食道がんステージ4の西村修、梅干しで「気絶しそうに」 告知前の自覚症状と体質語る

食道がん(扁平上皮がん)でステージ4と診断されたプロレスラーで文京区議会議員の西村修が温泉療法を開始した。抗がん剤治療をスタートさせ、第1クールが終了。「効果は出ている」と言うものの、がんの進行は予断を許さない状況だ。52歳で迎えた人生の大きな岐路に、何を思うのか。湯治先の群馬の秘湯でロングインタビューを行った。

群馬の万座温泉を訪れた西村修
群馬の万座温泉を訪れた西村修

標高1800メートル ポテトチップスがパンパンに

 食道がん(扁平上皮がん)でステージ4と診断されたプロレスラーで文京区議会議員の西村修が温泉療法を開始した。抗がん剤治療をスタートさせ、第1クールが終了。「効果は出ている」と言うものの、がんの進行は予断を許さない状況だ。52歳で迎えた人生の大きな岐路に、何を思うのか。湯治先の群馬の秘湯でロングインタビューを行った。(取材・文=水沼一夫)

“硫黄の臭い”が立ち込める乳白色の露天風呂で、肩まで沈み、上半身をゆっくりと伸ばした。体はじわじわと芯から温まり、心地よい汗が噴き出る。訪れたのは、万座温泉の老舗旅館・日進舘だった。実に宿泊客の3分の1が湯治客という秘湯だ。東京から車で片道4時間。人里離れた環境で、“悪鬼退散”とばかりに病魔と格闘していた。

「わざわざ万座まで来た目的はただ2つ。1つは体を温めること、もう1つは寝ること。当たり前のことなんですけど、当たり前のことができないんですよ。新日本プロレスのとき、温泉会というのがあって、巡業中に三沢威トレーナーと何人かでオフの日に温泉巡りしてたんですね。日本全国、マニアとしていろんな温泉に行きましたけど、万座は本当に、いや、もしかしたら日本一かもしれないですね。この体の温まり具合は」

 草津からさらに車で山を登って40分ほど。標高1800メートルに位置する万座温泉は、日本有数の高地温泉として知られている。

「売店のポテトチップスなんか袋がパンパンですよ。気圧の関係で膨張しちゃっている。人間の体も血管が広がるんですよ。体をとにかく温めて、温まった後のふわっとくるかのような強烈な眠気に沿って熟睡することで、免疫力アップと抗がん作用が期待できるらしいんですよ。コンディションは完璧なわけじゃないものですから、しんどいんですけど、早く治ってもらいたい思いで、4時間かけてやってまいりました」

 病院では全6クールの予定で抗がん剤治療を受けている。4月17日に第1クールが終了し、一時退院した。第2クールは5月1日から始まる。その間、少しでも回復につながればと万座の地を踏んだ。1998年に後腹膜腫瘍を患った際には、手術のみで化学療法は受けていない。抗がん剤に不安も感じていた西村だが、投与初日から効果を実感した。

「私の周りでも抗がん剤を受けた人は山ほどいたし、死ぬよりつらいと言って亡くなった人もいた。死ぬよりつらいってどういう気持ちなのか。私はまだ第1クールだから分かりませんけど、第2クールからきついよっていう人の意見もある。ただ、1クール目の感想としては、入院前よりは痛みと脇腹の突っ張り具合が軽減されました。それが唯一の明るい兆しですよね。もっと体調悪くなって、もっとげっそりして、もっとコンディションも悪くなる覚悟はしていましたから」

 治療を受けているのは日本で最先端のがん専門病院だ。ただ、ここまでたどり着くには紆余曲折があった。最終的に紹介状を書いてもらうまで、4つの病院で診察を受けていた。自覚症状は左わきからわき腹に走っていた強烈な痛み。触って分かる腫れもあった。しかし、胸部レントゲンを複数回受けても異常は見つけられなかった。血液検査では白血球が高値を示したものの、「様子見」「生検しないと分からない」との判断が下された。

標高1800メートルに位置する
標高1800メートルに位置する

「体質的には顔が赤くなるタイプ」

 原因が分からない一方で、痛みは増すばかりだった。2月中旬からは喉に痛みを感じるようになる。2009年に逆流性食道炎を患い、完治しているが、そのときに比べても経験したことのない痛みだった。

「1週間ぐらい喉の通りが悪くて何食べても飲んでも猛烈に違和感があって染みる。それで食育の先生が車に乗っていたとき、『それなら梅干しがいい』とすごい酸っぱいのくれたんですよ。ちょうど秋葉原の交差点の近くで梅干し食べたらもう気絶しそうなぐらい痛かったですよね。痛みの激しさのあまり、5分ぐらいしゃべれなくなっちゃった」

 MRI検査をすると、がんが骨まで転移していることが分かった。プロレス参戦は即日ドクターストップがかかった。そして4月5日、正式に人生2度目のがん告知を受ける。診察室で涙を流す妻の横で、西村はこの難敵とどう闘うかを考えた。

「ショックはショックですけど、現実を受け止めるしかないですよね。真っ暗になってもしょうがないから。広がっちゃったものは広がっちゃったものでしょうがないとして、抗がん剤も今回ばかりは受けるしかないかと腹をくくりました」

 こうなった原因については思い当たることがある。医師からは日ごろ飲酒しているかどうかの問診を受けた。食道がんと飲酒は密接な関係があると言われているからだ。

「飲酒で顔が赤くなる人は、そもそも酒が合わないんだっていう議論があります。私は付き合いとして酒は散々飲んできましたけど、元々は体質的には顔が赤くなるタイプなんですよ。20代のときから研究に研究を重ねて、赤くならない方法を習得しちゃったんですよね。そういうのを何十年もやってきたから無理がたたったのかなって。これが腸のがんとか胃がんだったら違うこと考えるでしょうけど、食道がんだから酒飲み人生の中ではそれは反省する材料ですよね。無理して飲んでいたのは間違いないなと」

バイキング形式の食事で食欲は旺盛だった
バイキング形式の食事で食欲は旺盛だった

スマホの待ち受けに…「子どもと別れるのがつらい」

 ただ、過去を振り返るのは少しだけ。今は治療のことだけを考えている。西村の病室は4人部屋で、他の3人も全員食道がんの患者だった。それぞれ年齢やステージは異なるものの、自然と会話をするようになり、症状や治療についての情報交換や激励の言葉を送り合った。

「私だけですよね。毎回毎回、病院の食事を完食しているのは。みんな半分残したり、3割、4割残したりしていました。すごいユーモアある人がいて、その人はステージ1で放射線をやりながらの抗がん剤。だから6クールも治療を受けないんですけど、散々自分で言っていましたよ。飲み過ぎた、たばこを吸い過ぎたって。じゃあ、お互い快気祝いのときには、ウイスキーのストレートをショットでお互い飲みましょうってエールの交換をしました」

 前回のがんは26歳のとき。そして52歳で2回目のがん罹患(りかん)となった。命とは、人生とは、運命とは。再び向き合う日々になった。前回は存在しなくて今あるものにスマートフォンがある。自然と手が伸び、病気について調べてしまう。

「スマホでいろんな暗いネタも明るいネタも拾っちゃいますよね。これががんに有効だとか有効じゃないとか」

 スマホの待ち受け画面には5歳の息子の写真。宿で夕食を取っていると、テレビ電話がかかってきた。息子と話す西村の表情や口ぶりは父親そのもの。まだ幼い我が子のためにも、生きることを諦めるわけにはいかない。

「98年は子どもがいなかったし、奥さんもいない。子どもと別れるのがつらい」

 そう言うと、西村は押し黙った。

夜空の下で温泉に漬かりながら何を思うのか
夜空の下で温泉に漬かりながら何を思うのか

湯治初日に激痛でよぎった 「やっぱり死ぬのかな」

 湯治初日、西村はかつてない痛みにも襲われていた。温泉に入浴して2時間昼寝して起きると、午後5時ごろだった。

「夕飯を食べる前、ズキーンってとんでもない痛みがあったんですよ。痛みが1ぐらいだったら忘れちゃうときもありますけど、3とか4とかまでになると、痛みがすごい。やっぱり死ぬのかなっていうのは考えますよね。もっとひどくなると思うじゃないですか。昨日夕飯を食べながら、カレーを食べながら、とうとうやばいなと思って、へたしたら余計なところに来ちゃったかなっていうのは、ずっと考えていました。本当にやばかった。山から降りてどうやって対応しようかとか考えちゃいました」

 幸い、その後は痛みは出ていない。日に複数回、泉質の種類を変えながら浴槽に漬かった。食欲も旺盛で、バイキング形式の食事を2回、3回とおかわりした。

 まだ大量の残雪が覆う万座を舞台に繰り広げられた西村の激闘。第2クールに向け、弾みをつけたことは確かなようだ。

 今後、抗がん剤の量はどうなるのだろうか。

「主治医が触診で体を触ってくれたんですけど、『だいぶ反応いいですね』と言っていたから、同じかもしれない。(腫瘍は)小さくなっていますよ。もっとね、ボコンっていうのが、これぐらいつかめるぐらいだったのが。そこはだから、本当に明るい兆し」

 孤独な闘いではない。家族や仲間、ファンが応援している。回復を信じて、西村の旅は続いていく。

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