メダルラッシュに沸く中、夢断たれた“二刀流”選手の葛藤「次のロスが最後のチャンス」

パリ五輪でのメダルラッシュに沸く日本勢、その活躍を複雑な思いで見守るアスリートがいる。北林力、24歳。マウンテンバイク(MTB)・クロスカントリー競技で全日本選手権4連覇、中学時代にはスキーの全国大会でも優勝を収め、かつて「MTBとスキー、夏と冬の五輪両方でメダルを取りたい」と豪語していた少年は今、深い挫折と葛藤を抱えながら4年後のロサンゼルスを見据えている。アトランタから続く7大会連続出場が途絶えた日本MTB勢は今、どんな転換期を迎えているのか。所属チームのあるフランスから一時帰国中の北林に課題を聞いた。

MTBとスキーの“二刀流”で日本一の実績を持つ北林力【写真:本人提供】
MTBとスキーの“二刀流”で日本一の実績を持つ北林力【写真:本人提供】

中学時代の夢は「夏と冬、両方の五輪でメダル」

 パリ五輪でのメダルラッシュに沸く日本勢、その活躍を複雑な思いで見守るアスリートがいる。北林力、24歳。マウンテンバイク(MTB)・クロスカントリー競技で全日本選手権4連覇、中学時代にはスキーの全国大会でも優勝を収め、かつて「MTBとスキー、夏と冬の五輪両方でメダルを取りたい」と豪語していた少年は今、深い挫折と葛藤を抱えながら4年後のロサンゼルスを見据えている。アトランタから続く7大会連続出場が途絶えた日本MTB勢は今、どんな転換期を迎えているのか。所属チームのあるフランスから一時帰国中の北林に課題を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)

 信州は白馬。雪深い白馬三山のふもとで生まれ育った北林は、スキーヤーの母、ニュージーランド人で自転車乗りの父の影響で、幼いころからスキーとMTBの世界にのめり込んだ。夏は山々を自転車でめぐり、冬は白銀の世界を滑走。競技の世界でも徐々に頭角を現し、中学3年の冬には全中スキー大会で現プロ野球・中日の根尾昂と決勝を競い優勝を収めた。MTBでも中学3年から高校3年まで、全日本選手権で圧巻の4連覇。高校卒業まで“二刀流”の活躍を続けた。

「中学までは夏と冬、両方の五輪でメダルを取りたいと本気で考えていましたが、上のレベルに行くにしたがってどっちも中途半端になってしまうので。今でもスキーは好きですが、競技としてはMTBに専念することに決めたんです」

 五輪自転車競技は現在、競技場を走るトラックレース、舗装された道路上を走るロードレース、山道などの未舗装路を走るMTB、ジャンプや技の難易度などを競うBMXの4種目が採用されている。MTBは単純な速さを競うだけでなく、幅寄せしたりぶつかったりといった荒々しさのあるレースが特徴で、さまざまなテクニックを駆使していかに自分の走りに持ち込むかという戦略性が魅力だという。

「抜かすときに道を開けたり譲り合ったりする日本と、ドーピング以外何でもありの海外とではまるで違う競技。より過酷な環境でもまれたかった」と、高校卒業後はパリ五輪を視野に自転車競技の本場フランスで武者修行。同じくMTB選手だった弟の仁さんと2人で海を渡り、日本との二拠点生活で練習を積んできた。「今思えばもっと周りを頼ればよかった。フランス語もろくにできない状態で、最初はスポーツ施設で寝泊り、その後はコーチの家に転がり込んでという生活でした」。コロナ禍では渡航が制限され、思うような練習を積めないなど、予想外の出来事も重なった。ATMの前で3人組の男に囲まれ、慌てて逃げ出したこともあるという。

 3年前、21歳で迎えた東京五輪の代表選考は、選考方法が過去2年間のレース成績を加算するポイント制に変更。実力は十分に備わっていた一方で、ジュニアカテゴリーから進級したばかりで過去のレース実績に乏しかった北林は落選、涙をのんだ。遠くフランスの地から日本勢の活躍を応援していたが、「フェンシングでフランス勢の躍進があってテレビのチャンネルが切り替わってしまい、肝心のレースは見られませんでした」と苦笑する。

東京とパリ、2度の五輪出場の機会は相次ぐ選考基準の変更で翻弄

「本命はパリ」と意気込んでいた今大会だが、出場の参考となる昨年10月のアジア選手権は、度重なる日程変更という国際大会の洗礼を浴び調整が難航。迎えた本番は序盤から中国選手6人に囲まれ進路を妨害されるという苦しい展開で5位に沈み、悲願の五輪への望みは絶たれた。

「前年のアジア選手権で優勝をしていたので、最初からマークされていたみたいです。ただ、MTB自体が団体競技という側面もあるので、それは言い訳にならない。今回は中国勢が純粋に強く、それ(妨害)がなくても勝てていたかは分かりません」

 アトランタから東京までの7大会で、連続出場記録が途絶えた日本MTB勢。出場基準の変更で、今後も五輪への道は厳しい状況が続くという。

「他の種目も含めた自転車競技全般でくくられていて、多種目と限られた出場枠を取り合う状況になっている。JCF(日本自転車競技連盟)は競輪やBMXなどのメダルを狙える種目を優遇するので、今までと同じやり方ではこれから先MTB選手の出場は難しくなってくると思います。出場国はその国の世界ランク上位3選手の合計ポイントによって決まるので、僕一人が頑張っても出られるわけではない。残された最後の手段が、アジア選手権優勝で得られる大陸枠でした。今回のレースのように、自分一人ではどうしようもないというもどかしさはありますが、それをものともしないくらいの圧倒的な走りができれば出場できていた。まだまだ自分の実力が足りないんだと痛感しました」

 相次ぐ選考基準の変更に翻弄(ほんろう)され、かなわなかった2度の五輪出場の機会。依然として厳しい状況は続くが、今は4年後のロサンゼルス五輪出場を目標に掲げる。

「何度も振り回されているので、五輪だけを狙いすぎないようにはしてますが……(笑)。その前のワールドカップで好成績を残して、必然的に選ばれるというのが理想ですね。長野五輪の翌年生まれでスキーもやってきたので、五輪は子どものころからの夢。自分にとっては次のロスが最後のチャンスなので、悔いのないようにできることを全力でやるだけです」

 目指すは五輪の頂へ、決して平坦ではない困難な道のりを登りつめていく。

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