吉江豊さん告別式 棚橋が明かした秘話「新日本の道場では一番でした」 最後は「吉江コール」で
プロレスラー・吉江豊さん(享年50)の告別式が15日、地元の群馬・前橋市内で営まれた。
家族、兄弟思いだった吉江さん 田山レフェリーが語る秘話
プロレスラー・吉江豊さん(享年50)の告別式が15日、地元の群馬・前橋市内で営まれた。
吉江さんは10日に開催された全日本プロレスの高崎大会でタッグ戦に出場。試合後、控室で体調が急変し、市内の病院へ緊急搬送されたものの、帰らぬ人となった。
告別式には藤田和之、高岩竜一、長井満也、征矢学、井上亘さんなど多くのレスラー・関係者が駆け付けた。
レスラーを代表し、お別れの言葉を述べたのは2003年、吉江さんと組んでIWGPタッグ王座を戴冠した新日本プロレスの棚橋弘至。
「僕が新日本プロレスに入門したとき、吉江さんが寮長でした。新日本の練習は厳しい、道場は厳しいと聞いてびびりながら入門したんですけど、寮長の吉江さんがとても優しくていつも笑っていて、すごいちゃんこ食べて、ほっとしたのを覚えています。新日本の練習で受け身の練習があるんですけど、ダメージもあるし、息も上がる中で吉江さんの受け身が本当にあの当時、新日本の道場では一番でした」と思い出を語った。
明るい性格で愛された吉江さんは、人一倍家族、兄弟思いの人でもあった。
公私ともに親交の深かった田山正雄レフェリーは、新日本の会場に、吉江さんの実兄で芸人のよしえつねおさんが訪ねた日のことを思い出す。
「会場にアニキが来たときに、控室で先輩レスラーがアニキをちょっといじくったことがあった。お笑い芸人だからいじくられるのはしょうがないと思うんだけど、ちょっとやりすぎっぽいところがあった。そしたら、吉江がその先輩レスラーたちに、うちのアニキを粗末に扱うなみたいな感じで、食ってかかったというか抗議した。すごく真っすぐなやつなんだなと思いましたね」。上下関係の強いプロレス界で、後輩が先輩に物申すことは難しい。「アニキを大事にしてるんだろうなと思って。あんまり人に怒るような人じゃなかったじゃない。だからそれはすごく覚えていますね」
美奈夫人とはおしどり夫婦として知られた。美奈さんの大学時代の同期・福田雅一さんの紹介で知り合い、結婚。田山氏は「奥さんは卓球で有名な人。それを、いつも吉江は自慢していた。奥さん、卓球がうまいんだって」と、うれしそうな吉江さんの顔を思い浮かべた。
スーパーヘビー級の肉体からは想像もつかない気配りの人で、自分のことは後回しだった。イベントを運営する甘井もとゆき氏は、2年半前、都内で吉江さん、つねおさんの兄弟トークライブを予定していたが、前日に吉江さんの母が亡くなった。吉江さんに中止を打診すると、「終わってから帰りますから。ステージは2人でこなします」と開催を決行。「お母さんもこういうの好きだから。たぶんそのへんで聞いてますよ」と話し、関係者や観客に迷惑をかけまいと、気丈にやり切ったという。
鳴り響いた10カウントゴング 藤田が音頭「吉江コール」で出棺
代名詞のピンクのコスチューム姿で、安らかな表情で眠りについた吉江さん。棺が花でいっぱいになると、つねおさんがマイクを握った。
「今年(デビュー)30周年を故郷前橋でやりたいって言ってたんですけど、試合やって、そしてドレッシングルームで息を引き取った。大好きなプロレスをやり遂げて、天国にこれからね……。長い海外遠征と僕は思っているんですけど、旅立っていってしまう。私の勝手な気持ちで、わがままで恐縮なんですが、弟にありがとう、そして応援してくれた皆さんにありがとうの感謝の気持ちを込めて、よろしければ10カウントゴングをさせていただければと思います」
“追悼の鐘”を打ち終えると、「吉江兄弟最高の最強の弟。そして吉江美奈最愛のパートナー、180センチ、160キロ。吉江豊ー!」と遺影に向かって絶叫した。
美奈さんは吉江さんの死因を心疾患と明かし、愛する夫を突然失ったことに「私自身これからどうしていけばいいのか答えが見つかりません」と張り裂けそうな思いを告白。そして参列者に対し、「さみしがりやの夫をたまに思い出してくれるとうれしいです」と望んだ。
棺は棚橋らレスラーの手で支えられ、車へと運び出された。入場テーマ曲『Wild night』が流れる中、藤田の音頭で大「吉江コール」が発生。大勢の仲間に見送られて、式場を後にした。