「信号機のない国」で奮闘する日本人 しわ一つないテーピング技術に驚き 心に響いた「ありがとう」の日本語
日本から遠く離れたソロモン諸島のスポーツ選手の支援に力を入れている日本人がいる。NPO法人「オセアニア地区スポーツ支援機構」代表で、まつもと接骨院グループ代表の松本宗三さんは、12月2日まで首都ホニアラで行われた国際スポーツ大会「パシフィックゲームズ」に柔道整復師や鍼灸師など9人のチームを編成、派遣した。「信号機のない国」は、ケアの面でも十分なサポート体制が整っているとは言いがたい。お礼の証しとして、貝殻で作られたネックレスを贈られた松本さんに、長年の支援についての思いを聞いた。
ソロモン諸島で開催「パシフィックゲームズ」を支えた日本人たち
日本から遠く離れたソロモン諸島のスポーツ選手の支援に力を入れている日本人がいる。NPO法人「オセアニア地区スポーツ支援機構」代表で、まつもと接骨院グループ代表の松本宗三さんは、12月2日まで首都ホニアラで行われた国際スポーツ大会「パシフィックゲームズ」に柔道整復師や鍼灸師など9人のチームを編成、派遣した。「信号機のない国」は、ケアの面でも十分なサポート体制が整っているとは言いがたい。お礼の証しとして、貝殻で作られたネックレスを贈られた松本さんに、長年の支援についての思いを聞いた。
ソロモン諸島は、首都のあるガダルカナル島を含む島国だ。太平洋戦争では日米の激戦地だっただけに、いまも、日本の戦車が野ざらしにされている場所もある。
信号機がない国で、主要道路は舗装されているものの、脇道に入れば土ぼこりが上がる。「ちょっと入ると道はガタガタ、穴ぼこだらけです。交差点では車は止まって譲り合いですね」と、松本さんは話す。
そんなソロモン諸島で、大規模な国際スポーツ大会が初開催された。参加したのは、オーストラリアやニュージーランド、フィジーなど周辺の24の国と地域だった。一部の種目では、来年のパリ五輪代表選考も兼ねており、熱戦が繰り広げられた。オセアニア国内オリンピック委員会(ONOC)は、スムーズに運営するべく、万全の準備を整えた。
松本さんはONOCから5月にサポートの相談を受け、すぐに支援体制を整えた。過去の経験から、協力が必要なことは理解していた。
国立病院は島に1か所だけ…応急処置で喜ばれた経験
松本さんは2019年、柔道の指導で2週間、ソロモン諸島に滞在した。練習中に、肩やひじを脱臼した選手がいたが、現地の病院で治療を受けるには、2~3日待たなければならなかった。ホニアラに国立病院は1か所しかない。医者に行かず、村単位で行われている接骨のような民間療法で治療する選手もいる。柔道整復師の資格を持っている松本さんは、その場で治療。選手からとても喜ばれた。
大規模なスポーツ大会になれば、医療やその支援体制の構築は欠かせない。
松本さんは、日本から折り畳みのできる簡易ベッド4台を持ち込み、包帯やテーピングなど必要な治療道具を用意。9人のメンバーは、自費で渡航した。飛行機はエコノミークラスで1人往復30万円ほどかかった。
活動場所は多岐にわたった。ホテルや会場のほか、選手村でもケアに当たった。
治療後にかけられた「ありがとう」の日本語
メディカルチームの一員だった柔道整復師の川井駿輝さんは、「すごく感謝をされたというのは、どの会場でも一番印象的でした。選手はもちろんですけど、空き時間には膝が痛い、首肩が痛いというスタッフの方も治療させていただきました。親日家の人が多くて、最後『ありがとう』と日本語で言われる方が多かったです」と、振り返る。
担当したのはウエートリフティング、ラグビー、セーリングの3種目。滞在した6日間で、1日30人以上、計200人前後を治療した。
「ラグビーはどうしてもコンタクトスポーツになるので、指や膝にテーピングを巻きました。陽気な方が多いので、『パーフェクト!』と言ってくれる方が多かったです。セーリングでは、水に濡れても大丈夫なテーピングを使いました。普段はビーチバレーの選手たちが使っているテーピングで、『これ、取れないのか?』と言われましたが、競技後に見せたら取れていなくて驚かれました」
テーピングの仕方は、日本の技術を披露する機会になった。「普段はテーピングしている選手もいますけど、国によってはハードテープしかなかったり、巻いているところを見てもしわが寄っていたりしていました。その点、きれいさとか固定面を含めて好評だったと思います」。必要な可動域を残したうえで、しわ一つないテーピングは評判を呼んだ。施術をすると、「また明日もいるのか?」と聞かれることが恒例に。現地の医師や看護師も見に来たほどで、若い施術師にとっては貴重な経験になった。
畳のなかったソロモン諸島に「何が援助できるか」
松本さんが、ソロモン諸島と接点を持ったのは、2012年のロンドン五輪のときだ。
「当時、柔道のソロモン代表選手のコーチとして五輪に参加してからですね。当時は柔道をするのに畳もありませんでした。格闘技用のマットを2枚重ねた状態で練習をやっていました。そこから少しでも援助ができるように柔道着を送ったり、柔道指導に行ったりしました。14年にNPO法人を立ち上げたのは、ソロモンみたいな貧しい国があるというのを知って、オセアニアのスポーツを応援したいという思いからでした」
日本とはかけ離れた環境下で、練習をしている国があることに衝撃を受けた。
「柔道自体が世界にすごく広がってきているのに、そういう国があって、柔道に興味がある子どもたちがまともな環境で練習できていない。アフリカとかもそうですけど、畳がなくてもオリンピックに出てくる子たちがいる。路上で柔道っぽいものをやりながら練習しているところがある。環境を整えてあげないと、スポーツ自体は強くなっていかない。少しでも力になりたいと思いました」。NPOを通じてかかわりを深め、ソロモン諸島のほかにも、フィジー、ナウル、バヌアツ、キリバスの選手を日本に招へいしてきた。
「普通の家庭であってもテレビがなかったり、冷蔵庫がなかったりします」というソロモン諸島。国際空港の建設やインフラの整備は日本企業が携わるなど、日本とのつながりは深い。不思議な縁を感じている。
物資を送り続けることは、どうしても資金面の問題が生じる。「何が援助できるかと言ったら、私たちの技術かな」と、実務の交流に力を入れてきた。
「今回、主催したONOCの事務総長の話では、医療、施術に対してのサポート体制がしっかりできていて、どういうふうにそのような関係を築いたのか、IOC(国際オリンピック委員会)の理事から質問があったそうです。参加にあたって、ケアの丁寧さや、テーピングのきれいさなど、私たち柔道整復師の技術自体が評価された。そういう協力体制をすることができたことは非常にうれしいです」
お礼に受け取ったネックレスに込められた思い
松本さんや日本のメンバーには感謝のしるしに、貝殻で作ったネックレスが贈られた。
「昔は貝がお金の代わりだったと言われていました。いまだに山で取った、海で取ったものを交換している人もいます。日本では、現在、整骨院や柔道整復師が手当する外傷は少なくなってきています。一方、ソロモンやオセアニアの小さな国では、外傷に対しての技術がすごく必要になっている。選手の活躍をサポートしていくためにも技術を伝えていきたい。いい関係でメディカルチームとして派遣できているので、できる限り、今後も続けていきたいですね。いつかソロモンの大学に、学生が学べる科目を作りたいという思いもあります」
松本さんの夢はまだまだ続いていく。