【プロレスこの一年 #1】「猪木VSアリ」異種格闘技路線が世界的話題となったプロレス界の1976年

初代タイガーマスクが主宰する旗揚げ15周年のリアルジャパンプロレスが6月26日、初の無観客試合を開催した。26日と言えば、いまから44年前にアントニオ猪木とモハメド・アリが「プロレスVSボクシング」の異種格闘技戦を実現させた記念すべき一日である。現在、この日は「格闘技の日」として認定されており、リアルジャパンは本来予定していた6・25後楽園ホール大会の休止(新型コロナウイルスの影響)を逆手に取り、大会を「格闘技の日」、すなわち「猪木VSアリ」の日にスライドさせた。そこには、猪木とともにこの一戦を実現させた当時の新日本プロレス営業本部長・“過激な仕掛け人”新間寿の大きな思い入れがあったのだ。では、猪木とアリが戦った1976年とは、プロレス界にとってどんな一年だったのか。

京王プラザホテル「モハメド・アリ回顧展」(2016)の新間寿氏【写真提供:新井宏/Hiroshi Arai】
京王プラザホテル「モハメド・アリ回顧展」(2016)の新間寿氏【写真提供:新井宏/Hiroshi Arai】

猪木と新間、執念で実現させたアリ戦

 初代タイガーマスクが主宰する旗揚げ15周年のリアルジャパンプロレスが6月26日、初の無観客試合を開催した。26日と言えば、いまから44年前にアントニオ猪木とモハメド・アリが「プロレスVSボクシング」の異種格闘技戦を実現させた記念すべき一日である。現在、この日は「格闘技の日」として認定されており、リアルジャパンは本来予定していた6・25後楽園ホール大会の休止(新型コロナウイルスの影響)を逆手に取り、大会を「格闘技の日」、すなわち「猪木VSアリ」の日にスライドさせた。そこには、猪木とともにこの一戦を実現させた当時の新日本プロレス営業本部長・“過激な仕掛け人”新間寿の大きな思い入れがあったのだ。では、猪木とアリが戦った1976年とは、プロレス界にとってどんな一年だったのか。

 猪木&新間が執念で実現させた世紀の一戦は、事実上、その年の頭から始まっていた。前年から噂に上がっていた戦いについて、ミュンヘンオリンピックの柔道金メダリストであるウイリエム・ルスカが反応、1月7日に記者会見を開き、「猪木はアリの前に俺と戦うべきだ」と主張、挑戦状を叩きつけたのである。来日したルスカは2日後にスパーリングを披露し、26日の調印式で正式決定。猪木にとって初の異種格闘技戦は対柔道で、「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた。試合は2月6日、日本武道館でおこなわれ、猪木がバックドロップ3連発でTKO勝利。アリ引っ張り出しに向けて、大きな一歩を踏み出したのである。

 NWF世界ヘビー級王者でもあった猪木は3月18日、前王者ジョニー・パワーズを返り討ちにして王座防衛。その1週間後、猪木VSアリの試合が「格闘技世界一決定戦」として6月26日に日本武道館でおこなわれることが正式に発表された。アリ陣営は大挙して16日に来日、そこから試合直前までルール問題などで紛糾するのだが、試合そのものは物議を醸しながらも成立。猪木はプロレス技がほとんど使えないがんじがらめの状態ながら、のちにアリ・キックと呼ばれるスライディングローキックでアリのパンチを封じてみせた。ドローの要因とされ非難の的にされたこの攻撃が実に理にかなったものと認められるには相当の時間がかかることとなる。また、ファイトマネーを巡り両陣営の訴訟に発展。膨大な借金を帳消しにし、和解が成立するには翌年4月まで待たなければならない。

 ボクシング世界王者の異種格闘技戦は、日本のマット界を軽く飛び越える、世界レベルの大ニュースでもあった。猪木VSアリ戦はクローズドサーキットとしてアメリカの映画館、劇場で上映された。現代のペイ・パー・ビューの先駆けと言っていい有料視聴方法だ。試合が昼間におこなわれたのは、生中継するアメリカの時差との関係だ。よって、アメリカ現地時間では6月26日は、25日ということになる。また、アメリカ、カナダのプロレス会場でも日本の模様がライブで特設スクリーンに映し出された。プロレスの生観戦に加え、日本からの中継映像が会場で観られたのである。猪木VSアリの模様はニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、ヒューストン、カルガリー(カナダ)での興行とコラボレーション。ニューヨークでも「プロレスVSボクシング」の異種格闘技戦がアンドレ・ザ・ジャイアントとチャック・ウェップナーで争われ、ロスではルスカがプロレスのリングに登場した。

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