鳴かず飛ばずの元女優 OL→脱サラ→多額借金 玉のこし作戦失敗…銀座一等地に出店の逆転人生
芸能界を夢見るも鳴かず飛ばずで俳優業を諦め、順調だったOL生活から「お金持ちになりたい」と脱サラ、しかし多額の借金で円形脱毛症に……。「失敗を糧に」で飛躍を続ける女性起業家がいる。7年前の37歳の時に「人生をリセットする」と一念発起し、年収1000万を一気に突破。現在は銀座の一等地に飲食店を展開し、新たなチャレンジを続けている。そんな七転び八起きの人生とは。
起業コンサルタント・伊藤宏美さん 「丸の内OLになってみたい」の夢 芦屋で“ナンパ待ち”の過去も
芸能界を夢見るも鳴かず飛ばずで俳優業を諦め、順調だったOL生活から「お金持ちになりたい」と脱サラ、しかし多額の借金で円形脱毛症に……。「失敗を糧に」で飛躍を続ける女性起業家がいる。7年前の37歳の時に「人生をリセットする」と一念発起し、年収1000万を一気に突破。現在は銀座の一等地に飲食店を展開し、新たなチャレンジを続けている。そんな七転び八起きの人生とは。
「死ぬ前に『あれをやっておけばよかった』とは1ミリも思いたくない。“あーあ”と後悔することが絶対ないようにしたいんです」
起業コンサルタントとして活動する伊藤宏美さんは、自身の人生観についてこう話す。端正な顔立ちで、明るくはきはきとした口調。充実感に満ちあふれている。
ジェットコースターのような半生を歩んできた。幼い頃から一心に見つめてきたのは芸能界。「わが子を芸能界に、と考えていた両親で、私の名前は郷ひろみさんからとったと聞いています」。中2の時に自ら応募した雑誌モデルのオーディションに合格し、高校時代に渋谷でスカウトされて芸能事務所に入った。「女優になる夢」がどんどん近付いてくる――。信じてやまなかったが、現実は残酷だった。
有名アイドルとのCM共演を実現させ、当時、一世を風靡(ふうび)した広末涼子と同じ撮影現場になったことも。だが、後が続かなかった。20歳で夢破れ、芸能活動はひと区切りを付けた。
ジュエリー販売大手のショップ店員に転職し、2年間現場に立った。しかし、「夢を捨てきれませんでした」。知人の芸能事務所関係者からの話もあり、今度は舞台俳優として出直しを図った。一方で、ここに落とし穴が待っていた。最初の借金だ。
「舞台オーディションは急に入るので、バイトを始めても休みがちですぐクビに。舞台のチケットは一度自分でまとめて買い取ってから自分で売っていくので、自腹になります。ここで借金が膨らんでいきました。200万円ぐらいになりました」
コールセンターのバイトで督促の電話案内を担当していたが、その自分が借金を背負っていた。その皮肉を自分で嘲笑していた。コールセンターの同僚から、頭頂部に大きな円形脱毛症ができていることを指摘され、初めて自分が精神的にダメージを受けていることに気付いた。
「自分には演技の才能はない。もう二度とやらない」。芸能界からの引退を決意した。
ここで持ち前の不屈の精神を発揮する。「丸の内OLになってみたい」。気持ちを切り替えて、都内の人材会社に就職。26歳から30歳までの4年間、土日出勤に夜11時までの残業。身を粉にして働き、借金200万円を返済した。
さらには有名IT企業へのステップアップの転職を果たした。決済代行会社の社長秘書として入社し、希望かなって人事部門で職務にまい進する。
仕事だけでなく、「女性としての幸せ探しにも力を注ぎました」。29歳で大失恋を経験し、「私はお金持ちと結婚するために生きているんだ。玉のこしに乗りたい」と強く願うようになった。なんと驚くべき行動に出る。“ナンパ待ち”だ。
「東京・港区、六本木や麻布、それに、セレブの多そうな兵庫・芦屋に繰り出しました。でも、クラブに行く勇気はないので、ただ散歩するだけなんです。本当に高級住宅地や歓楽街を歩くだけ。『お金持ちの男性が声をかけてくれないかな』って」。しかも、資産家が集まりそうなセミナーにも積極的に顔を出し、ゴルフコースにも通った。それを約2年続けたというから驚きだ。
衝撃的な“玉のこし作戦”だったが、「結局、一度も声をかけられることはなかったです(笑)」。あえなく失敗に終わった。
34歳、急に思い立つ。「私って、子どもの頃からお金持ちになりたかったんだ」と。IT企業を辞め、脱サラ。フリーランスとして新たなスタートを切ることになる。複数のクレジットカードで借入。計500万円にも及んだ。そこに利息もついてくる。また大きな“借金”を背負った。勇み足で個人販売業を始めたが、化粧品や日用品などの商材購入、セールストークのノウハウを学ぶセミナー受講など、持ち出しばかりでとにかく金がかかった。前職時代の持ち株を売却し、ジュエリー店員時代に手に入れて大事にしていた貴金属も売り払った。
「今考えると、金の価格も高騰していますし、億り人になっていたかもしれませんね。その夢もなくしちゃった」とあっけらかんと話す。
銀座一等地に出店攻勢 「ダメでももう1回やり直せる。これが私の生き方です」
37歳。借金はまだまだ残っている。人生2度目の円形脱毛症を発症。40代が見えてくる年齢で、ようやく悟った。「こんな人生よろしくない。やっと気付くことができました」。それまでの代名詞だったロングヘアをばっさりカット。「人生リセットしよう、生まれ変わろう」と決意を新たに、再起を図った。
起業塾に入り、もう一度、学び直した。自身の数々の失敗を生かし、今度はコンサルティング分野で動き出した。トークスキルを発揮し、なんと3か月で売上1000万円を達成。起業したい女性向けのSNSを活用した集客術のコンサル業が当たり、苦しんできた借金を一気に返済することができた。そこからは順風満帆。新型コロナウイルス禍に負けることなく、“稼ぐ”目標をしっかり達成し続けている。
ここから新たな業態に挑戦する。飲食店の展開だ。昨年4月、東京・銀座に和食料理店『銀座「花りん」』をオープンさせた。ルイ・ヴィトン銀座並木通り店のすぐ横にある、誰もが驚く一等地だ。おばんざいをテーマにおかみが店を切り盛りしており、自身はオーナーとして裏方の経営に徹している。今年8月に銀座に2号店を開店させることも決まった。「ダメでももう1回やり直せる。これが私の生き方です。コンサル業が安定しているので、チャレンジできたんです。それに、起業家や起業を目指す人たちの交流の場所を持てないかなとずっと考えていたんです。このお店が、みんなが集まる居場所になれば」と実感を込める。
激動の人生。へこんでも前を向く姿勢。何が突き動かしているのか。
「誰もやったこのないことをやってみたい。新しいことにチャレンジし続けたい。この純粋な思いでしょうか。それに、『女性でもここまでやれる』ということを示したい思いもあります。正しいことをやればうまくいく。それを証明したいんです」
フットワーク軽く、思い切って身を投じてみる。失敗の多い人生だけど、その分学んだことはたくさんある――。それに、「お金持ちと結婚したいという夢は今でもありますよ!」。全力で駆け抜けてきた44歳。さらなる“野望”があるという。
「『老人ホームを作る』。これが私の人生の目標です。年を取ったら楽しいことがなくなってしまう。それは避けたいですよね。最期まで、美しく、楽しく、元気にシャンパンまで飲んじゃう。そんなみんなが明るく楽しく集まれるような場所・コミュニティーを作っていきたいです」。ここ一番の笑顔で語った。