がん闘病の西村修「奇跡を起こしたい」 電流爆破へ10キロ増…5歳の息子に見せる“父の生きざま”
『川崎伝説2024』(8月24日、富士通スタジアム川崎)で電流爆破マッチに臨むドリー・ファンク・ジュニアが22日、羽田空港に到着した。タッグを組む西村修、そして対戦相手の大仁田厚、雷神矢口組も出迎え、大一番に向け、役者がそろった。食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中の西村は体重10キロ増に成功。“万一”に備え、病院と念書を正式に交わし、決死の覚悟でリングに上がる。
ドリー「大仁田スタイルの試合? 一生懸命頑張らないといけない」
『川崎伝説2024』(8月24日、富士通スタジアム川崎)で電流爆破マッチに臨むドリー・ファンク・ジュニアが22日、羽田空港に到着した。タッグを組む西村修、そして対戦相手の大仁田厚、雷神矢口組も出迎え、大一番に向け、役者がそろった。食道がん(扁平上皮がん)ステージ4闘病中の西村は体重10キロ増に成功。“万一”に備え、病院と念書を正式に交わし、決死の覚悟でリングに上がる。
5年ぶりに来日したドリーはトータル20時間のフライト。ビジネスクラスにもかかわらず座席が後ろに倒れないアクシデントもあったが、長旅の疲れは見せなかった。
「日本に初めて来たのは1969年。猪木との試合だった。それはずいぶん昔のこと。以来、日本に来るたびに楽しい時間を過ごした。いい旅だった。そしてコロナが襲ってきて、5年間ここに来ていなかった。ここに来られてとてもうれしい。この旅を楽しむために、対戦相手に挑戦するために、できることはすべてやるつもりだ。それが私が成し遂げたいことなんだ」
83歳の来日で、電流爆破マッチは初挑戦。しかも、2面に有刺鉄線電流爆破、もう2面には地雷が設置される地獄のリングだ。大仁田からは「容しゃはしない」と宣戦布告されたが、ドリーはカッと目を見開き、戦闘態勢をアピール。テリー・ファンクに先立たれても、テキサスブロンコは不滅。「大仁田スタイルの試合? 一生懸命頑張らないといけない。日本のレスラーはみんなレスリングに全力を注いでいるし、私には世界チャンピオン、日本での歴史や名声がある。私はレスリングファンが求めるものは何でも応えたいと思っている」と続け、勝利を飾ることを約束した。
パートナーの西村にとっても待ち望んだ瞬間だった。2000年にドリーと出会い、フロリダ州オカラの道場で、マンツーマンで教えを受けてきた。再会は同じく5年ぶり。とはいえ、自身の状況は5年前とは大きく異なった。今年の春にがんが発覚し、全身に回った状態。7月には脳にも転移した。入退院を繰り返す中で、目指したリングだった。
抗がん剤治療を中断し、脳腫瘍への放射線治療を行った。薬の副作用と戦いながらも、トレーニングを続け、体重は94キロから104キロまで増やすことができた。
19日には、病院側と正式に念書を交わした。試合の影響による症状の悪化、また仮に救命困難な状態になった場合は自己責任とする内容で、西村と妻がサインしている。当日はリングサイドに主治医や看護師など4人の病院関係者が待機する。
西村に“予想外の敵” 電流爆破の大量の光…耐えられるか
西村によると、医師が警戒しているのは、プロレスの攻防によるダメージもさることながら、爆破が起こった際の閃光によるけいれんの再発だという。1997年、アニメ『ポケットモンスター』の視聴者が光過敏性発作を起こす事故が発生し、「ポケモンショック」(ポリゴンショック)と呼ばれ社会問題化した。電流爆破のリングでは激しい火花が飛び散る。健康体なら何ら問題はないが、西村は7月にけいれんにより意識を失ったばかり。視覚への刺激で同様の体調不良を誘発するリスクを排除できないという。
しかし、西村の覚悟はとうに決まっている。当日は5歳の息子も試合を見届ける。「あらゆる方面においても奇跡を起こしたい。83歳のドリーさん、私自身の体調も含め、がんであろうがなかろうが、プロレスというのものを今の時代にお見せします」。1991年、飯塚孝之戦でのデビューから33年。プロレス人生のすべてをかけた戦いのゴングがいよいよ鳴り響く。