ダイアモンド☆ユカイ、“ポップな別居”から2年 子どもたちのために「毎朝6時半に起きてみそ汁作り」
ロックシンガーのダイアモンド☆ユカイが、3月12日で62歳になる。子どもたち3人の成長をブログで紹介。妻と長女、ユカイと双子が離れて暮らす「別居ポップコーン(婚)」の生活をつづりながら、全ての家事をこなしている。そこにどんな思いがあるのか。ユカイ本人が語った。
ブログで家族との生活を明かす理由は「ジョン・レノンに憧れて」
ロックシンガーのダイアモンド☆ユカイが、3月12日で62歳になる。子どもたち3人の成長をブログで紹介。妻と長女、ユカイと双子が離れて暮らす「別居ポップコーン(婚)」の生活をつづりながら、全ての家事をこなしている。そこにどんな思いがあるのか。ユカイ本人が語った。(構成=福嶋剛)
「別居ポップコーン(婚)」からあっという間に2年がたちました。別居の理由は「娘の夢を応援するため」「夫婦としても少し距離を置くタイミングでもあった」の2つ。そして、双子の息子たちは僕が育てることになったのですが、当時はコロナ禍の真っ最中で公私ともに「背水の陣」でした。今でもお尻に火が付いたままに走っていますが、おかげさまで家庭も仕事も目が回るくらいの毎日です。そんな昨年の我が家の1年を振り返ってみたいと思います。
息子たちの学校がある日は、夜中まで仕事があっても必ず朝6時半には起床。起きたら、鉄瓶で温めた狭山茶をいれて体を温めます。その後、家の雑巾がけをします。ほこりがすぐに溜まってしまうから、息子たちが健康でいられるように朝一番に体を動かします。
掃除をしながら双子の次男を起こします。「双子」でも、キャラクターは全く違います。長男はすぐに起きるのに、次男は毎朝3回起こさないとダメなんです(笑)。次男を1回目に起こしたら、リビングに連れていきますが、そこで2度寝を始めます。掃除が終わる頃には長男も起きてくるので、次男を起こしたら朝食の準備に取り掛かります。
うちは毎朝、みそ汁を出すようにしていて、僕がいちから作るようにしています。ご飯も毎朝炊いていて、日によって魚を焼いたり、たまに妻の親戚にも助けてもらいながら作り置きしてあるおかずを出したり。あと、漬物も自分で作ったものを食べさせています。ご飯の支度ができたら3度寝している次男を起こし、ようやく朝飯です。テーブルには山盛りのみかんをいつも置いていて、2人にはちゃんと栄養を取れるように健康には気を付けています。その間に学校からのプリントの出し忘れがないか確認して、ようやく2人を学校に送り出し、今度は玄関の掃除がスタートします。
玄関の掃除が終わったら陽に当てておいた常温の水をベランダや庭で飲みながら、空に向かって『今日も一日感謝を忘れずに。うまくいきますように』と唱えます。ここまでが僕の毎朝のルーティンです。まるで運動会みたいにエネルギーを使い果たしてクタクタになってしまうので、洗濯と布団干しは適当に時間を分けます。ここでようやくコーヒータイム。世の中の主婦のみなさんの大変さがよく分かります。僕のような昭和世代は亡くなった母親に『こうやって育ててもらったんだな』と今頃、ありがたみを感じます。でも結構、家事も楽しいですよ。
3人の子どもたちは、体格も精神面もどんどん成長していて、毎日いろんな出来事があります。長女は、今年の春から中学3年になります。ブログでも紹介していますが、アーティスティックスイミングをやっていて、元オリンピック日本代表コーチの井村(雅代)先生の下で指導を受けています。昨年、ジュニアオリンピックのソロ部門で優勝しましたけど、次々と現れる壁を懸命に乗り越えながら戦っていると聞いています。身長は僕を抜いてしまい、会うたびに娘の目線が上がっていくんです(笑)。でも、気持ちの部分だけは娘にも負けたくないと思って頑張っています。僕から娘にできることは愛を込めて応援してあげることだけですね。
双子の息子たちも春から中学生で体格もガッチリしてきました。長男はサッカーをやっていて昨年、念願だったクラブユースのクラブ与野に合格。今まで育てていただいたクラブ、エクセレントフィートFCで遠征したり、頑張っていたのですが、膝を骨折する大ケガをしてしまいました。治るまでしばらく時間が掛かりそうです。本人は辛いと思うんだけど、実は僕も同じくらいの年頃に野球で骨折しました。そこで友だちが持っていたビートルズのレコードを聴かせてもらったことで、ロックと出合いました。だから、長男も今の状況をプラスに持っていけるように『逆境に強くなってほしいな』と思いながら、見守っています。
次男は2人と違って文科系です。妻の勧めでバスケットボールをやっているんだけど、何をやっても器用なタイプです。本も好きだし、パソコンも専門家みたいに詳しいんです。でも、次男は自分の意志を曲げない。妻も僕も言うことを聞かないのは同じだから、どっちにも似たんでしょうね(笑)。
自分らしい生きざまを堂々と見せていきたい
僕は一人っ子で両親が共働きの家だったから、小さい頃から1人でいることが多かったです。そして、小学校の親友が僕にはないさまざまな才能を持っていて、『何をやってもかなわない』と思い、自己肯定感の低い少年でした。ただ、骨折したことでビートルズと出会い、ロックに目覚め、ようやく自信が持てるようになりました。その中でもジョン・レノンという偉大な人物からの影響は大きかったです。
ジョンが好きで好きでたまらなかったですね。彼のファンのみなさんには怒られてしまうけれど、赤裸々な結婚生活、堂々と家族を紹介する姿、全てがかっこいいわけではなく、かっこ悪いところも見せてくれた。そんなある種の私小説みたいな生き方に共感して、『僕もダイアモンド☆ユカイという1人のロックミュージシャンとして、ジョンみたいな自分らしい生きざまを堂々と見せていきたい』。そう思いました。僕が家族を紹介する根底には、それがあるんです。
当然、絶対に裏側を見せたくない人だっています。でも、世の中にはいろんなタイプがいてもいいんじゃないかなと思います。もちろん、いつか子どもたちから『父親の私小説に登場するのはもう嫌だ』と言われる時がくるかもしれません。そうなった時は、『ダメな自分を歌えば良いのかな』って思います。さらけ出すことによって応援してくれる人もいれば、『お前は何をやっているんだ』と言ってバカにしてきたり、アンチからの誹謗(ひぼう)中傷もいっぱいくる訳です。僕は鈍感なので基本的には気にしないんだけど、最近、思うのはアンチも僕のエネルギーの1つになっているんだなって思います。
レッドウォーリアーズでギターのシャケ(木暮武彦)とダイアモンド・シェイクというロックバンドもやっているんだけど、そういう僕に対する負のエネルギーが『うるせえ』みたいなロックンロールになったりしています。ステージで爆発したり、相乗効果もあるんですよ。
昨年は初めてレッドウォーリアーズが主催するロックフェスを開催することができました。若い頃は、目の前にあるものをなぎ倒していかないと前に進めなかった。だから、自分本位で生きてきたんだけど、家族ができてからは、『喜びはみんなで分かち合いたい』という気持ちが強くなってきました。そんな中でフェスを開催。あの頃の仲間たちとも元気に再会できたし、お客さんもたくさん集まってくれました。40年も時間が流れているのに、いまだにみんながレッドウォーリアーズを愛してくれていることを実感しました。『これ以上、素晴らしいことはない』と思いました。昔はメンバーと意地の張り合いをしていたこともあったけど、還暦をすぎても一緒のステージに立てているということ。そんな相手とはなかなか出会えるようで出会えないですからね。感謝しています。
今年一発目のライブは3月9日に東京・有楽町にある「I’M A SHOW-アイマショウ- 」という会場で62歳のバースデーソロライブを開催します。1年に1回の「ユカイ祭」です。
振り返ると、数年間のコロナ禍と還暦という節目が、僕にとってのターニングポイントになりました。家族に対する気持ちも変化してきましたし、今まで以上に音楽と向き合うこともできています。と言っても、しょせんは『ただのロックンローラー』ですから。世の中から外れていることもいっぱいあるんだけど、『それでもいいじゃない』と開き直りながら、今年も一生懸命、目の前のことと向き合って楽しんでいきたいと思います。
□ダイアモンド☆ユカイ 1962年3月12日、東京都生まれ。埼玉・大宮で育ち、86年、ロックバンド・RED WARRIORSのボーカルとしてデビュー。日本武道館、西武球場でのライブを成功させ、89年に解散してソロに転身。俳優としては88年、日米合作映画『TOKYO POP』でデビューし、映画、ミュージカルに多数出演。2009年、一般女性と再婚。「無精子症」と判明し、不妊治療を受けたことが話題に。結果、2男1女に恵まれたことで、男性不妊治療の啓発活動も熱心に行っている。