「俺が死んで困ったことがあったら開けてみな」 亡き父から届いた30年越しの手紙にネット感動

実家の引っ越し作業でたまたま見つけた古い手紙には、亡き父の愛情と優しさがあふれていた。「あなたのような子に恵まれて私は果報者です」――。約30年前に父がしたためた息子への愛。その息子は立派に成長して医師になった。父のメッセージをしっかりと受け止め、自身の子どもにも家族が紡いできた思いを託していくという。思わぬ発見を紹介したSNS投稿が反響を呼んだ男性医師に詳細を聞いた。

「30年前の父から届いた手紙」が感動を誘っている【写真:ほうけ医師/泌尿器科専門医・指導医(@phimo_surgeon)さん】
「30年前の父から届いた手紙」が感動を誘っている【写真:ほうけ医師/泌尿器科専門医・指導医(@phimo_surgeon)さん】

1995年の夏休み、父と急いで作った宿題の粘土細工にサプライズ

 実家の引っ越し作業でたまたま見つけた古い手紙には、亡き父の愛情と優しさがあふれていた。「あなたのような子に恵まれて私は果報者です」――。約30年前に父がしたためた息子への愛。その息子は立派に成長して医師になった。父のメッセージをしっかりと受け止め、自身の子どもにも家族が紡いできた思いを託していくという。思わぬ発見を紹介したSNS投稿が反響を呼んだ男性医師に詳細を聞いた。

「30年前の父から届いた手紙
思わず涙がこぼれた

父は数年前に亡くなった
好きに酒を飲み、タバコを吸い、ギャンブルをして、自分勝手に生きた人だった」

 シンプルな書き出しに、純粋な思いが伝わってくる。男性医師はABCクリニックに勤務する泌尿器科医。「ほうけ医師/泌尿器科専門医・指導医(@phimo_surgeon)」のアカウントでXに体験談を投稿した。

 実家の引っ越しの手伝いをしていた際に、ふと幼少期に作った「不格好な粘土細工」が目に留まったという。小学校低学年の時、夏休みの宿題に父と一緒に作ったものだ。

「『この中には宝の地図が入っているから、俺が死んで困ったことがあったら開けてみな』 父が笑顔で言ったセリフが思い出された」

 粘土細工はカモの形をした造形で、「『宝の地図が入っているカモ?』みたいな親父ギャグと共に提出したのを思い出しました」という。

 一方で、中身を取り出すには思い出の粘土細工であっても壊さざるを得なかった。「若干の罪悪感を感じながら、庭でハンマーを使って叩き割った そこに入っていたのは、宝の地図ではなかった」

 父からの手紙だった。

「相変わらず達筆すぎて読みにくい父からのメッセージ

『君が生まれてきてうれしいです。あなたのような子に恵まれて私は果報者です。人生を大切にして下さい。美しいものを探す旅になると父さんはうれしいのですが。淋しくなったら本を読んで下さい。私はいつもあなたといっしょにいます。父より。 1995.8.30』

 我が親ながら、美しいメッセージだと思った」

 しわの入った紙に、黒いペンで書かれた真摯(しんし)な思い。1995年の日付が入っている。夏休みの最終日に父と急いで宿題の粘土細工を作った当時、父らしい側面も思い起こされたという。

「裏には私が当時ハマっていた漫画『ラッキーマン』に出てくる努力マンの落書き

 そんなものの裏にメッセージを書いて残そうとするあたり、照れ屋の父らしくて泣き笑いになった」

 男性医師は、父、そして父からしたら孫にあたる自身の愛息への思いを投稿につづった。

「貴方の子供は元気にやってるよ
貴方の孫はきっと凄いやつになるよ
そう伝えてあげたいと思った

 私の子供にもそろそろメッセージを残すことにした
 私と違い最終日に宿題をやらない優秀な彼の、不格好な作品の中に父親からの愛を忍ばせておこう

 夏休みまでは幸いまだ時間がある
 しっかりと文章を考えて、いつか彼が最高に泣けて笑えるヤツを、仕込んでおこうと思うのだ」

 息子は8歳でかわいい盛りだという。父と同じようにとびっきりのメッセージをサプライズで。そんな小粋な思いを記して締めくくった。

父から託されたバトン「私も自分の子どもには同じようなことをしようと思っています」

 30代の男性医師が家族と歩んできたこれまでを聞いた。「年の離れた夢追い人の父親(父が48歳の時の子どもでした)と、優しい母の間に生まれ、3人暮らしでした。小学校時代は、大人しいが優しい少年として育った。中学高校と男子校でテニスや学園祭実行委員をやりながらのんびり過ごし、高校2年から猛勉強してなんとか地方の国立医学部に滑り込みました」。

 医者になった大きな理由は「父への反発」だった。「高校生の頃、父が『将来は知り合いの競馬かパチンコの会社紹介してやる』とマジで言い始めたので、勉強してなんとか医学部に入りました」という。

 大学時代はお金がなくてバイトばかりして過ごした。大学卒業後、体調を崩していた父のことが心配だったこともあり、実家の近くの大学病院で研修医として勤務。その後泌尿器科医に。大学の医局で10年勤務した後、今は自費診療のクリニックに勤務している。

 男性医師が35歳の時に亡くなった父。29年前の夏、息子との思い出の日に、粘土細工にサプライズの手紙を忍ばせていたのだ。「宝の地図を隠したというエピソードは、実際に粘土細工を見つけるまで失念していました。父も、1回言ったきりでその後はそういった発言はなかったです。メッセージを見つけた時は、父の深い愛情を感じたこと、晩年けんかをしたりもあったけど幼少期は本当に純粋にかわいがってもらっていた記憶がよみがえったことで、涙が止まりませんでした」。痛いほど父の気持ちが伝わってきたという。

 投稿は7.2万件以上のいいねを集めており、大きな話題に。「こんなの見つけちゃったら絶対泣いちゃいます」「親子の愛情が伝わってきます」「お父さん!!!泣かすなよー 最高です。」「これは本当の宝物ですね 心に響きました」「素敵なメッセージを読み、涙が止まりません」などの感動を示すコメントが多数寄せられ、多くの人の涙を誘った。

 男性医師は「正直投稿の反応には驚いています。筆がのって長いポストになってしまいましたし、投稿直後はほとんどインプレッションもなかったので、いつも通り埋もれていくポストだと思っていました」と受け止めを語る。

 そのうえで、家族のあり方に思いをはせる。「ただ、どの家庭にも幼少期にはいつ思い出しても泣きそうなくらい輝かしい良い時期があって、それが皆の心に響いたのだと思います。中には、家族がそもそもいなかったという返信や、事故で亡くしたという返信もあり胸が痛かったですが、そういう方にも生まれたばかりの時は親からのあふれんばかりの愛情が注がれていたと信じています。うれしかったのは『私も子供にメッセージを残してあげよう』というコメントが多かったことです。父の遺した手紙が、誰かの行動につながり、それがまた誰かの家族の美しい思い出になるならば、これに代わる喜びはないと思っています」。心からの思いが受け継がれ、広がっていくことに感激しているという。

 父から託されたバトン。男性医師は「私も自分の子どもには同じようなことをしようと思っています」と実感を込める。

 息子とは仲良し親子で、お風呂も寝る時も一緒。「ただ、徐々に大きくなっていく息子を見て、こういう関係は今だけだから大事にしようと日々思っています」。成長を重ねていく息子、父としての思いを明かす。

 愛する息子へのメッセージ。「息子に伝えるとしたらやはり『生まれてきてくれてありがとう。君が居てくれて僕は幸せです』と伝えたいです。また、ライオンキングで出てくるライオンの親子のように、夜空を見上げれば父や祖父、先祖達が見守っているから胸を張って生きろと伝えたいと思います」と話している。

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