中村時蔵、初代中村萬壽襲名 名前は平安時代の元号から「なにか因縁めいてる」

歌舞伎俳優の中村時蔵、中村獅童、中村梅枝、小川大晴(ひろはる)、小川陽喜(はるき)、小川夏幹(なつき)が22日、都内で行われた歌舞伎座『六月大歌舞伎』の記者会見に登場した。

記者会見に登場した中村夏幹、中村陽喜(左から)【写真:ENCOUNT編集部】
記者会見に登場した中村夏幹、中村陽喜(左から)【写真:ENCOUNT編集部】

六月大歌舞伎で萬壽、時蔵、梅枝を襲名

 歌舞伎俳優の中村時蔵、中村獅童、中村梅枝、小川大晴(ひろはる)、小川陽喜(はるき)、小川夏幹(なつき)が22日、都内で行われた歌舞伎座『六月大歌舞伎』の記者会見に登場した。

 この六月大歌舞伎で、時蔵が初代中村萬壽(まんじゅ)を、時蔵の長男・梅枝が六代目中村時蔵を襲名する。また梅枝の長男で8歳の大晴が五代目中村梅枝として初舞台を踏む。さらに獅童の6歳の長男・陽喜と3歳の次男・夏幹は、初代中村陽喜、初代中村夏幹として初舞台を勤める。

 4月に69歳の誕生日を迎える時蔵は、初舞台から芸歴64年の女形。昭和56年から時蔵を名乗り、43年続いてきた。2023年9月には国立劇場で女形最高峰の難役『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の太宰後室定高(だざいこうしつさだか)を初役で勤めた。また、国立劇場養成所の主任講師として、後進の育成にも熱心に取り組んでいる。今回、息子の梅枝に時蔵を引き継ぎ、自身は萬壽を名乗る。

 この萬壽という名前は時蔵自身が新たに考案したという。「わたくしは必然的に名前がなくなってしまいましたので(笑)、萬屋でございますので、萬という字はつけたいなと。萬壽は平安時代の元号でございます。清盛が登場する前の元号」と説明。年と日付を表す十干十二支(じっかんじゅうにし)に思い入れがあるといい、「萬壽は十干十二支の甲子(きのえね)なんですね」と、60年目に一巡する干支の組み合わせの1番目であることを明かした。

「わたくしは1955年、昭和30年生まれ。孫の大晴は2015年、同じ乙未(きのとひつじ)。同じ干支でございます。私の祖父・三代目時蔵は明治28年、私と60違い。さらにわたくしの父・四代目時蔵は昭和2年生まれ、梅枝は昭和62年生まれ。なぜか時蔵家では60の時にできた孫が時蔵を継いでいる。十干十二支は思い入れが深いので、絶対萬壽にしようと。萬壽は甲子、1から始まるので、『萬壽という名前を1から築いていこう、私の芸も1から見つめ直そう』と思って決めました。萬壽元年は1024年、今年から1000年前。それもなにか因縁めいてる」と語った。

 息子の梅枝には、2021年6月に博多座で食事をしている時に、襲名について伝えたという。梅枝は「『え? 隠居するんですか?』って聞いたんです」と当時の驚いた様子を語り、当初はかたくなに拒否していたという。「そもそも、父が亡くなるまで梅枝で、亡くなってから受け継ぐと思っていたので……。父が時蔵ではなくなるのが嫌だったし、皆さんも了承しないんじゃないかなと思っていました」と当時の複雑な気持ちを明かした。

 しかし、獅童をはじめいろいろな人に相談したといい、「お父さんが生きている間に名前を譲るというのは滅多にないことだからと。今思えば、親子3代そろって襲名できるのはありがたいことですし、父が生きている中で譲ってくれるというのは特別なこと。代々の時蔵さんに恥ずかしくないように一生懸命やっていけたら」と意気込んだ。

 時蔵は、「高齢化社会で、わたくしが長生きしたせい譲るのが遅くなった(笑)」と笑いを誘い、「私も引退する予定はありませんし、バリバリと初役をこなしていきたい。後進の指導も力をいれていきたい」と語った。

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