞だった。「1つの形として評価してもらえたことで、自分のこれまでは間違っていなかったと思うことができました。本当に報われたなと思いました」と顔もほころぶ。

これまでの役者人生を振り返った柿澤勇人【写真:ENCOUNT編集部】
これまでの役者人生を振り返った柿澤勇人【写真:ENCOUNT編集部】

葛藤していた時期に三谷幸喜氏と出会ったことが転機に

 高校卒業後、演技未経験ながらも猛練習を積み重ね、狭き門をくぐり抜けて入団した「劇団四季」。ここから柿澤の役者人生は始まった。若くして劇団公演で主演を務めるなど、大きな期待を受ける中、本場・米国のブロードウェイのスタッフと仕事を共にしたことで、大きな刺激を受けた。「もっといろんな勉強や経験をしなきゃいけない」と意識も変化し、わずか2年ほどで劇団四季からの退団を決断した。

「退団後は大学に戻って、すぐにニューヨークに行きました。今の事務所に入ったのも、映画やドラマなどミュージカル以外のことをやってみたいという思いからでした」

 しかし、待っていた現実は理想とは大きく異なるものだった。映画やドラマのオーディションには落ち続ける日々。共演した同世代は大きく羽ばたいていった。

「19歳からこの仕事を始めて、周りの人たちがどんどんと売れていく姿を見てきました。『僕もいずれ続いていくんだ』と思っていたんですけど、全然ダメでしたね。何度辞めようと思ったか分からないくらいです。もちろん仕事はしていましたし、ありがたい作品ばかりでした。でも、自分の理想としている場所には全く到達できていなくて、心は荒んでいましたね。まだ若かったので、悔しさや嫉妬がエネルギーになっていました」

 そんな柿澤に転機を与えたのが、脚本家・三谷幸喜氏との出会いだった。

「ちょうど『僕はミュージカルしか向いていないんだろうか』と葛藤していた頃でした。それももちろんすごくすてきなことだと思っていますが、僕はそれだったら劇団四季を退団する必要がなかったのではと考えてしまうんです。そんな風に思い悩んでいた時に、三谷さんと出会ったんです。

 僕が出演するミュージカルを観に来てくださって、『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』という舞台の主演オファーをいただきました。ミュージカルではない作品で、しかも僕にとって初めての当て書き作品でした。半ば腐っていたような状態ではありましたが、腐りきらなくて本当に良かったと思いましたね。その辺りから、自分にフィットするような役をもらえたり、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演させてもらったりと『僕はこういうことを求めていたんだ』という経験を積むことができました」

 そんな恩人でもある三谷氏とは今では、プライベートでも交流する間柄だ。

「決断しなくてはいけないタイミングなどで、相談をさせていただくことが多いです。『結婚した方がいいですかね?』みたいな質問をすることもあります(笑)。ここ2年は連続で三谷さんのご自宅で年越ししています。三谷さんのご家族とウエンツ(瑛士)と(笑)。『ご家族との時間のお邪魔になってしまう』とも伝えているのですが、『恒例にしましょう』と言ってくださるんですよ」

 柿澤が思い描く役者としての究極の理想像は「どんなジャンルでも戦える人」になることだ。

「映画やドラマ、ストレートプレイにミュージカル、監督が誰であっても、スッとその世界に入り込めちゃうような役者が理想です。日本にも何人かいますが、海外ではそれが当たり前なんですよね。日本だとなぜか、ミュージカル俳優や映画俳優とカテゴライズされることが多い気がして。アメリカでは、映画で主演をたくさんやっている人がミュージカルもバンバンやって、ブロードウェイにも立つ。それが普通なんです。

 僕はそこに危機感を持っています。近頃、ミュージカルが盛り上がっていると言われることもありますが、当事者からすると、まだまだ全然マイナーだと思っています。チケット代もどんどん高くなって、若い人たちが観に行く機会が減っています。僕ももっとたくさんの作品に出られるようになって、『僕、ミュージカルやっています』と舞台を知らない人たちに広められるような存在になりたいです」

 10月からは『全領域異常解決室』(フジテレビ)、『ライオンの隠れ家』(TBS)と連ドラ2本のレギュラー出演が決まっている。「本当にちょっとずつですが、以前に比べたら理想の形に近付いていっていると思います」。確かな手応えを実感しながら、今後もさらなる成長を誓った。

□柿澤勇人(かきざわ・はやと)1987年10月12日、神奈川県生まれ。2007年、劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』でデビュー。退団後は舞台、映画、ドラマと活動の幅を拡げる。23年、ミュージカル『スクールオブロック』で主演。24年『オデッサ』『ハムレット』でも主演を務めた。一方で大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK/22年)、『不適切にもほどがある!』(TBS/24年)などでの好演も話題に。23年度、第31回読売演劇大賞 優秀男優賞と第49回菊田一夫演劇賞を授賞した。24年9月13日には1st写真集『untitled』が発売。10月からは『全領域異常解決室』(フジテレビ)、『ライオンの隠れ家』(TBS)への出演を控えている。

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