嫌いだった「マドンナのバックダンサー」の称号 『忍びの家』で話題の仲万美、女優転身のワケ
俳優の賀来賢人が主演・原案・共同エグゼクティブ・プロデューサーを務め、2月15日から世界配信がスタートしたNetflixシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』。配信が始まると「週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)」で1位を獲得するなど話題を呼んでいる。そんな本作で異彩を放つ存在感で、注目を集めているのが俳優の仲万美だ。マドンナのワールドツアーに同行するなど一流ダンサーとして名を挙げていた彼女が、なぜ俳優に転身したのか。その思いとダンサーとしてのこれまでに迫った。
俳優とダンサーは「全然違います」
俳優の賀来賢人が主演・原案・共同エグゼクティブ・プロデューサーを務め、2月15日から世界配信がスタートしたNetflixシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』。配信が始まると「週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)」で1位を獲得するなど話題を呼んでいる。そんな本作で異彩を放つ存在感で、注目を集めているのが俳優の仲万美だ。マドンナのワールドツアーに同行するなど一流ダンサーとして名を挙げていた彼女が、なぜ俳優に転身したのか。その思いとダンサーとしてのこれまでに迫った。(取材・文=猪俣創平)
現在は俳優として活躍の場を広げている仲は、ダンサーとして輝かしいキャリアを誇る。しかし、ダンサー時代の思い出を聞くと「夢がなかったんです」と打ち明け、世界のステージに立つまでの道のりを振り返った。
「ダンサーになったきっかけが何もないんですよ。ダンスは5歳からずっとやっていて、趣味だったんです。幼少期から中学、高校と習い事としてダンスを続けて、仲間もたくさん増えました。その仲間たちと一緒にわちゃわちゃ遊んでいるうちに、気が付いたらたくさん仕事をもらって、海外にいたという感覚です。“好きだからやっている”だけで、バックダンサーになりたいとか、有名になりたいという夢は一切なかったんですよ。ダンスがただただ楽しい、好きだからやっているだけでした」
加藤ミリヤ、椎名林檎、BoAら著名アーティストのバックダンサーとして注目を浴びた。しかし、それも自ら望んで手に入れた仕事ではなかった。
「自分の先生が有名になればいいと思っていたのが、2人で一緒に有名になっちゃったもんだから、『じゃあユニットにするか』という感じなんですよ。そこも何かきっかけらしいきっかけがあったわけではなく、ただ有名になってしまったんです」
そんな仲にとって、転機となったのはマドンナのワールドツアーに同行したことだ。“スカウト”したのは思いもよらぬ人物だった。「ダンスユニットが有名になったきっかけの動画があるんですけど、それをマドンナの娘さんが見つけて、『ママ、この2人雇った方がいいよ』って。そこからご連絡が来たんです」。
あれよあれよとワールドツアーに参加することに。しかし、当時の話を聞くと、返ってきた言葉は後ろ向きなものだった。
「苦痛でした。当時は英語が話せなかったので、もう地獄でしかなかったです。聞こえてくるのが全部英語で、自分が思っていることも言えない状況。何回泣いたかってくらい、結構大変な思いをしました。でも、日本人ダンサーの方もいらっしゃったので、『万美ちゃんおいで~』とケアしてもらっていました。それから少しずつ英語でもコミュニケーションが取れるようになって、楽しく過ごしてはいたんです。でも、やっぱり私の居場所はここじゃないと1年半ずっと思っていました」
そんな思いを胸に抱えつつ、バックダンサーとしての仕事を全うした。ただし、「80何か国も行ってずっと同じことをやっているので、目をつぶってでも踊れるんですよ。だから本気で踊ることもなくなりました」と、ダンサーとしての心境に変化があった。
「これはマドンナに限った話ではないんですけど、“所詮”という悪い言葉を使いますけど、バックダンサーって“所詮”スポットライトは当たらないんです。メインがいて、その後ろの飾りだと思っているので、自分はそれに納得がいかないところがありました」
帰国後は故郷に“恩返し”
マドンナのツアーに参加したことで、「ただただ楽しかった」ダンスが「大っ嫌い」にもなっていた。「好きなダンスが“やらなきゃいけない”という義務に変わる瞬間があって、それに気付いた自分が一番嫌いでしたね」と当時の心境を明かし、「ポジティブに言えば、ダンスとの向き合い方を変えようっていうターニングポイントではありましたね」と振り返った。
葛藤を抱えたまま帰国の途につき、プロとしてダンサー活動を続けた。その後、ユニットは解散。これをきっかけに「一番やりたいこと」をふるさとで始めた。
「出身が熊本なんですけど、2016年の熊本地震があったときに自分は海外にいたんです。家族や親戚はみんな無事だったんですけど、何もできないことが悲しくて……。だからこそ、自由になったときに復興支援をしようと思いました。九州全部のダンススタジオに連絡して『ワークショップをやらせてください』とか『ダンスイベントいかがですか』と自分で営業もかけました。ラジオなどにも出て、1か月で九州全部を回るくらい活動して、そこで頂いたお金は全部熊本城の復興に充てました」
自力で始めた復興支援。当時を思い出すと、声も弾んだ。「『これこれ! これがやりたかったんだよ!』と思えました。やっとダンスが好きになって、その後も東京でダンスイベントにも出ていました。高校生の頃に出会った仲間たちともまた遊んで、『うちら年取ったね~』みたいな会話もしながら、すごく楽しかったです」と、ダンスへの情熱を取り戻した。しかし、またしても頭を悩ませたのは“マドンナ”というあまりにも大きな看板だった。
「どこに行ってもマドンナの名前がついてくるのが、またダンスが嫌いになるきっかけになっちゃって(笑)。どこに行ってもマドンナ、マドンナ、マドンナ……『マドンナのバックダンサーです』と紹介されるんです。『仲万美って名前があるんだけどな』という思いはありつつも、マドンナに勝てないのも分かっているので、つらかったです」
そこで再び仲は思い悩んだ。「もうダンスは嫌いになりたくない。じゃあどうしようかと考えた結果、『やめよう』って決めました。ダンサーっていう肩書きをやめる、卒業する。それでやめました。もう6年前になります」と大きな決断を下した。
ダンス以外の道を模索していた頃、舞い込んだのは俳優デビューとなった映画『チワワちゃん』のオーディションだった。これを機に、役者としての道に目覚めた。
「『チワワちゃん』をきっかけにお芝居を始めたら、『こんなに楽しいんだ』と思えました、まだセリフってどうやって覚えるのかも分かっていないですし、右も左も分からないですけど、『何か楽しかった』という思いがありました。じゃあ、この何かを分かりたいから極めてみようかと。そう考えているうちに、ミュージカルとか映画とかにもいろいろ出させていただけるようになりました。でも、今もまだ模索中です。まだ『何か楽しい』感覚です」
『忍びの家』で存在感発揮も初アクションは「難しかった」
そんな仲は、Netflixシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』に出演。新興宗教・元天会の代表で俵家と敵対する風魔一族の男・辻岡洋介(山田孝之)の傍らにいる忍び・桜井あやめを演じた。本格アクションは初挑戦ながら、眉なしの黒髪ロングヘアー姿で存在感を示した。
俳優とダンサーは「全然違います」といい、「すっごく難しいです」と現在も試行錯誤の連続だという。今作では殺陣やアクションに挑んだが、「ダンスは流れでできますし、相手のことも別に気にすることはないです。でも殺陣はそうはいかないくて、相手との呼吸や剣の向き1つでも意味が変わるほど、型がしっかりしているので、すごく難しかったですね」と苦労も明かした。
一方で、ダンサーとの共通点は「どちらも演じること」だとして、「たとえば、仲万美という人間は楽観的で楽しいことが好きなんですけど、それをダンスで表現するかと言えば絶対にしません。どちらかと言えば、ちょっと陰な部分とか、人を寄せ付けないような踊りを見せて、お客さんにも『かっこいいけど、何かちょっと怖い』と思わせるのがすごく好きです。だから、俳優もダンスも演じているって部分では一緒だと思います」と語った。
これまでのダンス経験は俳優業にも生かされ、「やっぱり体が動かないと意味ないじゃないですか。ましてや、この作品に関しては忍っていう、動けないといけないものだから、ダンスをやっていてよかったなと思ってます」と笑顔を見せた。
キレのある忍者アクションで異彩を放ち、視聴者をくぎ付けにした本作は“俳優・仲万美”としてスポットライトの当たる一作になったようだ。
□仲万美(なか・ばんび)熊本県出身。5歳からダンスを始め、これまで加藤ミリヤ・BoAなどのバックダンサーを務め、2015年にはマドンナのバックダンサーとしてワールドツアーに同行。14~16年・19年には、『NHK紅白歌合戦』で椎名林檎のアーティストダンサーを務めた。16年、リオデジャネイロ五輪の閉会式で、日本のプレゼンテーション「SEE YOU IN TOKYO」にも参加。19年、岡崎京子氏原作の映画『チワワちゃん』で俳優デビュー。