3年半で芸能界を去った斎藤美海さんの今 引退理由は「ミキティー、あややには勝てない」
モーニング娘。全盛期の2003年、高校在学中にカントリー娘。のメンバーに選ばれた斎藤美海(さいとう・みうな)さん。静岡から上京し、アイドル活動3年半で人気上昇の時期に芸能界を引退した。その後、エステティシャン、セラピストを経て、恋愛コラムニストの活動を始めた際は、「元アイドルが……」と世間を驚かせた。そんな彼女は今、どうしているのか。都内のカフェで会うと、想定外のことを語り始めた。
引退後はエステティシャン&セラピスト→恋愛コラムニスト→オンラインサロン設立
モーニング娘。全盛期の2003年、高校在学中にカントリー娘。のメンバーに選ばれた斎藤美海(さいとう・みうな)さん。静岡から上京し、アイドル活動3年半で人気上昇の時期に芸能界を引退した。その後、エステティシャン、セラピストを経て、恋愛コラムニストの活動を始めた際は、「元アイドルが……」と世間を驚かせた。そんな彼女は今、どうしているのか。都内のカフェで会うと、想定外のことを語り始めた。(取材・文=白川ちひろ)
「びっくりした~。『取材に来る』って言うから、『私、何かやらかしちゃったかな』って思いました。まあ、心当たりはありまくりなんですけど(笑)」
明るい。引退から18年の時が経っているが、美しく、少女のような無邪気さも残っている。「取材しやすいタイプだ」と感じ、早速、カントリー娘。としてデビューするまでの経緯を聞いた。
「もともと、成績が悪い方ではなかったんです。長女で親の期待が大きかったこともあって、地元にある県下屈指の進学高校を受験しました。結果は不合格。両親はその高校出身ですし、すごくショックでした。別の高校に進学しても、勉強へのやる気はなし。その状態を見て、父が『こんなの募集してるよ』とモーニング娘。第6期メンバーのオーディションを勧めてきました。その頃、私はダンスを習っていたので、『アイドルになれたらいいかな』と軽い気持ちでエントリーしたら、書類審査に合格。国民(一般)投票では全体の3位になり、テレビでも大きく取り上げてもらいました。『えっ、私、モー娘。のメンバーになれるんじゃ』と思っていたら、第3次審査で落選。合宿に行けたメンバーが羨ましかったです」
結局、モー娘。6期生には亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなが選出。ソロで活動していた藤本美貴も加入した。
「今、思うとゴールデンメンバーですよね。自分なりに落選理由を分析しましたが、当時、身長150センチ以下のアイドルを集めたミニモニ。が流行っていましたし、私は160センチ以上あったので選ばれなかったのかなと……それが悔しくて、モー娘。のオーディション再挑戦を考えていたところ、カントリー娘。のメンバー募集があったんです。実はよく知らないグループでしたが、同じつんく♂さんプロデュースということで受けました」
カントリー娘。は1999年に3人で結成。だが、デビュー直前でメンバーの柳原尋美が交通事故で亡くなり、小林梓が心労で脱退。その後、残ったりんね、新メンバー・あさみの加入とゲストメンバーのモー娘。石川梨華の3人で2001年にメジャーデビューに至った。だが、翌02年には里田まいが加入し、りんねが卒業した。当時、プロデュース担当の田中義剛が経営する酪農を中心とした農場の花畑牧場で働きながら芸能活動をする「半農半芸」がコンセプトだったが、03年、グループの活動拠点が東京に変更。プロデューサーはつんく♂に交代し、新メンバーオーディションを開催。斎藤が新メンバーに選ばれた。彼女にとっては、モー娘。6期生オーディション落選から約4か月でのリベンジだった。芸名はみうな。同年7月には、里田、あさみと『浮気なハニーパイ』でCDデビューした。
「メンバーになるまでは、静岡で暮らす高校生でしたから、周りは大騒ぎでした。握手やサインの行列ができたりして。デビューはありがたかったですが、当時は今のアイドルのように学業と芸能活動を両立できる感じはありませんでした。なので、続けていけるかを悩んだ時もありました」
苦しかったアイドル時代、社長の「紹介」を断って自力で就職
上京すると、予想以上に目まぐるしい日々が始まった。
「CDデビューにテレビ出演、当時は事務所が『日本のサッカーを盛り上げる』として、フットサルチームを作っていたので、その練習もありました。そして、他のメンバーにソロの仕事が来ると、自分と比較して落ち込んだりしました。『その分、フットサルを頑張ろう』と思って居残り練習もしましたが、売れている子たちはフットサルもうまいんですよ。でも、私は大会の決勝戦で勝利をもたらすPKゴールを決めました。その瞬間だけは少し自信が持てました」
グループの人気は徐々に上昇。だが、彼女は人知れず、引退を決意していた。
「ステージで輝いているミキティー(藤本美貴)やあやや(松浦亜弥)を見て、私は自信をなくしていました。『この人たちにはどうやっても勝てない。もう、負ける戦いはしたくない』という思いから、引退を決めました」
07年1月28日の卒業ライブをもって、あさみとともにグループを脱退。引退後はエステティシャンの道を歩み始めた。
「『引退したらエステの仕事に就こう』と決めていました。事務所の社長さんは温かい人で、『エステの会社を紹介するよ』と言ってくださいました。でも、お断りしました。そこで『元アイドル』という目で見られて、特別扱いをされたくなかったからです。そして、自分でエステの会社を探して面接のアポを取り、就職を決めました」
就職後は仕事にまい進したという。
「芸能界に未練はまったくありませんでした。軽い気持ちでオーディションを受けて、苦労もせずにデビューしたからだと思います。スポットライトを浴びることが普通になり、輝かしい世界に憧れもなくなっていました。なので、『引退してからは明るい未来しかない』というポジティブな気持ちでした。当時、自己顕示欲がほぼなくて、自分よりも他者への興味が強かったのもあります。エステで働いて、お客さまがいろいろな話をしてくださることが楽しかったですね。だけど、今になって、『グループに残る』こともありだったのかなと思います。その頃の私にアドバイスができるとしたら、『チャンスを待つことも大事』と言ってあげたいですね」
エステでマッサージ術も学び、セラピスト(専門的な知識や技術に基づき、心身を癒したり、治療する人)として活動。11年からはコラムニスト・斎藤美海として「恋愛」をテーマにさまざまな記事を書いていた。
「セラピストという職業柄、男女ともに恋愛相談を受ける機会が非常に多くあったんです。恋愛テクニックを自分で研究してツイッターにメモがわりに書いていたら思いの外バズって、連載を持つことになりました。当時、恋愛が御法度のアイドルを経験した立場なのに、恋愛についてアドバイスをする記事を発信したことで、ハロプロファンの方から『元アイドルが恋愛を語るな』『夢を壊すな』と厳しい声もいただきました。その頃には、過呼吸の症状が出るようになり、コラムの仕事は全部ストップ。半年弱、ハワイで暮らし、英語を短期集中で勉強しながら休養していました」
YouTuber・ヒカルのチャンネル出演で話題「あの美女は誰」
20年には、父が経営している地元の工務店を手伝っていることをSNSで公表。YouTuber・ヒカルのチャンネルに「工務店の娘」として出演し、「あの美女は誰だ」とネット上で話題になった。
「ヒカルさんから、マクドナルドが運営している病気のお子さんたちが入院できるドナルドマクドナルドハウスに『お菓子の家を作りたい』というお話をうかがい、それをお手伝いする形でチラッと出演したんです。その時、ヒカルさんと雑談していた流れで元アイドルだったことを話したら、冗談で『結婚します?』と動画内でプロポーズされました(笑)。その後、ヒカルさんファンの方が父に仕事を依頼し、家が建ったことがありました。改めてトップYouTuberの影響力を知りました」
元女性アイドルには、セクシービデオ業界からのオファーもありがち。彼女の元にも届いていた。
「そんなお誘いもありましたね。でも、父が会社を経営しているし、そうなると多方面に迷惑をかけると思い、お断りしました。今は有名グループにいた方がセクシー女優に転身することが珍しくないですよね。だけど私は『裸を見せるより心を見せた方がいい』という信念があって、それが今の仕事に生きていると思っています」
現在、メインの仕事はオンラインサロン。会員の大半は女性だ。
「(コラム執筆で)女性から恋愛相談を受けていたこともあり、ハイスペックな男性とお付き合いするためのオンラインサロンを設立しました。アイドル時代は男性ファンがメインでしたが、今は逆転して女性のファンが増えました。男性ファンって、若いアイドルの子がデビューしたら推し変をするけど、女性は年齢関係なく好きでいてくれるから、私は今後も女性に向けた発信をしていきたいんです。コツコツとSNSで女性が興味を持つ発信を続けていたら、サロン立ち上げから1年で450人の方が会員になってくれました。サロンの内容としては、私の知り合いの男性たちと会員様とで定期的に合コンを開催したり、会員様と一緒にお買い物にいって婚活のためのお洋服を選んだりしています。アイドルの時に培った『かわいく見えるためのメイク術』を教えたり、美容について朝活勉強会、コミュニケーションセミナーも開催しています。会員様のトータルプロデュースがメインですね」
わずか3年半のアイドル活動。だが、その経験と引退後の歩みも生かし、彼女はたくましく生きている。多くの女性を幸せにするために。
□斎藤(さいとう)みうな 1987年2月12日、静岡・菊川市生まれ。2003年、カントリー娘。のオーディションに合格し、『浮気なハニーパイ』でCDデビュー。数々のテレビ番組に出演するも、07年1月28日の卒業コンサートで引退。その後、エステティシャン、セラピスト、恋愛コラムニストを経て、恋愛に特化した女性向けオンラインサロンをオープン。週2回ペースでオフ会を開催している。
斎藤美海さんが設立した「恋愛オンラインサロン」
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