オーディション落第150回 それでもK-POPアイドルを目指す理由 22歳会社員女性「可能性は『1%』」
K-POPアイドルを目指して韓国に渡る日本の若者が増えている。TWICEのミナ、サナ、モモやNCT127のユウタ、LE SSERAFIMのサクラ(宮脇咲良)とカズハ、IVEのレイら日本人メンバーの世界的な活躍が日本にも伝えられているからだ。だが、極めて狭き門をくぐらないと、その域にはたどり着けない。東京・新大久保のKPDS(K-POPダンススタジオ)に通う中村奈々さん(仮名)は、K-POPのオーディション受験150回を超えるが、「1度も1次審査を突破できませんでした」と言った。昨年、大学を卒業した社会人1年目の22歳。それでもあきらめず、K-POPアイドルを目指す理由を聞いた。
狭き門に挑む日本の若者たち 「夢が持てたこと自体幸せ」
K-POPアイドルを目指して韓国に渡る日本の若者が増えている。TWICEのミナ、サナ、モモやNCT127のユウタ、LE SSERAFIMのサクラ(宮脇咲良)とカズハ、IVEのレイら日本人メンバーの世界的な活躍が日本にも伝えられているからだ。だが、極めて狭き門をくぐらないと、その域にはたどり着けない。東京・新大久保のKPDS(K-POPダンススタジオ)に通う中村奈々さん(仮名)は、K-POPのオーディション受験150回を超えるが、「1度も1次審査を突破できませんでした」と言った。昨年、大学を卒業した社会人1年目の22歳。それでもあきらめず、K-POPアイドルを目指す理由を聞いた。(取材・文=鄭孝俊)
中村さんは静かな口調で言った。
「年齢的にもう遅いのは分かっていますが、せめて1回だけでも1次に受かりたい。それまでは夢をあきらめずに挑戦し続けます」
しかし、その目には闘志がこもっている。KPDSに通い始めてほぼ1年。K-POPアイドルデビューを目指す専門クラスに在籍し、日々汗を流している。同校に通う前は独学でK-POPダンスを練習してきたという。
「自宅の部屋で黙々と踊っていました。家族に気付かれると不審がられるので、あまり音をたてないよう気をつけて頑張っています」
K-POPにハマったのは小学3年の頃。東方神起をテレビで見て、一瞬で好きになった。そして、「将来、歌手になろう」と思い、歌とダンスを習い始めた。母親が東方神起のファンだったことも影響しているという。中学受験の際はレッスンを一時中断したが、合格後に再開。難関の名門私立大に入学後はダンスサークルに入部。ニュースクール(不良的な要素を排した1990年以降に生まれたヒップホップの潮流)を中心に、アップ・ダウンやステップなど練習の日々を送った。ダンスの基本を習得し、ある程度の自信もあった。だが、K-POPアイドルのオーディションを受ける勇気は出せなかった。年齢を重ねていく中、2年の夏に初受験したが、事前審査で不合格となった。以降、“オーディション”と名の付くものには片っ端から応募したが、いずれも同様の結果になっている。
「いろいろな形態のオーディションがあるので、小さい規模のものから韓国4大事務所まで全部含めるとおそらく150回ぐらいは受けました。事前にオンラインで履歴書、写真、歌唱やダンスを録画した自身制作のYouTube動画などを送ります。YouTubeの動画は再生回数がカウントされるので、オーディション担当者が見てくれたら回数が上がるのですぐ分かりますが、“再生回数0”のままだと落ち込みます。対面で審査される公開オーディションに参加した際は、応募者が200人ほど集まっていました。私はナオミ・スコットの『スピーチレス』を歌い始めて10秒で審査員からストップがかかり、そのまま落第しました。Kep1erを生み出したオーディション番組『Girls Planet(ガールズプラネット)999』にも落ちました。そんなことの繰り返しです」
それでも、挑戦をやめない。理由を聞くと、中村さんはあふれる思いを口にした。
「大学を卒業して就職した時に1度は『もうやめよう』と思いましたが、ダンススクールの発表会を終えたら、『もう少し頑張ってみよう』と気持ちが変わってしまいました。BTSの東京ドーム公演に参戦して『カッコいいな』と憧れましたし、中学生の頃からITZY(イッチ)や(G)I-DLE(ジー・アイドゥル)のアーティスティックなところや、歌唱力、曲調、パフォーマンス、ライブの盛り上げ方などすごくカッコよく感じました。私は作詞や作曲も勉強しているので、プロデューサー的な存在である(G)I-DLEのソヨンさんにも憧れています。『自分もああいう風になりたい』と思っています。かわいい系の日本のアイドルではなく、歌もダンスもかっこいいK-POPアイドルに憧れています」
150回も落ちると心が折れそうだが、中村さんの精神力はおっとりとした雰囲気とは違い、かなり鍛えられているようだ。
「そうですね。大学3年の時に『あきらめた方がいいのかな』と思いましたが、数年後に『あの時もっと挑戦しておけばよかったのに』と後悔するだろうと思いました。若くて実力のある人がたくさん韓国に渡っていて、22歳で社会人の私に可能性がほとんどないことも分かっています。だけど、『とことんやり切った』と満足できるまで続けたいと思いますし、夢が持てたこと自体が幸せだと思っています。今は『せめて1次だけでも』が目標です。本音を言うと、これからK-POPアイドルになれる可能性は『1%』だと思っています。もし、デビューできたら作詞、作曲、プロデュースができるアーティストになって、ファンに勇気や力を与えていきたいです」
中村さんは会社の仕事が終わると、自宅の駅最寄りの貸スタジオに向かい、次のオーディションに向けて練習の日々を送っている。