アニメ声優でブレーク、ヒット曲を出しても“葛藤”で米国移住 飯島真理の波瀾万丈40年
『愛・おぼえていますか』のヒットで知られるシンガー・ソングライターの飯島真理が、デビュー40周年を迎えた。1982年、TBS系アニメ『超時空要塞マクロス』のヒロイン役を演じたことでブレーク。アーティストとしても脚光を浴びたが、1989年、海外での成功を目指して活動拠点を米国に移した。そして、今月4日には27枚のシングル、39枚のアルバム(企画盤含む)から自身で選曲した3枚組のベスト盤『All Time Best Album』をリリース。この機に飯島はENCOUNTに自身の歩みを語った。「前編」は「マクロスとの出会いと米国移住の理由」。
転機となったマクロスとの出会い
『愛・おぼえていますか』のヒットで知られるシンガー・ソングライターの飯島真理が、デビュー40周年を迎えた。1982年、TBS系アニメ『超時空要塞マクロス』のヒロイン役を演じたことでブレーク。アーティストとしても脚光を浴びたが、1989年、海外での成功を目指して活動拠点を米国に移した。そして、今月4日には27枚のシングル、39枚のアルバム(企画盤含む)から自身で選曲した3枚組のベスト盤『All Time Best Album』をリリース。この機に飯島はENCOUNTに自身の歩みを語った。「前編」は「マクロスとの出会いと米国移住の理由」。(取材・構成=福嶋剛)
デビュー40年。あっという間にも感じますし、苦労もたくさんあった分、長かったようにも感じます。
父、母、兄は音楽が大好き。私も生まれたときから生活の一部に音楽があり、気が付いたら自然にピアノに触れていました。人生最初の曲は小4で作った学級歌です。「大空遥か 雲が行く~♪」という歌い出しでしたね。担任の先生から依頼を受けて、父の協力も得て書きました。その後、『テストが終わった』、我が家の愛犬を歌った『かみつきゴン太』、大ファンだった荒木大輔さんがいた早稲田実業と桜美林の対決を歌った『高校野球の歌』。これが私の「小学5年生の3大楽曲」です(笑)。『かみつきゴン太』はコンサートでも時々歌っているので、ファンの方なら聴いたことがあるかもしれませんね。
当時の作曲や歌は趣味のレベルで、ピアニストを目指して日々の練習に励んでいました。そして、難関だった国立音大付属高校のピアノ科に合格。学生寮で生活していましたが、ピアノを学ぶためのより自由な環境を求め、2年生から原宿にあった女子寮(東郷女子学生会館)で生活を始めました。寮の地下にあったピアノ室でたくさんの曲を書き、後にその一部がデビューアルバム『ロゼ』(1983年)に収録されました。
当時から学園祭で歌ったり、神社の奉納コンサートに出演していましたが、ピアニストとしてドイツに留学することも考えていました。進路を迷って当時師事していたピアニストの先生に相談したら、先生は「じゃあ、私の前で歌ってみて」と。言われるがまま、先生と両親の前で弾き語りを披露したところ、先生はこう言いました。
「ベートーヴェンを弾いているときよりも、歌っているときの方が生き生きとしていますよ。若いうちにしかできないことをまずはやってみてはどうですか」
振り返ると、この言葉がシンガー・ソングライターを目指す大きなきっかけでした。ただ、留学の準備をしてくれていた両親は少しガッカリしていました。そこで私は国立音楽大のピアノ科に進んだ上で、自分のやりたい道へと進んでいきました。
デビューのきっかけは、雑誌に載っていた「シンガー・ソングライター募集」の広告でした。早速、デモテープを作り、何本か送ったら、それがビクターにたどり着き、ディレクターから声が掛かりました。その後、ビクターのスタッフに頼まれて受けたオーディションがきっかけで、『超時空要塞マクロス』リン・ミンメイというヒロイン役を演じることになりました。
当時は若かったこともあり、この抜てきに大喜びでした。重責や覚悟など考えることもなく、学校帰りに毎週アフレコに行って、終わると友達と遊んだり、曲を書いたりしていました。ところが、マクロスが人気になり、世間がアイドル的存在だったマクロスのキャラクター・ミンメイと新人の私を重ね合わるようになって、困惑しました。最初に思い描いていた音楽の目標からどんどん離れていく感じがして、「どうしたらいいんだろう」と悩む日々でした。
そんな中でデビューアルバム『ロゼ』をリリースしました。私の願いで坂本龍一さんにプロデュースしていただきました。教授(坂本さん)にとっても、初めて新人プロデュースでした。デビューしたばかりの私のことは、“ひよこ扱い”でしたね。覚えているのは4曲目の『Love Sick』を教授の前で弾き語りを披露したとき、「そんなに(速いテンポで)走っちゃ、ダメだよ」と言われました。その経験が生かされて、その後はリズム感にはすごく注意するようになりました。
『ロゼ』のマスタリングが終わったとき、ボーカルが小さく感じ、『マスタリングをやり直したい』と伝えたのですがそれはかないませんでした。直後、大御所の方に「飯島真理は声量がない」とラジオで言われて、ショックを受けました。そんな風に作品を出す度に感じる悔しさをバネに「もっと、良い作品を残していこう」と思っていました。きっと、ピアニストになるために頑張った子どもの頃から、どんな場面でも「完璧」を目指し、自分に厳しくなり過ぎていた部分もあったと思います。
当時は今と違って、アニメに関わった歌手が正当に評価される時代ではありませんでした。キャンペーンで全国を回っても、聞かれることはマクロスのことばかり。シンガー・ソングライターとして見てもらえない悔しさや葛藤を抱えていました。「ミンメイじゃなくて、シンガー・ソングライターとして認められたい」。そんな反骨心が、その後の私を奮い立たせました。
生活拠点をLAに移した理由
4枚目のアルバム『KIMONO STEREO』(85年)で初めてロンドンでレコーディングしたあたりから、海外での活動に興味を持ちました。6枚目のアルバム『Miss Lemon』(88年)をロサンゼルスでレコーディングした時には、現地のスタッフが「グレート!」と作品を褒めてくれました。「アメリカでも通用する」と感じ、世界での活躍を目指してロサンゼルスで生活を始めました。「アメリカで成功すれば、どこにいても誰からも正当な評価が得られる」と感じていました。
でも、マクロスやミンメイを「呪縛」と感じたことはありません。実際、世界中から「マクロスが私を救ってくれた」「ミンメイを演じてくれてありがとう」といったコメントをいただいていいます。「あの役を演じる運命だったのかもしれない」と思えるようになりました。2006年、マクロスの英語吹替版(『Super Dimension Fortress MACROSS』)の話が舞い込んできて、迷うことなく引き受けました。芝居経験がなくても、癖のない自然な演技、私の声そのものがミンメイの個性だったのです。
吹き替えのスタジオに入ったとき、「ミンメイ、ごめんね」と言いました。心の中の部屋に閉じ込めていた彼女に謝って、勇気を出してその鍵を開けました。すると、「大丈夫だよ。真理ちゃん」ってミンメイの声が聞こえた気がしたんです。瞬間、涙がワーッとこぼれてきました。吹き替えが始まり、現場ディレクターからの大げさな演技指導があると、「それはミンメイじゃない」と主張もしました。そうして、最後までミンメイを守り続けました。
でも、本音を言うと「マクロスの飯島真理」じゃなくて、「シンガー・ソングライターの飯島真理」として日本で認知されたい。せめて、私が最期を迎える時だけでも「シンガー・ソングライターの飯島真理が旅立ったと書いてほしい」と遺言に残そうかと思っているんです(笑)。
そんなこれまでを振り返りながら、40年の集大成として『All Time Best Album』を作りました。いつまでもファンのみなさんに愛されている曲『愛・おぼえていますか』も収録しています。「後編」では、アメリカでの生活や子育てについてお話したいと思います。
□飯島真理(いいじま・まり)1963年5月18日、茨城・土浦市生まれ。幼少の頃よりクラシックを学び、国立音大ピアノ科に進学。高校在学中から制作を始めたオリジナル曲のデモテープが注目され、83年、ビクターからシンガー・ソングライターとして、アルバム『ロゼ』でデビュー。坂本龍一がプロデュースした初の新人として話題となり、「学園祭の女王」と呼ばれた。82年、TBS系アニメ『超時空要塞マクロス』リン・ミンメイ役を演じていたこともあり、84年、劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の主題歌『愛・おぼえていますか』を担当。オリコン最高7位記録した。89年、米ロサンゼルスに移住し、99年、自身のレーベル「marimusic」を米国で設立。