バイト入社から前澤友作氏の右腕に 宇宙同行まで上り詰めた平野陽三氏の“下剋上人生”
実業家の前澤友作氏による2021年12月の宇宙旅行に密着したドキュメンタリー映画『僕が宇宙に行った理由』が12月29日に公開される。同作で監督を務めたのは、宇宙旅行に同行した平野陽三氏(38)。前澤氏の“右腕”とも言える人物だ。アルバイトでZOZOTOWNを運営する株式会社スタートトゥデイ(現ZOZO)に入社し、宇宙旅行の同行者まで上り詰めた平野氏だが、これまでの歩みについて、「本当にラッキー」だったと振り返る。
前澤友作氏のすごみは「リミッターがない」
実業家の前澤友作氏による2021年12月の宇宙旅行に密着したドキュメンタリー映画『僕が宇宙に行った理由』が12月29日に公開される。同作で監督を務めたのは、宇宙旅行に同行した平野陽三氏(38)。前澤氏の“右腕”とも言える人物だ。アルバイトでZOZOTOWNを運営する株式会社スタートトゥデイ(現ZOZO)に入社し、宇宙旅行の同行者まで上り詰めた平野氏だが、これまでの歩みについて、「本当にラッキー」だったと振り返る。(取材・文=中村彰洋)
平野氏が前澤氏と出会ったのは2007年。ネットサーフィン中にたどりついたのが、ZOZOTOWNのサイトだった。同年12月に東京証券取引所マザーズに上場するとはいえ、当時はまだ小さな会社。だが、平野氏は魅力を感じたという。
「当時はZOZOTOWNを知らなかったんです。なんとなく求人ページで調べてみたら、『あ、服の会社なんだ!』って。大学4年生のときに就活もしていなかったので、新卒の年齢でアルバイトとして入社しました。もう新卒採用は終わっている時期でしたね(笑)」
入社して約1年後に社員登用試験に合格し、晴れて社員となった平野氏。風通しが良く、若手スタッフでも意見が言えたり、社長と話すタイミングをもらえるような環境だったことが後押しし、前澤氏との関係を徐々に構築していった。「食事や飲みの場に連れていってもらえたり、そういうことの積み重ねでした」。
そんな平野氏にとって、今でも忘れられないターニングポイントがある。
「23歳ぐらいのときにようやく社員になれたのですが、その年末に全社員での忘年会がありました。若い人たちが集まってファッションを楽しむといった集まりだったので、ラフに挑んでしまったんです。専務がスピーチしている最中にガムを食べていたら、見つかって全社員の前でこっぴどく怒られました。『せっかく社員になったのに、もう辞表か……』ってぐらいに(苦笑)。
ただ、その場が若い人でも発言できるような雰囲気だったので、1番最後に手を挙げて、全社員の前でスピーチをさせてもらったんです。最初に謝罪をしたうえで、自分がどのように考えながら働いているかを話しました。それから数日たって、会社で前澤さんから、『あ、お前ガムのやつじゃん!』って初めて声を掛けてもらえたんです。良くも悪くも覚えてもらうことができたので、あれは転機でしたね。ピンチをチャンスに変えることができた瞬間でした」
前澤氏と仕事をしていく中で、次第にそのカリスマ性に魅了されていった。「この人と一緒に働きたい、近くにいたい、認めてもらいたいという思いは、他のスタッフよりも強かったと思います」と当時の憧憬を口にする。前澤氏と対峙(たいじ)する際には「負けないぞ、目を逸しちゃダメだ」とオーラに負けぬように「腹に力を入れて会話する」ことを心掛けていたという。
「映画監督」の夢も達成…「次の目標がなくて困っているんです(笑)」
前澤氏の“右腕”としてさまざまな事業で重要な役割を担っている平野氏だが、28歳でZOZOを退職し、1度は違う道を歩んでいた。
「辞める直前に新規事業の立ち上げメンバーとして、中国の上海に行かせてもらいました。ゼロイチで組み立てる作業はとても楽しかったのですが、中国での事業はうまくいかず、撤退することになりました。帰国してみたら、自分が仕事をしていなくても、ZOZOという大きな組織は回っていて、『自分の価値や役割ってなんなんだろう』と思ってしまったんです。自分で何かをやらないと、満足感を得られないんだなと強く思って、まずは好きなことをやってみたいと辞表を出しました」
映像関係の仕事に転職し、その後は友人とともに独立。その間も前澤氏とは年に数回、食事をするような関係が続いていたが、2018年にタイミングは突然訪れた。
「前澤さんから『今度、月に行くことになったんだよね』と唐突に言われたんです。『え、なんですかその話!』と食いついたら、『え、興味ある?』って。それきっかけで、前澤さんのもとに“出戻り”することになりました(笑)」
前澤氏と出会って16年。つねに近い場所でその活躍を見続けたことで、実業家として第一線を走り続けている理由が分かってきたという。
「人の想像を容易に超えていくんです。『さすがにこれは限界』というリミッターがないんです。『やれることは全部やろう。それで失敗したらしょうがないじゃん』みたいな軽いノリなんですよね(笑)。人の何十倍も人生を楽しむ秘訣(ひけつ)を知っている人だなと思います。
前澤さんが何かを始めるときに1番最初にテーブルに上げるものに対して、普通の人は否定から入っちゃうんです。僕もそうでした。だけど、前澤さんはそんなこと百も承知で、その2歩、3歩先の話をしたいんだと思うんです。『否定から入るのではなく、まずは肯定したうえで何ができるのかを考えよう』って」
憧れの前澤氏との再合流のきっかけとなった「宇宙」。「自分の人生で宇宙に行く日が来るとは思っていませんでした」。数年前には考えもしなかった現実が待っていた。さらには、1度は前澤氏と離れた理由となった「映画監督」という夢も今回の映画でかなえることができた。
「次の目標がなくて困っているんです(笑)。今回の映画をより多くの人に見てもらって、さまざまな反応をいただいて、それきっかけで、次にやりたいことや目標が見えてくればいいなと思っています。ラッキーやめぐり合わせが続いている人生なので、流れに身を任せながら、次に訪れるであろうチャンスに向けて、準備して嗅覚だけは落とさないように磨き続けたいと思います」
「誰かが喜んでくれたり、面白がってくれることが仕事のやりがいです」――。世間をアッと驚かせるような新しい世界を、また見せてくれる日はそう遠くはないはずだ。
□平野陽三(ひらの・ようぞう)1985年10月9日、愛媛県生まれ。2007年にスタートトゥデイ入社。退社後に映像プロダクション、独立を経て、2018年に前澤氏と再合流。23年12月29日公開の映画『僕が宇宙に行った理由』で長年の夢だった映画監督デビューを飾る。