「たくさん失敗した分、成功もした」 YMO、ユーミン生んだアルファレコード創立者の生きざま

『翼をください』の作曲家でアルファレコード創立者の村井邦彦氏が、今年5月20日に著書『音楽を信じる We believe in music!』を出版した。同氏はYMO、荒井由実、吉田美奈子、カシオペアらを世に送り出し、シティ・ポップと呼ばれる音楽ジャンルの礎を築いたことで知られる。同書では、日本音楽史の重要人物である村井氏が、どのように音楽業界に飛び込み、チャンスをつかんでいったのかなど、その半生が克明に記されている。一方で、本人は一貫して「音楽関係者の1人であり、いち作曲家」と裏方のスタンス。ENCOUNTの取材にも「期待しているような話はできませんよ」と謙そんしながら、優しい表情でこれからの夢を語った。

アルファレコード創立者の村井邦彦氏【写真:ENCOUNT編集部】
アルファレコード創立者の村井邦彦氏【写真:ENCOUNT編集部】

村井邦彦氏が語る『音楽を信じる』とは

『翼をください』の作曲家でアルファレコード創立者の村井邦彦氏が、今年5月20日に著書『音楽を信じる We believe in music!』を出版した。同氏はYMO、荒井由実、吉田美奈子、カシオペアらを世に送り出し、シティ・ポップと呼ばれる音楽ジャンルの礎を築いたことで知られる。同書では、日本音楽史の重要人物である村井氏が、どのように音楽業界に飛び込み、チャンスをつかんでいったのかなど、その半生が克明に記されている。一方で、本人は一貫して「音楽関係者の1人であり、いち作曲家」と裏方のスタンス。ENCOUNTの取材にも「期待しているような話はできませんよ」と謙そんしながら、優しい表情でこれからの夢を語った。(取材・文=福嶋剛)

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 本を出版するきっかけは新聞の連載だった。

「日経新聞の『私の履歴書』を書いてほしいと頼まれたのがきっかけです。それをまとめたものを本で出さないかと相談されたんですが、『文字数が少ないからペラペラになってしまいます』と(笑)。『じゃあ、もっと書きたいことを書いてください』と言われて、本当に自分の好きなことばかり書いて1冊にまとめました」

 著書は回想録に加え、思い出の地・パリでの記録、ターニングポイントとなった人物の紹介、YMOの誕生秘話がエッセーとして加筆された。

「きっと読者のみなさんは、YMOの話を聞きたいんですよね。本にも書かせてもらったんだけど、20代の頃から知っていた細野(晴臣)と『世界でヒットするレコードを作ろう』と話していて、アルファレコードの専属プロデューサーに迎えました。そして、細野が立ち上げたプロジェクトがYMOだったんです。だから、YMOに関してはプロデューサーの細野に全てを任せて、僕は補佐として一切口を挟まなかった。だから、よく『YMOの思い出を語って欲しい』と言われるんだけど、本に書いたことが全てで、他にはあまり話せることはないんです。だけど、YMOの3人が僕の成功の礎みたいなのを築いてくれたのは間違いないです。昨年、(高橋)幸宏と坂本(龍一)が亡くなってしまい、もう、彼らと話ができないと思うと寂しいですよ」

 著書のタイトル『音楽を信じる』の意味を聞くと、「僕の尊敬する川添浩史さんから教わった言葉がきっかけ」と明かした。故川添浩史氏は、多くの文化人をはじめ、政財界、皇族までが通った東京・飯倉片町の老舗イタリアンレストラン・キャンティの創業者でプロデューサーとして海外との文化交流にも貢献した人物だ。

「僕に大きな影響を与えた人です。川添さんは僕に『美は力だよ』って言ってくれました。哲学者フランシス・ベーコンの言葉『知は力なり』から引用したと思うんだけど、川添さんは、いろんな芸術家たちを相手にいろんな仕事をやってきて、銀行やさまざまな団体と交渉してきた方です。きっとそこで『自分の力の源泉は何か』と自問した時、美だと感じたんでしょうね。『じゃあ、僕にとっての美とは何か』と考えた時、『音楽の美しさこそ僕にとっての力』だったんです。それで『音楽を信じること』が僕にとってのモットーになった訳です」

 そんな村井氏に“チャンスのつかみ方”について聞くと、「こっちが聞きたいくらい(笑)」と答え、「僕はチャンスのつかみ方が上手かった訳じゃないんです」と語った。

「元来、せっかちな性格でね。何でも面白いと感じたら、考える前にすぐに行動してしまうんです。だから、『せっかちな行動をたくさんやってきた結果』なんですよ。たくさん失敗した分、成功もした。今もそれは変わりません」

 村井氏は細野、荒井、吉田ら音楽史に輝く数多くのミュージシャンの生みの親でもある。“金の卵”を見つける秘訣を聞くと「そんなのないですよ」と笑いながら言った。

「人間はおいしい食べ物、美しい絵画や音楽といった芸術に自然に吸い込まれていく生き物なんです。『じゃあ、なんで細野がいいのか』って聞かれたら、それは僕が持っている感性としか言えないんです。理論的なものではなく、パッと聴いた瞬間に、『おっ、良いね。一緒に仕事したいな』ってね」

 自身を振り返ると、若き頃からジャンルの違う人たちと交流を重ねてきた。感性を磨く上では、それが重要だったという。

「音楽家、演奏家、画家、建築家といった芸術家の人たちとの交流を通して学ぶことがたくさんあった人生でした。フランス人が作ってきた芸術とか哲学とかそういうもの触れて、フランス文化に惹かれていった経験も僕にとっては大きかったな」

「子どもの頃からやりたいことをやってきただけ」【写真:ENCOUNT編集部】
「子どもの頃からやりたいことをやってきただけ」【写真:ENCOUNT編集部】

今後の目標は映画製作

 村井氏は作曲家として学校の教科書でも有名な『翼をください』(赤い鳥)をはじめ、多くのヒットソングを生んできた。作曲家と経営者、2つの顔を持っているが、「そもそもやりたいことは1つだった」という。

「すごく単純な話です。子どもの頃からレコードが大好きで、レコードに関すること全てに興味がありました。だから、『全部面白いから全部やりたい』。これが僕の発想の原点です。大学(慶応大法学部)を卒業する時、サラリーマンになりたくないから大好きなレコードを扱うレコード店の経営を始めました。それから作曲を始めて、レコード制作も始めて、スタジオを作って、最後はレコード会社を作ってしまった。つまり、子どもの頃からやりたいことを一貫してやってきただけなんです」

 今の音楽シーンの感想を求めると「それは答えられないです。だって、今もずっと僕の好きな音楽に没頭しているから(笑)」と返した。

「実は今、映画音楽を作っているんです。この前、フルオーケストラでレコーディングしたんですが、その映画というのはまだ構想段階なんですよ(笑)」と目を輝かせ、話を続けた。

「今作を入れて、3冊本を出してきて、僕の中では3部作と呼んでいるんだけど、その中で書いた川添浩史さんの国際交流の功績や当時の時代背景などを物語にして、いつか映画化することが今の夢なんです。早速、映画配給会社やネット動画の会社とかいろんな人たちに具体的な提案をしながら形にしようと頑張っています。僕はせっかちだから(笑)。先にサントラが思い付いたから、ブタペスト交響楽団に協力してもらい、レコーディングをしてしまったんです」

 今年、79歳になった村井氏だが、レコード店を立ち上げた20代と変わらず、今も好奇心旺盛だ。

「時間は限られているんでね。3部作を映画化するために動いて、作曲をする。今はこれで精いっぱいです。いい年をしたジジイなんだけど、ワクワクするような新しいことをこれからもどんどんやっていきますよ」

□村井邦彦(むらい・くにひこ) 1945年3月4日、東京生まれ。慶応大卒。作曲家、プロデューサー。米国ロサンゼルス在住。69年に音楽出版社アルファミュージック、77年にレコード会社アルファレコードを設立し、赤い鳥、荒井由実、吉田美奈子、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などを世に送り出した。代表作に『翼をください』『虹と雪のバラード』(札幌オリンピックの歌)など。著書は『村井邦彦のLA日記』『モンパルナス1934』(吉田俊宏との共著)がある。

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