「ロスではパスタ1皿が4700円」…30歳・菅久瑛麻アナウンサーが“無収入”で始めた米国生活

ドイツで生まれ、神奈川県で育ち、ローカル局でキャリアを積んだフリーアナウンサーの菅久瑛麻(すがひさ・えま=30)が今夏、日本を旅立った。米国留学を決めた夫を支えるべく、ロサンゼルスに移り住んでいる。ENCOUNTでは9月から、菅久の不定期コラム「フリーアナ30歳・菅久瑛麻、物価高にあ然…初めての米国生活」(仮題)を配信予定。その前にインタビューをし、彼女の素顔と歩みを紹介する。

ドイツ生まれ、神奈川育ちの菅久瑛麻【写真:矢口亨】
ドイツ生まれ、神奈川育ちの菅久瑛麻【写真:矢口亨】

富山、埼玉でキャリアを積んだ菅久瑛麻

 ドイツで生まれ、神奈川県で育ち、ローカル局でキャリアを積んだフリーアナウンサーの菅久瑛麻(すがひさ・えま=30)が今夏、日本を旅立った。米国留学を決めた夫を支えるべく、ロサンゼルスに移り住んでいる。ENCOUNTでは9月から、菅久の不定期コラム「フリーアナ30歳・菅久瑛麻、物価高にあ然…初めての米国生活」(仮題)を配信予定。その前にインタビューをし、彼女の素顔と歩みを紹介する。

――菅久さんはドイツ生まれだそうですね。

「はい。父が当時、外交官で駐在していたドイツで私が誕生しました。1歳になった頃には帰国したので、ドイツでの記憶は全くありません」

――アナウンサーを志したきっかけは。

「高校2年の時、英語の先生から『大学受験はゴールじゃない。燃え尽きてはダメだ。卒業後の人生が長い。今のうちから人生を懸けられる夢を考えろ』と言われました。そこで私は『美しくて知的な人になりたい。憧れのニュースキャスターになったら、人生を懸けられる』と思うようになりました」

――アナウンサーになるために、どんなことをしましたか。

「大学1年からアナウンススクールに通いました。ただ、1年時から通っていた学生は私だけでしたが、それだけ強い思いがありました。振り返ると、学費を払うためにいろんなアルバイトをしていました。TOKYO FMでの深夜勤、幼稚園バスの添乗員、会議のスタッフ(受付、クローク担当)、チケットのもぎり係などです」

――アナウンサーの採用試験は狭き門。100社受けて全て落ちる人もいます。

「そうですね。私もキー局、準キー局、ローカル局と合わせて数十社を受けました。交通費、宿泊代、衣装代、美容代などで大変な出費になっていたので、往路は肌の状態を良くするために新幹線を使っても、復路は節約で夜行バスを利用することがありました」

――晴れて富山ローカルのチューリップテレビに内定。

「本格的な就活は3年生の夏から始まり、私は4年生の5月に内定をいただきました。就活に疲れ果てている中、男女合わせてアナウンサーは1人だけの採用。一般企業は全く受けていませんでしたし、とてもありがたかったです。そして、夢だったアナウンサーになれることをうれしく思い、お世話になることを決めました」

――縁もゆかりもない富山での勤務。不安はなかったですか。

「一人暮らし自体も初めてで、新卒入社だったので毎日、言われたことを必死にやるの繰り返しでした。先の不安を感じる余裕さえありませんでした。当時、『アナウンサーは事件、事故の原稿を書けるようになって画面に出る』という方針があり、私は日々、三脚を持ってカメラマンと現場に行っていました」

――在籍は4年ですね。

「私が2年目に入る直前に先輩(アナ)が退職され、情報番組のMCを担当させていただくことになりました。3年目からは夕方ニュース番組の担当になりました。4年目になり、この経験を基にフリーになって『自分の可能性を広げていきたい』と思い始め、退職に至りました」

2023年に結婚し、渡米することに【写真:矢口亨】
2023年に結婚し、渡米することに【写真:矢口亨】

大学院に通う夫をサポート「私は語学学校に」

――フリー転身後は。

「テレビ埼玉のオーディションに合格し、退職後、すぐに契約アナウンサーとして勤務することになりました。そして、情報番組『マチコミ』のMCを担当。他にもニュース番組、スポーツやイベントの取材など、さまざまなことを経験させていただきました」

――まさにコロナ禍が始まったタイミングでの転身でしたね。

「はい。その状況で『マチコミ』は視聴者の皆さまに楽しんでいただくため、生放送で『おうちで折り紙』『おうちでギター』といった企画に取り組みました。生放送で折り紙をすることは斬新でしたが、とても好評でした。ギターもそうで、初心者の私がシンガー・ソングライターの馬場俊英さんに指導していただき、あいみょんさんの『マリーゴールド』を弾き語りで披露できるまでになりました」

――キー局の系列でない独立局のテレビ埼玉は、番組作りでも「自由」を感じさせますからね。

「その通りで自由な社風も感じていました。番組によっては私の地元神奈川(テレビ神奈川)でも映っていたので、いい親孝行にもなりました」

――その最中、プライベートでは大きな動きがあったそうで。

「2年前、知人の紹介で2歳上の夫と出会いました。すぐに波長が合って交際することになりました。そして、約1年後の昨年10月に結婚。その頃から渡米の話は出ていました」

――旦那さまの決断を聞いた時の思いは。

「迷いなく『一緒に行こう』と思いました。実は大学時代、1年間の米国留学を考えていたのですが、アナウンサー採用試験を受けることを優先して断念しました。それが30歳になって実現できるわけですから。夫はこれから大学院に1年間通い、私は語学学校に通います。互いに無収入になりましたが、人生でこうした機会はなかなかないわけでプラスに捉えています」

――生活は大きく変わりますし、米国は日本では考えられない程の物価高です。

「そうなんです。医療費も心配です。なので、出国前にあらゆる検査をし、歯の治療もしました。そして先日、無事に入国して徐々に生活環境を整えているところです。まずは車を買いましたが、手続きがいろいろあって大変でした(笑)。基本は自炊ですが、先に米国生活を始めた友人とカフェで会ってパスタ1皿を注文したら、チップも含めて4700円ぐらい……。日本では考えられない物価高を実感しました。コラムではこうした驚き、戸惑い、不安も含めた米国ライフ、日本で起きていることへの思いなどを書いていきます。読者の皆様、よろしくお願いいたします」

□菅久瑛麻(すがひさ・えま)1993年10月7日、ドイツ生まれ。白百合女子大文学部英語英文学科卒。2016年4月、富山県のチューリップテレビにアナウンサーとして入社。情報番組、報道番組のMCなどを担当し、20年3月末に退職。フリーアナウンサーに転身し、同年4月から23年3月まで、テレビ埼玉で情報番組のMCなどを担当。資格は温泉ソムリエ、食生活アドバイザー、防災士、証券外務員二種、MBAなど。162センチ。

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