51歳・小籔千豊、28歳で悟った「俺に笑いの才能はない」 進んだ吉本新喜劇で持った矜持

今年も、お笑いタレント・小籔千豊が主催するフェス『KOYABU SONIC 2024』が、今月14日から16日まで大阪・インテックス大阪で開催される。11日、51歳になった小籔はフェスの主催者、吉本新喜劇の座長、ロックバンド・ジェニーハイのメンバー、ゲーム「フォートナイト」に熱中しての「フォートナイト大好きおじさん」など、さまざまな顔を持つ。だが、歩んできた道のりは波瀾万丈。その中で「大切にしてきたこと」を聞いた。

お笑い・フェス主催・ゲーム…さまざまな経験の裏側を語った小藪千豊【写真:ENCOUNT編集部】
お笑い・フェス主催・ゲーム…さまざまな経験の裏側を語った小藪千豊【写真:ENCOUNT編集部】

芸人になる前には1年無職「頭を冷やす時間」

 今年も、お笑いタレント・小籔千豊が主催するフェス『KOYABU SONIC 2024』が、今月14日から16日まで大阪・インテックス大阪で開催される。11日、51歳になった小籔はフェスの主催者、吉本新喜劇の座長、ロックバンド・ジェニーハイのメンバー、ゲーム「フォートナイト」に熱中しての「フォートナイト大好きおじさん」など、さまざまな顔を持つ。だが、歩んできた道のりは波瀾(はらん)万丈。その中で「大切にしてきたこと」を聞いた。(取材・構成=大宮高史)

――元々、小籔さんがレイザーラモンと組んでいたユニット・ビッグポルノが「出られる音楽イベント」をと考えて始まったKOYABU SONICですが、一貫してきたことはありますか。

「自分の利益だけを考えていると、ろくでもない結果にしかならないんです。『もっと、稼ごう』という方向に行くことは、これからもないですね。始めた時点でも、音楽の枠を越えたいという考えもありませんでした。『こうしたら、誰かが喜んでくれるやろうな』と思った試みの繰り返しです。今回なら、フォートナイト(Fortnite)のコーナーでゲームのファンにも楽しんでほしいですし、KOYABU SONICがあるおかげで僕らがやっている『ジェニーハイ』にも、表現の場が一つ増えています。でも、ジェニーハイにしても、思いつきからここまで来てしまいましたね」

――どんなきっかけでしょうか。

「僕がMCをやっていたBSスカパーの『BAZOOKA!!!』という番組で、野性爆弾のくっきー!さんとtricotの中嶋イッキュウさんがレギュラー出てくれて『バンドをやりましょう』と言っていたんだけど、数か月何もなかったんです。そして、もう1度バンドの話が上がって、『本気でやるなら強化メンバーもほしい』となって、川谷絵音さんと新垣隆さんにも参加していただきました。小学生の頃、堅実な人生観ばかり教わってきた自分がフェスをやり、新喜劇の座長にもなるとは思ってもいませんでした」

――「堅実な人生観」とは。

「家族からは『公務員だったら、つぶれへんで』とか、『大学に行けるなら国公立や』というような話を聞いて育ってきました。だから、今でもこんな不安定な道を選びながら『安定が一番』と思っているような二面性があります。芸人を目指した時も、まず1年間無職になって、頭を冷やす期間を作りました。『こんな浮き沈みの激しい仕事、本当に選んでいいのか』とまだ迷いがあったので、1年間無職の不安に耐えて、それでも芸人になりたかったら熱意は本物やと。一時の熱狂で目指すだけだったら誰でもできるけど、僕は慎重でした」

――ビリジアンでの活動が始まりでした。

「でも、相方のやまだともカズが放送作家を目指すとなったので、ビリジアンは解散して、その時に『俺に笑いの才能はないな』と28歳で悟りました。生活費を稼ぐことを最優先に普通の仕事も探していたら、お笑いの仲間が『辞めるな』と言ってくれました。そして、安定かつお笑いもできる仕事が新喜劇だったんですね」

芸人仲間の“遅刻騒動”では「会社が悪い」

――新喜劇では座長を長く務められました。組織を率いて実感したことは。

「組織で何かをやるなら、『皆を食わせている。喜んでもらえている』ことを一番に考えなければと実感しました。世の中で真ん中に立って引っ張る人は皆、考えていることだなと思います。家族に対しても、稼げなかったら『養えない自分』が恥ずかしくて、申し訳が立たないんですね。子どもがお腹を空かせていて、好きなものも食べさせてあげられないとなったら、男として情けない。そういう矜持もあります。家族だけでなく、仲間のために言うべきことを言ったこともあります(苦笑)。すっちーの“寝坊騒動”の時でした」

――すっちーさんが、吉本新喜劇の公演に遅刻して謹慎になった時のことですね。

「あの時、すっちーは前日の未明まで東京で仕事をしていて、始発の新幹線で大阪に帰ってから新喜劇の舞台に出る過酷なスケジュールでした。だから、僕は生放送のテレビで『そんなスケジュールを組ませて、誰も彼に付いていなかった会社が悪い』と文句を言ったら、『小籔がすっちーに激怒』とマスコミに書かれました。逆に芸人同士の他愛のないやりとりが、世間の皆さんからは不快に思われたりです。それも世の中と割り切っています」

――地に足が着いた考え方が、小籔さんの生き方の根底にあるようです。

「家族や仕事仲間の生活も背負っています。自由そうに見えて、仕事で自分の夢や目標を貫けたことはほとんどありません。最近、本気でやりたくて挑戦したのは、去年初参戦のM-1グランプリくらいです(笑)。ゲームにしても、僕自身が子どもの頃ゲーム好きで時間を浪費したので、子どもにはゲームにハマる前にしっかり勉強してほしかったんです。それでも(子ども)がフォートナイトにハマったから、自分でもやってみて『これ、お金になるかも』と4000時間もプレーして、『フォートナイト大好きおじさん』とYouTubeでネタにしてみたり。ジェニーハイも、ワーナーさんのプロデュースですから、僕はいちプレーヤーの感覚でいます」

――堅実な人生観と、偶然をきっかけに挑戦していく。そのバランスがKOYABU SONICなどの成功につながっているかもしれません。

「偶然づくしの人生です。趣味でも、人に勧められて始めたものが長続きしています。バンド、ダーツ、フォートナイト、カメラ……。続いているものは全部人からの影響ですね。自分でやりたくて始めたものはすぐ飽きます。真面目でもないけど、自由人でもない。しがらみと縁に助けられています。そんな中でも『目の前の仕事を頑張れば、なんか上手くいく』と気づけたので、これからもいろんなジャンルで仕事をさせていただきます」

□小籔千豊(こやぶ・かずとよ) 1973年9月11日、大阪府生まれ。93年にNSC大阪校卒業。同年に漫才コンビ・ビリジアンを結成し、2001年に解散。01年に吉本新喜劇に入団。06年から22年まで座長を務める。08年からはKOYABU SONICを主催。中断期間のあり、今年で11度目の開催。5人組バンド・ジェニーハイのメンバーとしても活動中。188センチ。

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