プラマイ岩橋、強迫性障害で「しんどかった」日々 相方へのイラ立ちで不仲だった過去
お笑いコンビ・プラス・マイナス(岩橋良昌、兼光タカシ)は今年でコンビ結成20年。そんなメモリアルな年に「上方漫才大賞」で「大賞」を受賞した。同期には『M-1』王者の銀シャリ、KOC王者のジャルジャルがいる。順風満帆でなかった20年を“コンビ仲”をテーマに振り返った。
「ないものねだり」で相方にイラつく日々
お笑いコンビ・プラス・マイナス(岩橋良昌、兼光タカシ)は今年でコンビ結成20年。そんなメモリアルな年に「上方漫才大賞」で「大賞」を受賞した。同期には『M-1』王者の銀シャリ、KOC王者のジャルジャルがいる。順風満帆でなかった20年を“コンビ仲”をテーマに振り返った。(取材・文=島田将斗)
納得のいく結果が出るまで20年。当然のように喧嘩は絶えなかったが、岩橋の“クセ”もその原因のひとつになることもあった。やってはいけないと思っていることが行動に出してしまう。それは観客の前で漫才を披露しているときに突然起きてしまうこともあった。
岩橋は2022年に“クセ”と話していた行動が「強迫性障害」であったことを明かした。そんな“クセ”を笑いに変えてくれない相方に対して不満は募るばかり。一方の兼光はというと「どうすればいいのか分からない」が現実だった。
「NSCに入るときに、『ハゲ』『デブ』とかいっぱい悪口が書かれた紙が配られて、『これは芸人にとって武器だから』と言われた授業がありました。そこにはもちろん強迫性障害は書かれていませんでした。これも僕の一部だから相方にうまくさばいてもらいたかった」(岩橋)
“クセ”がネタ中に出ても、観客全員が岩橋のことを詳しく知っているわけではない。そのクセを説明してもウケないことがしばしば。岩橋はそれが「しんどかった」という。
「相方はクセを笑いに変えたりっていうのがほぼゼロ。『なんで相方であるお前が僕のクセのエピソードを一つもしゃべられへんねん』って不満とかイライラが溜まったり。相方に対してないものねだりをしている時期がありましたね」
さらにこう続ける。
「自分の理想の相方像で言うとアインシュタインの河井ゆずるとかパンサーの向井慧。僕を猿使いの猿のように扱えるMCみたいね人への憧れがずっとありました。でも、その考えも人のせいにしていた。この世界って才能の部分も大きいので相方を責めても仕方ない。相方はものまねの才能があるのにも関わらず、それ以外を望んでイライラしたりしていました」
一方の兼光は「岩橋が思っていることも分かるので、申し訳ない気持ちがありました。だからそれに対して『なんでやねん!』みたいな感情にはなりませんでした」と下を向いた。
不仲説は漫才への情熱から「人格が嫌いなわけではないんです」
漫才の出番終わりには即反省会。舞台袖では喧嘩のように口論することもあった。それゆえに不仲コンビと見られることもあった。「結果が出ないと粗探しが始まるんです」と岩橋。
「コンビのコンビネーションがうまかったり、いろんな要素で売れている人がいっぱいます。テレビにも出られていない、その中で僕らは漫才で頭ひとつ抜けていないとやっていけないと思ったんです。とりあえず漫才に関してはすごい細かいところまで指摘するんですよ。他のコンビは絶対そこまでやってないし、他の人に『言い過ぎ』って注意されたこともある」(岩橋)
兼光が具体例を挙げる。「例えば、漫才中に聞き返すセリフの『え?』。こうでもない、ああでもないと音の高さから短さまで注意するんです。『いやそんなの分からへん!』って(笑)。そのときにできたとして本番でできるかも分からないし」(兼光)
決して嫌がらせで指摘しているわけではない。それは岩橋の漫才への情熱でもあった。
「漫才やってる最中に、いろいろ思うんですよ。それを覚えておいて漫才終わりに指摘してます。そのやり取りが“名物”って言われて、笑われることもありました。でも、僕からしたら、お笑いって言い方が本当に大事。漫才って2人の掛け合いやから。周囲の人が気が付いてないかもしれないけど、僕はそれも言った方がいいと思う。それで他のコンビと差別化をしています。俺らプロやで? ほんまのプロフェッショナルだったらそこまでやるもんやでって」(岩橋)
兼光も「感覚的な部分もあるんですけど、練習でカバーできるところはあるんですよね」とうなずいた。
岩橋は「人格が嫌いとかこの人(相方)が嫌いで喧嘩しているわけじゃないんです。僕もどこかで『言い過ぎたな』『俺が間違ってるかもしれへん』と思うときもありました。でも気が付いたことを言わずにいたら、漫才師としてさらに埋もれてしまう気がして」と続けた。
今年の上方漫才大賞・「大賞」受賞で2人の肩の荷が下りた。「テレビに出ていない=実力がない」、そんな思いこみも自然と抜けていく。賞レース、テレビ出演に向けて漫才を作ってきたが現在は違う。
「目の前のお客さんを笑かすことが一番。賞レースに向けて舞台でネタを試す人も多いのですが、僕らからしたら試す場ではないです。一生に一度しか来てくれないお客さんもいるし。難しいんですけど、ウケを試すのも大事だと思う。でも僕らはテレビへの考え方も変わりました。軸は日頃の舞台。賞レース、テレビは出られたらラッキー」(岩橋)
「テレビももちろん出たい気持ちはありますけど、ここまで来させてもらったのは漫才なので、漫才を大事にしようというのはすごくあります。ほんまにテレビは出られたらラッキーくらいの感覚です」(兼光)
さらに岩橋がこう続けた。
「“最強”のネタを作っていこうという気は全くない。車と似ています。メンテナンス、改造が日ごろの作業でそれをモーターショーに出展する。出展したときに優勝できなかったとしても車を触って飯を食ってるので、発想がひっくり返りましたよね。何歳になってもお客さんパンパン。桂文珍師匠の独演会は大きな会場で即完売。70歳超えて、めちゃくちゃカッコイイと思うんですよ。そういう漫才師になっていきたいです」
大きな結果が出るまでに20年を要した。2人にとって「相方」はどんな存在なのか。
「信頼すべき人ですよね。僕の“クセ”をいじってくれっていう不満はなくなりました。ないものねだりをするのではなく、相方には相方のいいところがある。そこだけを絶対に伸ばしていこう。あとはどんな状況でも常にそばにいてくれる。信頼していく存在ですよね」(岩橋)
「人生のパートナーですから。奥さんが2人おる感じですよね。奥さんよりも大事な存在かも分からないですよ。深く考えたことないですけど、相方は1人しかいないので大事な存在。特に漫才なので。どちらかが倒れたらできない。リスペクトとして支え合っていかないなと思います」(兼光)