川中美幸、“愛車”はオープンカーにもなる2シーター 2台乗り継ぐほどぞっこん

演歌歌手の川中美幸が3日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(午後9時24分)に出演する。

川中美幸が『おぎやはぎの愛車遍歴』に出演【写真:(C)BS日テレ】
川中美幸が『おぎやはぎの愛車遍歴』に出演【写真:(C)BS日テレ】

涙なくしては語れないカーライフ

 演歌歌手の川中美幸が3日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』(午後9時24分)に出演する。

 同放送回では川中が親子愛と歩んだ人生、愛車遍歴を振り返る。苦労を重ねながら生きる両親の背中を見て育った幼少期。両親を喜ばせるために選んだ歌の道。そして、それは車選びにも……。涙なくしては語れない川中さんのカーライフが明かされる。

 現在の愛車の後部座席から登場した川中。快適さを追求しまくった空間に、おぎやはぎも感心しまくり。歌手だけに、車内にはさまざまな仕掛けが施されていた。

 川中家と車との関わりは、悲しい歴史から始まる。父が自動車で事故を起こしたため、生活のために母が免許を取得することに。苦労に苦労を重ねながらも、両親は明るく元気に子どもたちを育ててくれたという。夏休みには、車の助手席に乗って、汗水流して働く母の姿を目に焼き付けた。「お母ちゃんを絶対に幸せにしなきゃいけないなって、その時に思いましたね」。車内でよく歌を歌っていた母の影響で、自分も歌うように。それが、川中の人生を運命づけることになった。“のど自慢荒らし”として名をはせた少女時代のエピソードも語る。

 川中といえば、代表曲『ふたり酒』の大ヒットが有名。NHK紅白歌合戦に初出場したのも、この曲だった。発売当時はまだ24歳だったが、歌詞は夫婦連れ添うという、ちょっと背伸びした世界観。電話口で母に歌ったところ、母の意外な反応にびっくり。それと同時に、この曲を歌う大きなヒントを手にする。

 そんな川中さんの初愛車は、25歳の時。当時大人気だった国産車を新車で買ったが、「その時に限ってアイドル並みの忙しさ。ほとんど乗れなかったんですよ」と振り返る。仕事が終わると、「自分で運転したいだけで」夜な夜なドライブへ繰り出していたという。

「歌ってるのが演歌だったので」とそんな思いから国産車路線を貫いてきたが、30代には訳あって一気にドイツ車へ路線変更。40代になると、2台乗り継ぐほどお気に入りの1台に出会った。オープンカーにもなるおしゃれな2シーターだったが、オープンにしたのはわずか2回だったという。その意外すぎる理由も明かされる。

「一卵性親子」と呼ばれるほど仲良しだった母は晩年、大病を患った。川中も「後悔したくない」と、仕事をセーブし、母に寄り添う日々を送った。母の体を思って車選びをしたことも。母子愛が詰まった、川中の愛車遍歴となった。

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