診察室に侵入「あのベンツと新車のベンツを交換してもらえないか」 貴重な愛車、つむいだ48年の歴史

愛車にはさまざまな歴史やオーナーの思いが詰まっている。そんなことを強く感じさせる1台のベンツが愛知にある。1976年に開業医の初代オーナーが新車で購入し、息子→その妻と48年にわたり、大切に乗り継がれてきた。往診車としても活躍し、地域医療を支えた“ウグイス色”の車は今、新たな門出を迎えようとしている。愛車を娘夫婦に託すことを決意した現オーナーの後藤さんに詳しい話を聞いた。

1976年式メルセデス・ベンツ230.6【写真:ENCOUNT編集部】
1976年式メルセデス・ベンツ230.6【写真:ENCOUNT編集部】

新車で購入から48年…岐阜で地域医療を支え続けた往診車

 愛車にはさまざまな歴史やオーナーの思いが詰まっている。そんなことを強く感じさせる1台のベンツが愛知にある。1976年に開業医の初代オーナーが新車で購入し、息子→その妻と48年にわたり、大切に乗り継がれてきた。往診車としても活躍し、地域医療を支えた“ウグイス色”の車は今、新たな門出を迎えようとしている。愛車を娘夫婦に託すことを決意した現オーナーの後藤さんに詳しい話を聞いた。(取材・文=水沼一夫)

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 後藤さんは2代目オーナーの妻。初代オーナーは岐阜の地域の医師会長を務めた内科医だった。同じく内科医だった夫が車を引き継ぎ、数々の思い出をともにしてきた。

 正式名称は1976年式メルセデス・ベンツ230.6。自家用車・往診車としても使用され、地元では有名な車だった。

「父(初代オーナー)は大変車好きな人でしたから、いろいろな車に乗ってきたようです。その中には、オースチンという車も乗っておりました。最後に選んだのが、このベンツなんですけれど、ベンツの顔、それからボディーの色が大変お気に入りでした。往診にも使いましたし、医師会の会合でも使いましたけれども、昭和51年にベンツが来たときには、孫を乗せてドライブをするのがすごく楽しみだったようです」

 なんといっても特徴的なのがクリーム色のボディーカラー。「父は好んでウグイス色という言葉を使っていまして。私はウグイス色で通しています」。場所柄、町医者としてあらゆる患者を診察した。「田舎ですから往診もちろんですし、診察ももちろんですし、内科といえどもけがをすれば外科的な処置もしていました。それこそなんでも屋さんというのかしら」。人柄も慕われ、大きな地震があると、自然と病院に人が集まった。土砂崩れの被害者に2階を開放するなど、医療の枠を超えた、温かみのある病院を経営した。

 いつしかベンツは病院のシンボルのような存在に。

「もう走っていると皆さんうちの車だってご存じでしたし、普段は玄関前に置いてあったんですけど、皆さんお見えになると、『お、ベンツが元気だね』という声がかかってくるんです。皆さんから思いやられていました」

 およそ10年後、後藤さんの夫が2代目のオーナーになる。

「父の死後は、主人がベンツを引き継ぎました。ベンツが『路面が吸いつくような走り方をする』と言って喜んで乗りましたし、父との歴史があったせいで、父がいつも見守ってくれている、そんな気持ちでベンツに乗っておりました。一緒にずっと乗ってきましたけど、遠出をすることが好きでしたので、夏になると私が伊豆出身なものですから、伊豆の下田祭りに出かけたり、伊勢神宮のお参りに行ったり、よくあっちこっちドライブしました」

 後藤さんが忘れない思い出の一つが、高山に行ったときのことだ。往診には聴診器や薬が入った往診カバンを携え、平日は看護師と別の車で、土曜の午後は後藤さんとベンツで一緒に出かけていた。

「たまたま土曜日の午後に往診を頼まれまして、高山へ行く途中の美並(みなみ)というところの患者さんのところへと寄りましてね。そこで診察をさせていただいたとき、患者さんがそれほど悪い状態でもなかったものですから、じゃあこれで様子を見ましょうねということで、主人はこのまま高山行こうよっていう話になったんです」

 カーナビやスマホもない時代。ベンツは道に迷ってしまった。

内科医だった2代目オーナー(右)と娘の由加里さん【写真:ENCOUNT編集部】
内科医だった2代目オーナー(右)と娘の由加里さん【写真:ENCOUNT編集部】

「あのベンツと新車のベンツを交換してもらえないか」

「行けども行けども、山の中で暗くはなるし、怖いわけですよね。これから先、道があるのかしらって私が言うと、主人が『道がなくなるわけないだろう』と言うんですね。でも、こんなに山奥で、ひょっとしたら道がなくなるかもしれないじゃない。バックもできないし。2人でちょっとしたけんかですけど、そういうことはよくありました。後で考えれば笑うことばかりですけどね」。高山到着は午後9時ごろ。なんとか宿を確保した。

 30年にわたり愛用する中で、ベンツのとてつもない価値を物語る出来事もあった。

「主人が診察しているときに、診察の方かなと思ってお通ししたら、あのベンツと今出ている一番新しい新車のベンツを交換してもらえないかっていう人がいらっしゃいました」

 患者としての診察ではなかった。その人は「ちょっと先生に話があります」と言って、受付を通過。「主人もダメとも言わない人なんですよね。保険証を出しなさいとも言わない人なので」。ただ、答えはノーだった。「主人は、あれはおやじから引き継いだもので、絶対に交換も売りもしないってお断りしたんです。やっぱり父という存在が大きかったんだろうなと思うんですけれども」と後藤さんは続けた。

 夫の逝去後は、後藤さんが愛車を受け継いだ。ゴルフや子どもの塾の送り迎えにも使用するなど、大切に運転してきたが、このたびベンツを娘の由加里さん、夫の杉浦洋平さん夫妻に託すことを決めた。

「これからは娘が家族とともに新しい歴史を作るんじゃないかなと期待しております」

 由加里さんに思いを伝えて相談すると、快い返事をもらった。

「実は、この数年前までは車検に出しているだけでも、寂しくなることがあったんです。ベンツがないと。ベンツと父と主人に見守られてるような気がしていたものですから。そんな気持ちでずっといたものですからね。どうなのかなと思っていたのですが、娘が『お母さん、寂しくなったらいつでも持ってくるよ』と言ってくれたので。私、年が年ですから、持ってきてもらっても、たぶん運転できないと思うんですけど、だんだん一つ一つ、この重荷を外したい気持ちでもいるんですね」

キーも年季が入っている【写真:ENCOUNT編集部】
キーも年季が入っている【写真:ENCOUNT編集部】

ナンバーを外そう…悩んだ後藤さんに「もったいないことを」

 一方、夫の杉浦さんも受け入れ態勢を整えた。「僕と妻は結婚して16年ですけど、16年前に初めてこの車を見たときに衝撃を受けましたね。見たことがないベンツでした」と述懐した。

 後藤さんには一度だけ、ナンバープレートを外そうか、悩んだ時期があった。

「主人が亡くなった後に、私ちょっと運転をしない時期があったんですけれど、そのときに修理工場に行って、こういう理由でちょっと運転しないからナンバーを取り外しとこうかしらと言いましたら、『なんでそんなもったいないことをするんだ』と叱られまして。『このナンバーが物を言うんですよ』って」

 杉浦さんはすぎうら歯科クリニックの理事長として訪問診療も行っている。使用しているのは小型の自動車だ。ベンツは「恐れ多くて」と苦笑するが、“赤ひげ先生”として名を馳せた歴代オーナーのDNAや志は由加里さんと引き継いでいくつもりだ。

「僕も今2代目の歯医者ですけど、僕の病院も50年ぐらいなんですね。何が一番自分のところの誇りかというと歴史だと思うんですよ。車にしても病院にしても、長きにわたって脈々と引き継いでいるというのがやっぱりいいなと思うし。だから、僕も妻と、ただ単に昔の古いベンツを引き継ぐのではなくて、今までの大事にしてきた母の気持ちとか、歴史とか、そういうことも全部含めて引き継ごうかなと」

 車は無事故、無板金のオリジナルを維持。岐阜から名古屋に移るにあたり、メンテナンスを施し、部品の一部をドイツに発注した。可能であれば、購入から100年の節目まで乗り続けるつもりだ。

「僕も今風のベンツに乗っていますけど、この車を見ちゃうとなんか新しく買う気力もないですよね。ほんと。なんか僕の車人生終わったなみたいな笑」

 次の50年にはどんなドラマが刻まれるのか。杉浦さんは「僕の子どもは中学2年生と小学4年生。4世代で乗りたいな、ということですね」とも。地域医療に貢献し、多くの人々に愛されてきた唯一無二のベンツに新たな物語が始まろうとしている。

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