“FRUITS ZIPPERの妹分”SWEET STEADY、全員がアイドル経験…強い覚悟「次は絶対に売れたい」
7人組のSWEET STEADYは、FRUITS ZIPPERを輩出したアソビシステムのプロジェクト「KAWAII LAB.」が手掛けるアイドルグループだ。メンバー全員がアイドルを経験しており、3月のデビューからわずか3か月というスピードで東京・EX THEATER ROPPONGIでのワンマンライブを成功させた。今夏は多数の夏フェスに出演するなど、知名度が右肩上がりに伸びている。そんな今後が注目される7人の素顔に迫った。
デビューから4ヶ月で見せた成長曲線、夏は「とにかく“無双”したい」
7人組のSWEET STEADYは、FRUITS ZIPPERを輩出したアソビシステムのプロジェクト「KAWAII LAB.」が手掛けるアイドルグループだ。メンバー全員がアイドルを経験しており、3月のデビューからわずか3か月というスピードで東京・EX THEATER ROPPONGIでのワンマンライブを成功させた。今夏は多数の夏フェスに出演するなど、知名度が右肩上がりに伸びている。そんな今後が注目される7人の素顔に迫った。(取材・文=中村彰洋)
――デビューから約4か月がたちましたが、振り返っていかがでしょうか。
白石まゆみ「あっという間の4か月でした。本当に毎日が目まぐるしくて、いろんなレッスンやお仕事をいただいたり、ライブも想像以上にたくさんやらせてもらっています。大きな会場にも立たせてもらえて、気持ちが追いついてない部分もありますが、必死にしがみつきながら、楽しくやらせてもらっています!」
――アイドルデビューを目指す「KAWAII LAB. MATES」として活動していた15人の候補生から選ばれましたが、当時の心境はいかがでしたか。
栗田なつか「私は京都から上京してきたんですけど、歌もダンスも全然できひんくて、『ほんまにデビューできるんかな』といった心境でした。でも、『絶対に帰りたくない。絶対にデビューするぞ』という気持ちで毎日必死でレッスンに臨んでいました」
塩川莉世「私たちも誰がデビューできるか知らなかったので、不安でした。デビューが伝えられた日は、1人ずつスタジオに入っていって、そこで誰がいるか知るという状況でした。自分がスタジオに入った時に何人いて、あと何人が来るかも分からないので、ドキドキでしたね」
――担当カラーなどはどのように決まりましたか?
白石「結成後にミサさん(グループの総合プロデューサー・木村ミサ氏)から、それぞれ一人ずつ、『こういう意味を込めてあなたにこの色を任せるよ』と担当カラーを教えていただきました。いただいた言葉はとても大切にしています」
メンバー全員がアイドル活動の経歴、FRUITS ZIPPERから受けた刺激
――全員がアイドルを経験されていますが、もう1度挑戦しようと思ったのはなぜでしょうか。
山内咲奈「私は高校1年生からアイドルをやっていて、前のアイドルを辞める時に、もし、もう1度アイドルをやるなら、本気で『アイドルトップまで行くぞ!』と向き合えるメンバーと巡り合いたいと思っていました。ちょうど辞めた時に関係者の方から『またアイドルやった方がいいよ』と言ってもらって、FRUITS ZIPPERさんやCANDY TUNEさんのライブを見させてもらったんです。イチファンとして、『こんな完成されたステージができるアイドルがいるんだ。すごいな』と思ったんです。その時にオーディションがあると教えてもらって、私もこの中に入って、アイドルができたら最高だろうなと思い決断しました」
庄司なぎさ「私は『もっと上を目指したい』と思って前のアイドルグループ辞めました。でも、アイドルというものを諦めたことは1度もなくて、自分の目指す場所や夢と合う事務所さんやグループを探していたんです。2年間バイトをしていた時期もありました。そんな時に声を掛けていただいて、FRUITS ZIPPERさんのワンマンを見に行かせてもらったときに、自分が追い求めてたアイドル像が目の前にあって、すごい感動したんです。こんな事務所さんで『絶対アイドルやりたい』と思って、決めました」
奥田彩友「私は前のグループが不完全燃焼な状態で解散してしまって、ファンの人にもすごく申し訳ない気持ちがありました。ファンの人にも恩返しをしたいと思いましたし、『次は絶対に売れたい』という気持ちで選びました」
――奥田さんは、アソビシステムのアイドルグループ「IDOLATER」に所属していましたが、その後に誕生したFRUITS ZIPPERがものすごいスピードで人気を集めました。悔しさなども感じたのではないでしょうか。
奥田「もうありまくりでした(笑)。私もアイドルを続けたいなという気持ちが強くなりました」
――栗田さんはいかがでしょうか。
栗田「前は大阪でアイドル活動をしていたのですが、『ここにいたら自分がなりたいアイドルにはなれない』と思って卒業しました。そんな時にお声掛けいただいて、お母さんと一緒にFRUITS ZIPPERさんの大阪でのライブを見に行ったんです。私も前のグループで、その会場に出演したことがあったのですが、客席がスッカスカだったんです。でもFRUITS ZIPPERさんは超満員の中でライブをしていて、めっちゃすごくて……。お母さんも『すごいね。この事務所入れたらいいね』と言っていて、次は自分のグループでお母さんに、そういう風に言ってもらいたいと強く思いました。自分にとって最初で最後のチャンスのつもりで、『絶対ここに入りたい』と挑戦しました」
白石「私は、アイドルを卒業してから舞台を5年ぐらいやっていました。でも、ずっともう1度アイドルをやりたいと思っていたんです。舞台のお仕事をたくさん頂けて、ありがたく続けさせてもらっていたのですが、『どうしてもやりたい』という気持ちが強くなって、友達に相談をしたら『今しかないんだから、やった方がいいよ』とすごく後押しされました。私は乃木坂46さんに憧れていて、もしアイドルグループに入るなら、多くの人の支えになれるような存在になりたいと考えていました。そういったことを考えている時に、『アソビシステムさんでアイドルをやりたいな』と思って、話を聞きに行きました」
――ご自分で話を聞きに行かれたんですか?
白石「はい! 『アイドルのオーディションないですか?』って聞きに行きました(笑)。そしたら、『ちょうど作ろうとしていた』という話になって、その場で面接みたいな流れから始まりました。タイミングが本当にたまたま合ったので、巡り合わせを感じましたね」
――アイドルを辞めてからのブランクは長かったのでしょうか。
白石「16歳で1回辞めて、その後にもう1度同じグループに入ったんですよ」
一同「えー!」
白石「『戻ってきてほしい』と言われて……(笑)。高校が厳しくて、『勉強が忙しいからアイドル活動はおすすめしない』と言われたので、辞めていたのですが、半年後ぐらいに、『意外と大丈夫そうだな』と思ったこともあって、高校を卒業した2019年ごろまで活動していました」
――塩川さんはいかがでしょうか。
塩川「私は前のグループで長く活動していました。結果的には解散になりましたが、当時もずっと卒業しようか悩んでいたんです。実際に解散するまでの期間で満足できた部分があって、『もうアイドルはやりません』と最後のステージで言ったんです。その後フリーで2年ぐらい活動していたのですが、ファンの方から『またアイドルしてる莉世ちゃんが見たい』と言っていただくことが多くありました。そんなタイミングでアソビシステムの方に声を掛けてもらったのですが、1度『もうやらない』と言った事もあって、とても悩んだのですが、その方に『アイドルははかない職業だから、今しかできないよ』と言われたのがすごく心に残って、後押ししてくれました」
音井結衣「私は前のグループに入った時、『ファンの皆さんとメンバーと一緒に東京ドームに立ちます』と言ったんです。その夢を楽しみに、ファンの方もずっと応援してくれていたのですが、すぐにコロナ禍に入ってしまったんです。私は新メンバーとして入ったのですが、その間にメンバーが卒業したり、いろんなことが起きてしまって、『東京ドーム』という夢すらも語れないのが現実でした。卒業のことを当時の社長に相談した時に、今回のお話をいただきました。これまでに対バンでFRUITS ZIPPERさんやCANDY TUNEさんを間近で見ていて、すごくアイドルというものを体現しているなと憧れていました。きゃりー(ぱみゅぱみゅ)さんや中田ヤスタカさんの音楽もすごく好きで、原宿も好きだったので、自分の好きがたくさん詰まってるアソビシステムという事務所からお話をいただけるとはっていなかったので、今度こそここでもう1度ファンの人たちと一緒に大きな夢を追いかけたいと思って決断しました」
――入ってすぐにコロナ禍だと有観客のライブはほぼ経験できなかったのではないでしょうか。
音井「最初は愛知から通いながらで、土日だけしかライブに出ていなかったので、場数も踏めていませんでした。入って半年ぐらいでやっと慣れてきて、やっと引っ越したタイミングでコロナ禍になってしまって……。ほぼ1年間はオンラインでの配信だけでした。グループを続けていくのが難しいとなってしまったのですが、私はアイドルを続けたかったので、今ここではこんなにすてきなメンバーと活動できて幸せだなって思っています」
過去の経験があるからこその団結力「前のグループでいろんなことを経験しまくって…」
――それぞれ過去のアイドル活動でさまざまな苦楽を経験をされているかと思いますが、今に生きていることはありますか。
塩川「全員そうだと思うのですが、前のグループでいろんなことを経験しまくって、悔しかったこととかもいっぱいありました。それがあるからこそ、今、メンバーみんなで頑張っていきたいという団結力がすごいんです。『私が、私が』ではなくて、『みんなで納得したい』という思いをメンバー全員が持っているので、すごくすてきなグループだなと思っています」
――6月には、EX THEATER ROPPONGIでのライブを無事に成功させましたが、振り返ってみていかがでしょうか。
奥田「EXでのライブを3か月で開催するというのは不安があったんですけど、ステージに立った時、パンパンにファンの人が見えて、すごいびっくりして、うれしい気持ちでいっぱいになりました。衣装や新曲など、いろいろな新しいことに挑戦したワンマンで、ファンの皆さんにこれからのすいすてを期待してもらえるようなライブになったんじゃないかなと思っています!」
――FRUITS ZIPPERら先輩メンバーも見に来ていましたね。
白石「FRUITS ZIPPERさんの鎮西寿々歌さんがワンマンを見てくださって、『いつかご飯行こうね』と連絡をいただいたんです。お忙しいのに、日時もお店も決めてくださって、会った瞬間に、『お疲れさま』って私のメンバーカラーの赤と白のバラを手渡してくださいました。すごくうれしくて、今もおうちに飾っています」
――先輩からアドバイスなどをもらうこともありますか。
白石「ライブで先輩の背中を見させてもらうこともありますし、お話をさせてもらった時にアドバイスを頂いたりもします。例えば対バンライブでの前後の出演者に合わせたセットリストの組み方だったり、ライブ中の目線の使い方などいろんなことを教えてもらっています。やっぱり先輩って偉大です」
――今後のグループとしての目標と個人としての目標を教えて下さい。
山内「EX THEATERが無事に成功して、たくさんのファンの方に見ていただけて、そこで新しくすいすてを知ってくれたり、もっと好きになったと言ってくださる方も増えたなと思っています。もっともっとこの夏でたくさんの方にすいすてを見つけてもらいたいです。個人的には、私はまだアイドル以外で雑誌やテレビのお仕事をしたことがないので、いろんな分野に挑戦していけたらと思っています」
庄司「まだまだ私たちのことを知らない方もいらっしゃるので、『すいすてっていうやばいグループがいるぞ』とうわさになるようなグループになっていきたいです。個人的には、自撮りする写真よりテレビとかに映っている自分の方がかわいく見えるので(笑)、テレビなどに出ていきたいなと思っています。ドッキリとかバラエティーとかにもじゃんじゃん呼ばれるように頑張りたいです!」
奥田「グループには地方出身の子もいて、私も福井県出身なので、凱旋ライブをしたいです。石川でやったことはあるんですが、福井はまだなので、すいすてで行きたいです。個人では、モデルをやっているので、表紙を飾ってみたいです。それで、すいすてでも表紙をできるぐらい大きくなりたいです」
栗田「すいすての曲がバズったらいいなと思っています。個人的には、女の子が憧れるアイドルになりたいので、そういうお仕事がいっぱいできたらうれしいなと思っています」
白石「明治神宮球場に立ちたいです。乃木坂46さんに憧れていて、何度もライブを見に行って感動をもらっています。『自分もこのステージに人生で1度でも立ちたい』と思っています。個人としては、『自分はこういうキャラクターです』と胸を張って言えるようなすてきな人になりたいです。舞台などで役を演じる時は、胸を張ってできていたのに、自分となると自分探しが難しくて……。なので、見つけていきたいです」
塩川「今年の夏はイベントにたくさん出させてもらうので、とにかく“無双”したいです。TIFや@JAMだったり、たくさんのイベントに出させてもらうので、『やっぱ優勝はすいすてだったよね』と言ってもらえるような夏を過ごしたいです。それに、すいすてメンバーは知れば知るほど、面白い子が多くて、ツッコミどころ満載なので、バラエティーとかにみんなで出ていきたいですね。個人としてはラジオがすごい好きなので、ラジオ番組を持ちたいです」
音井「すいすての曲がTikTokとかでバズって、踊ってもらえたりしたらうれしいなと思っています。1番大きな目標は、東京ドームに立つことです。東京ドームって本当に日本中の人が誰でも知ってるような会場なので、そういう大きな場所に立てるくらい、たくさんの人に知ってもらえて、たくさんの人を笑顔にしていきたいです。個人の目標は、得意な英語を使ったお仕事ができたれうれしいです。人の役に立ちたいですね。それに、今年の目標が『音井結衣を確立する』ということなので、『音井結衣じゃないとダメ!』というものを見つけられたらいいなと思っています」