信用金庫を1年で退職…小栗旬、岡田准一らと格闘した47歳の生きざま「この仕事、たまらなく面白い」
小栗旬と新幹線車内で、星野源、綾野剛と高架下で、岡田准一とは会議室内で……。連続ドラマで繰り広げられる格闘シーン。彼らと対峙(たいじ)しているアクション俳優兼監督がいる。三元雅芸(みもと・まさのり)だ。彼はテレビ、映画関係者から“作品を賑やかす存在”と知られ、次々と仕事のオファーを受けている。素顔は温厚な47歳。三元の歩みを聞いた。
アクション俳優兼監督・三元雅芸
小栗旬と新幹線車内で、星野源、綾野剛と高架下で、岡田准一とは会議室内で……。連続ドラマで繰り広げられる格闘シーン。彼らと対峙(たいじ)しているアクション俳優兼監督がいる。三元雅芸(みもと・まさのり)だ。彼はテレビ、映画関係者から“作品を賑やかす存在”と知られ、次々と仕事のオファーを受けている。素顔は温厚な47歳。三元の歩みを聞いた。(取材・文=一木悠造)
原点はジャッキー・チェンだった。心底、アクションに魅せられた。そして、小学生で空手を始めた。中3で全国2位。これが原動力になった。
「高校に入ってからは空手の他にアクションのヒーローショーのアルバイトも始めました。成績はガタ落ちです。親からは『勉強しなくなってジャージ持ってどっか行って、学校を取るのか、訳のわからないアクションチームを取るのか、どっちかにしろ』なんて言われたりしました。それでもアクションは止めず、浪人中も大学4年間もチームに通いました。親からは『ジャッキー・チェンを見せなければ良かった』と言われました(笑)」
同志社大時代までアクションヒーローショーなどに出演していたが、卒業後は地元の関西で信用金庫に就職。顧客開拓の日々を送っていた。だが、アクションのことはひと時たりとも頭から離れなかった。1年で退職。上京し、俳優として一花咲かせる決意を固めた。
「映像分野でアクションヒーローのみならず、『役者をやりたい』と思って上京しました。大手事務所にお世話になりまして、所属未満の“預かり”という形でした。ある時に先輩から『アクションの裏方』の仕事を勧められまして、現場で出会ったのが、『るろうに剣心』など著名作品のアクションを手掛ける谷垣健治さんだったんです」
「アクションの裏方」とは、谷垣のようなアクション監督のもとでアクションシーンに従事する「スタントマン」を指す。自ら演じながら、演技指導なども行うアクションのプロであり、映像作品ならではのポジションだ。その道筋が、大阪から上京した若き三元に開かれた。
「しかられながらも食らいついていきましたね。そうしているうちに、どんどんでかいことをやらせてもらいました。そして、僕のことを知ったプロデューサーから『アクション指導と俳優を同時にやってもらえないか』というオファーをいただきました」
三元の真骨頂であるアクション演技は、「現場を賑やかす」ことで知られている。映画『るろうに剣心~京都大火編~』や『図書館戦争』では、三元の“小粒ながらピリリと辛い”アクション演技を目にすることができる。2017年4月期のフジテレビ系連続テレビドラマ『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』では、主演の小栗と新幹線内での格闘シーンを演じた。そのアクションがヒール役として存在感を放ち、小栗をより引き立てていた。筆者も引き込まれた。三元がそのシーンを振り返って言った。
「いつもプロデューサーから言われるのは『この回を賑やかしてほしい』ということなんです。小栗旬さんとのシーンもそうでした。僕が演じたのは爆弾テロリスト。小栗さん演じる刑事に車内にいるところを呼び止められ、格闘が始まるというシーンでした。初日でいきなり小栗さんと僕との本番さながらのリハーサルとなったんですが、小栗さんはアクションの一つひとつに全く力みがありませんでした。大抵の方はスタントマンの動きを見せられてしまうと、『それにすぐたどりつかなければ』と冷静さを欠いて硬くなってしまうんですけど、小栗さんはずっと柔らかい動きのままでした。『ケガに注意しつつも恐れずにやろう』という感じがすごく楽しかったです」
19年11月公開の映画『HYDRA(ヒドラ)』では主演。アクション映画監督の園村健介氏に「三元が主演なら監督を引き受ける」と言わしめていた。三元演じる“元殺人職人”の男が、自分を取り戻すきっかけをくれた愛する人を守るために巨悪と戦うというストーリー。実力派のアクション俳優らと三元が繰り広げる高速で迫力満点の大作で、三元の転機にもなった。
「稽古の段階から楽しかったです。パンチを繰り出すにしてもパワーで打たず、体を使って打つんです。今まで僕が思っていたアクションは、『やってきた技をどうつなげて変えていくか、レパートリーを増やして変えていく』という発想だったんで、『たった1発のパンチの技の見せ方を追求するために、こんな面白いことがあるんだ』と思いました。この映画での最大のこだわりは『実戦に近づけること』でした。スピードはアクションの重要な要素ですが、HYDRAで目指したのは『実戦の距離感』。パンチが当たるギリギリのところを追求するので、実際に当たってしまう危険、事故るリスクをはらんでいました。普通はここまでやりません」
監督でビデオコンテづくりに全力、主演俳優で骨折に耐えて演技
三元は今、アクションを演じることに加え、「アクション監督」としても活動している。演技指導だけではなく、それがどのような映像表現として視聴者に届くかをイメージしていく。三元の言葉を借りれば、「実戦のようなアクション」を追求し続けることだ。だからこそ、「ビデオコンテ」づくりに全身全霊を傾けているという。ビデオコンテとは、役者にアクションをつけて監督が自ら撮影、編集をし、役者・スタッフに共有するもの。「こういう絵を撮りたい」という意思表明でもあり、ち密さも求められるが、三元はさらりと「この仕事、たまらなく面白いです」と言った。
「アクション俳優としての三元雅芸が蓄積してきた出せるものがいっぱいあると思うんですけど、どれだけ選別をしてやってきたものをさらに洗練して足したものを出していけるか。アクション俳優としての20年間を監督としてのアクション演出で一気に取り返そうという気持ちもあります。僕にしか出せないアクションの技術があるのであれば、それを作り手として作品の中にどれだけ入れていくかが大事だと思っています」
三元は現在、ある映画でのアクション主演のオファーを受け、撮影に臨んでいる。同作では、特に印象に残る撮影エピソードがあったという。
「演技で上半身への蹴りをガードしたんですが、その後、呼吸が苦しくなって診てもらったら、肋骨が折れていたんです。息を吸うだけで猛烈な痛みを感じるレベルで、『復帰まで1か月以上かかる』と。なので、監督に『代役を探して見つかったら、自分は降ります』と伝えたのですが、『三元さん以外には想像がつかないんです』と言われました。たまらなくうれしかったです。なので、『あばら骨、折れたまんまでもいいや』と思い、痛み止めを服用しながら撮影に臨みました。その時、相手役が遠慮せずに打ち込んできてくれてうれしかったです。めちゃくちゃ、面白かったです」
ジャッキー・チェンに魅せられた空手少年は、「作品を賑やかす俳優」になり、監督としての使命も加わった。アクションで生きる三元雅芸。その飽くなき挑戦は続く。
□三元雅芸(みもと・まさのり) 1977年5月3日、大阪府生まれ。同志社大卒。関西の信用金庫に就職するも、俳優を目指して25歳で上京。アクションチームの裏方として活動する中で、作品に続々と出演。主演映画『AVN エイリアンVSニンジャ』は、米ニューヨークで高評価となり、国内でも注目作に。以降、数多くの作品からオファーを受け、第4回ジャパンアクションアワード最優秀ベストアクション男優賞を受賞。178センチ。血液型O。主演・アクション監督を務めた映画『鬼卍』が公開中(横浜・シネマノヴェチェントで26日まで)。