「親を殺されたと思え」 白血病闘病の格闘家、師に叩き込まれた教え…引退試合は「殴り合いを」

“逆輸入ファイター”として名をはせた元K-1戦士のノブ・ハヤシ(チャクリキ・ジャパン)が21日の東京・後楽園ホール大会で引退する。20歳でオランダに渡航し、チャクリキ総帥トム・ハーリック会長のもとで練習を積み、ヘビー級の貴重な日本人選手として頭角を現した。2000年8月に白血病で急逝したアンディ・フグさんの最後の相手になったハヤシが、格闘生活と今後の目標を語った。

アンディ・フグ(右)さん最後の相手となったノブ・ハヤシ
アンディ・フグ(右)さん最後の相手となったノブ・ハヤシ

引退試合の相手は天田ヒロミ「殴り合いをします」

“逆輸入ファイター”として名をはせた元K-1戦士のノブ・ハヤシ(チャクリキ・ジャパン)が21日の東京・後楽園ホール大会で引退する。20歳でオランダに渡航し、チャクリキ総帥トム・ハーリック会長のもとで練習を積み、ヘビー級の貴重な日本人選手として頭角を現した。2000年8月に白血病で急逝したアンディ・フグさんの最後の相手になったハヤシが、格闘生活と今後の目標を語った。

 ハヤシは引退試合で天田ヒロミとエキシビションで対戦する。

「僕がキックボクシングの試合でまぶた切られてTKO負けというのも天田さんが初めてだったし、節目にはいつも天田さんがいた。(14年には一緒に)キング・オブ・コントも出たし、いろいろお世話になっています」

 互いに知り尽くし、尊敬し合う仲だが、リング上は別だ。「最後なんで、殴り合いをします。言い方おかしいですけど、本当に気持ちを出したいなって思っています」と拳を握り締めた。

 引退試合には、師のハーリック会長もオランダからやってくる予定だった。日本へ向かう航空機搭乗の直前、新型コロナウイルス陽性と判定され、来日が不可能となったが、ハヤシにとっては、ハーリック会長に届ける一戦となる。

 25年前、右も左も分からない異国で、ハヤシを受け入れてくれたのが名門ドージョー・チャクリキのハーリック会長だった。

「行ったら2日目ぐらいからプロの練習に入ったので、よく分からないまま、ずっと生活していました。トムは、僕が海外から来ていて、20歳で若いというのもあって、厳しいんですけど、まだ優しさがあるという感じで、ずっと話してくれたりしましたね」

 格闘技とは何か、闘いとは何かを徹底的にたたき込まれた。

「僕がオランダにいたころは、試合のときなんかは言葉悪いですけど、もう本当、相手に対して『殺せ』とか『親を殺されたと思え』とか、それぐらいの感覚でした。その気持ちは今も変わらないです」

 試合前は英語で闘志を注入され、試合中はセコンドからオランダ語でゲキが飛んだ。

 ハヤシが忘れられないのが、05年のパリでの大会だ。試合前から腰にヘルニアを患い、コンディションは最悪だった。1ラウンドに2度ダウンを奪われKO負けすると、覇気のない内容にハーリック会長が激怒。控室でビンタが飛び、観戦に訪れていた前田日明が「ノブ、大丈夫か」と思わず心配するほどの激高ぶりを見せた。

「僕が気持ちも入ってない試合をしちゃったんですよ。トムに殴られたのは1回しかないです。ビンタですけど、あのときだけですね」

 出会ってから25年をともに歩んだ。御年80。父親のような存在だ。ハヤシが08年、急性骨髄性白血病を発症し、長い入院生活に入ったときも、病室まで来て激励してくれた。

「トムは第2の父親のようです。彼もずっと僕のこと、息子息子みたいな感じで言ってくれています。元々チャクリキファミリーなので、本当にそういう感じです」

 熱望していた“最後のセコンド就任”はかなわなかったが、教えを胸に、自らを奮い立たせている。

ノブ・ハヤシとトム・ハーリック会長
ノブ・ハヤシとトム・ハーリック会長

アンディ・フグさんのすごさ「アーツはごつかったけど…」

 そして、もう1人、ハヤシの格闘キャリアに大きな影響を与えた人物がいる。

「僕の中では、初期のころは自分のK―1デビュー戦もそうですし、相手で言えば、アンディ・フグとかピーター・アーツの試合が一番印象に残っています」

 ハヤシは00年7月、22歳のとき、対日本人8連勝中のフグさんと対戦した。リングに上がり、いざ対峙すると予想を裏切られたという。

「アーツは試合のとき、ごつかったんですよ。アンディは逆にそれがなくて、『なんかいけるかも』と、ちょっと自分の中で思ってしまったぐらいな感じだったんですね。僕が言うのもおかしいですけど、レベル的に達した人間みたいな、そんな感じがしました。強さでゴンっと来るんじゃなくて、はいどうぞ、はいかかって来てくださいね、みたいなふわっとした感じでした」

 互いに構えた瞬間、身動き取れなくなるような迫力はなかった。しかし、前に出ると待っていたのは、ガードの巧みさと痛烈な打撃だ。

「僕、剣道をやっていたんですけど、剣道でごっつい段上のおじいちゃんとやっているような感じです。でも、行ったら全然もう入れんわ、みたいな。アンディとやったときは、その感覚に近いからすごいなって感じました」。結果は会場に戦慄が走るほどのKO負けだった。

 そしてフグさんは翌月、急性前骨髄球性白血病により35歳の若さで急逝する。ハヤシは大きな衝撃を受けた。

「亡くなるまでの間、アンディ的には調子がぐーんと上がっていたときだと思うんですよね。負けなしでずっと来ている状態で、今年のグランプリ目指しますよ、みたいな感じだったので。だから、亡くなったと聞いたとき、僕はびっくりというか、信じられなかったですよね」

 ハヤシも白血病が発症したときのつらさを知っている。フグさんが試合中にそのことをみじんも感じさせなかったのは、のちに驚きを持って思い返すことになった。

「僕の場合は本当に調子悪さが出ていました。何か月か前から。だから、アンディもあの試合のときにはもう調子悪かったかなって思ったりしましたね」

 訃報が飛び込んできたのは、地元徳島から帰京する飛行機の中。「若かったのもあって、なんで死んでと思いましたよね。悔しい、なんで? もう1回試合したかったな、みたいな気持ちになりました」。結果的にフグさんの最後の対戦相手になった。現在では、再戦できなかったことより、「1回でも試合できてよかったな」という気持ちが強くなっている。

東京・豊田駅至近にジムをオープンさせる【写真:ENCOUNT編集部】
東京・豊田駅至近にジムをオープンさせる【写真:ENCOUNT編集部】

新道場開設! 後世に伝えていくチャクリキの神髄

 天田戦では25年に及んだキャリアに終止符を打つ。

 現役を退いた後は、東京・豊田駅に自身のジムをオープンさせ、後進の指導にあたる。天井は高く、リングやサンドバッグを備えた本格的なジムだ。

「プロ選手を育てたいとか そういうことではなく、一般の会員さんが日々の生活を潤すために、キックボクシングを通じて、仕事も生活もうまくいくようなジムという形でやりたいと思っています」

 道場に掲げたのは、もちろん、代名詞「チャクリキ」の看板だ。自身の哲学、ハーリック会長の教えを未来につなげていく。

 最後にチャクリキとは、ハヤシにとってどのような意味を持つ言葉なのだろうか。

「離せないものですよね。これからも僕=チャクリキの選手、チャクリキだってずっと言い続けるんですよ。トムが亡くなったとしても、僕はチャクリキを続けていくし、切り離せないです。肩書きというか、名前の1個みたいな感じになっています。それくらい僕にとって大事なものだと思っています。チャクリキをもっと広めたいですね」

 人生の集大成の闘い、そのゴングは間もなく鳴り響く。

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