せがた三四郎、湯川専務…強烈インパクトを放った90年代セガのユニーク&シュールなCM

アーケードゲームや家庭用ゲームなどを手がけるセガ。2001年にドリームキャストの製造を終了し、家庭用ゲームハード事業から撤退して以降、お茶の間にセガの名前が届く機会が減ってしまった。しかし、ハード機のセガサターンやドリームキャストを販売していた当時はユニークなテレビCMを放送し、たびたび話題になることも。そこで今回は1990年代に放送された、画期的なセガのCMを紹介しよう。

ドリームキャスト【写真:ENCOUNT編集部】
ドリームキャスト【写真:ENCOUNT編集部】

CMのキャストにセガ現役専務を抜てき

 アーケードゲームや家庭用ゲームなどを手がけるセガ。2001年にドリームキャストの製造を終了し、家庭用ゲームハード事業から撤退して以降、お茶の間にセガの名前が届く機会が減ってしまった。しかし、ハード機のセガサターンやドリームキャストを販売していた当時はユニークなテレビCMを放送し、たびたび話題になることも。そこで今回は1990年代に放送された、画期的なセガのCMを紹介しよう。

 まず注目するのは、94年に発売されたセガサターンのソフトに関するCM。ゲームのCMといえばソフトにスポットを当て、登場キャラやそのゲームの世界観を再現するのが一般的だったが、セガの場合はCMに「せがた三四郎」という初代仮面ライダーで有名な藤岡弘、が演じる胴着を着た武闘家のキャラを採用している。

 97年11月~98年11月にかけて放送された「せがた三四郎」シリーズ。初期は「野球少年たち」「クラブで踊る男女」などの目の前に現れ、いきなり投げ飛ばしたり、締め落としたりした後、セガサターン本体を持って「セガサターン、シロ!」と決めゼリフを放っていた。決めゼリフの後には簡単なナレーションでゲームソフトの説明が入り、最後にせがた三四郎のワンシーンでCMが終わる。

 せがた三四郎がセガサターンを広めるという流れ以降は、宣伝するゲームに合わせた内容に変わっていく。例えば『サターンボンバーマンファイト!!』のときは、せがた三四郎が背負い投げで人を投げ飛ばし、その人が地面に落下した瞬間に大爆発して、ひと言「ボンバーマン!」と叫ぶというシュールな内容だ。ほかにもゾンビをひたすら投げ飛ばしたり、サッカーの監督になったり、ソフトによってさまざまな姿で登場した。

 そんな「せがた三四郎」シリーズの最後のCMでは、ドリームキャスト発売前のセガ本社にテロリストがミサイルを打ち込むシーンから始まる。せがた三四郎はミサイルを受け止めつつ、ミサイルに捕まったまま空に軌道を変えて宇宙で爆発してしまうのだ。自らの命を犠牲にしてセガを助けるという悲しいラストだった。

 ちなみにCM中に流れる主題歌の歌詞「せがた三四郎、せがた三四郎、セガサターン、シロ!」が耳に残った人は多かったようで、CD『セガサターン、シロ!』は約10万枚も売れている。

 セガサターンのCMといえばほかにも、実物の2匹のサルを採用した“セガールとアンソニー”も忘れてはならない。2匹のサルがゲームを遊んでいる様子にナレーションを加えたCMで、せがた三四郎同様に視聴者に大きなインパクトを与えた。

 ほかと一線を画したセガのCMは、98年に発売されたドリームキャストでも続けられる。メインキャストは当時セガの専務だった湯川英一さんで、本人役として出演。98年6月に放送された最初のCMは、湯川さんが「セガなんてダッセーよな」「プレステのほうがおもしろいよな」と言っている子どもの話を聞いてしまって落ち込むという自虐的な内容に。このCMは第38回ACC全日本CMフェスティバルにて最優秀テレビCM賞を受賞するほど話題となる。

 また湯川さんは98年11月25日に秋元康氏が作詞を担当した『Dreamcast』でCDデビューしたり、若かりしころの元タレント・滝沢秀明氏とCMで共演したり注目を集め続けた。残念ながら湯川さんは2021年に78歳で他界したが、彼が残した功績は大きなものだった。

 放送から20年以上もたっているのに、今でも当時の主題歌や内容を思い出せるセガのCM。いちセガファンとして今後家庭用ゲームハード事業を復活し、再びセガ流のCMを放送してもらいたいと切に願っている。

次のページへ (2/2) 【写真】藤岡弘、が演じた“せがた三四郎”の実際の姿
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